人気のない道を一人で歩くことは危険だと言うことは充分に理解しているつもりではあったが、今さら教室に戻る気にはならなかった。まだ苛立ちが胃の腑の奥をちくちくと刺しているようで、えずきこそしなかったものの気分は最悪なまま下降の一途を辿っている。
     解っている。
     クラスメートたちの誰一人、悪意を持って被害者の姉となった生徒に声をかけている訳ではないことくらい解ってはいるのだ。
     けれど、あくまでもその根底に薄っすらと滲んで見え隠れしている自分でなくて良かったと言う他人事な感情が透けて感じられるから、平太は彼らの言葉を額面通りに受け取ることが出来なかった。
    「へーた君」
     声をかけられて視線を上げると、向こうから現場検証を終えたのだろう総次郎が戻って来るところだった。
    「あ、おき……じゃなかった、総次郎くん」
    「どうしたんですか? 授業、始まった頃なのでは?」
     特別免除をされているらしい眞撰組隊士の総次郎なら、出席数などそれほど気にはせずともよいだろうが、ネオ京都システムは割りと学業に関してはシビアなところがある。そうではなくサボりを決め込んだ生徒なら、始めから学校へは顔を出さずに戸外はあまりうろつかないものだ。
     怪訝そうな口調をごまかす気力も起きずに、
    「いや……気分悪くなって早退っス」
    「……確かに顔色悪いです。大丈夫ですか? 送ります」
    「いや、大丈夫っスから」
    「一般生徒を守るのが僕たちの役割です。荷物持ちますよ」
     ひょいっと鞄まで奪われてしまって、それ以上断わりの言葉を紡ぐことも出来ずに平太は先達て歩き始めた総次郎の背中に続いた。
     後ろに立って改めて見遣れば、やはり総次郎は眞撰組にいるのが不思議なほど小柄で華奢な体格をしている。平太だって特別体格に恵まれている訳ではないものの人並みくらいの背丈はあるのだ。それより頭一つ半ほどは小さい総次郎は、ふわふわ飄々とした掴みどころがない雰囲気も相俟って、平太がイメージする眞撰組隊士のどの形にも当て嵌まらない気がする。
     まさか見かけに寄らず、血腥い斬り合いが好きと言う戦闘狂な訳でもあるまいに。
    「あの……総次郎くん」
    「何ですか?」
    「総次郎くんは、何で眞撰組に?」
     道すがらの暇潰しにと、平太は頭に浮かんだ疑問を素直にぶつける。
    「いや、何か似合わないっつーか……」
    「よく、みんなからも言われるのです」
     苦笑しながら総次郎はそう言った。
     それに気をよくして、平太は常日頃思っていた気持ちを――先程近藤に勧誘されてますます募った感情を言葉に乗せた。相手があの歳哉だったなら問答無用で無礼者と斬り捨てられていたかもしれないが、総次郎はいきなり斬りかかって来るほど言葉が通じないようには見えなかったからだ。
    「俺は――眞撰組のことが嫌いだ。『みんなを守るため』なんて大義名分を掲げちゃいるけど、結局君たちのやってることは人殺しだろ? 刃はどんな理由をつけたところで誰かを傷つけるものだ。その事実を蔑ろにしてるように見えるよ」
     半分ほどしか開いていない総次郎の双眸はちらりと平太を見遣ってから、再び行く先の道を見据えた。
    「多分、僕たちがみんなから思うほど感謝されないのは、へーた君が今言ったことが一番の理由だと思うのです。確かに僕たちは<能力者>となった人を斬らなきゃならない。そうしなければ止められないから……でも僕たちだって、別にこれが正しいと思って刀を振るっている訳じゃないのです。他の道があるなら誰もがそっちを選ぶ」
    「………………」
    「それでも、みんな無事な人を守りたくて、黙って見ていることが出来なくて、刀を取ったのです。救いたい、なんて烏滸がましいかもしれないけど、それでも僕たちは何もせずに後悔したくはないですから」
     誇らしげな晴れ晴れとした笑み。
     もしあの時もっと力があったなら、今の自分も総次郎と同じ笑みを浮かべていられたのだろうか、とつきり苦い感情が口の中に広がったような気がした。
    「しっ! 静かに」
     唐突に姿勢を低くした総次郎が小さく鋭い警告を上げる。
    「な……何かいたんスか?」
     慌ててそれに習いながら平太が問うと、総次郎は僅かに頷いた。視線が向けられているのは寮から少し離れてはいるものの、放課後にはそれなりに賑わう公園である。初等部生向けの遊具でなどはさすがに遊ばないが、運動部などが周回しているのもこの辺りだ。
    「珍しいものが見られますよ、多分」
     何故か酷く楽しそうににんまりと笑った総次郎は、まるで覗き見でもするかのように植え込みに身を隠して微かに頭を覗かせた。珍しいものが見られる、と言った割りにはそうされると平太からは見えなくなることが念頭にないのか、気は進まなかったが平太も同じように総次郎の隣りへしゃがみ込んだ。
     と、そこを歩いている意外な人物が視界に飛び込んで来た。
     歳哉だ。
     大よそ公園などと言う穏やかな景色の似合う男ではない。朴訥とか長閑とかそう言った単語とは寧ろ対極に位置するような彼が、一体何をしにここまでやって来ているのか。巡回――にしては、周りに部下がいないようだ。しかしその足取りに迷いはないようで、歳哉の視線を追うとその先には初等部の生徒らしい少女が一人、ぽつねんとブランコに座っているではないか。
    ――あちゃあ……こりゃあ怒鳴られるぞ……
     こんな戒厳令の出そうな時期にうろちょろするな、と容赦なく怒る姿が目に浮かび、平太は思わず首を竦めた。
    「おい、菜月【なつき】!」
     やはり初見ではないのだろう。歳哉は下の名前で少女を呼んだ。
     が、平太の記憶にあるよく通るものの厳しく尖ったような印象のある低音が、今は幾分柔らかく感じるのは恐らく気のせいではない。
    ――誰……!?
     反射的にそう思ってしまったほど、歳哉の態度は優しいものだった。
    「副長のおにーちゃん!」
     それまで俯いていた少女――菜月の表情がパッと明るくなり、弾んだ声が上がる。二つに結わえたお下げが、ブランコから降りると同時にぴょこんと跳ねた。
     飛びつくように抱きつかれ、その小さな身体を受け止めて歳哉が微かに苦笑を浮かべる。眉間をきつく寄せた表情の印象しかない彼がこんな表情もするのかと、平太は意外な感慨を覚えた。
    「こんな時間に何をしている? 早く寮に帰らないと駄目だろう。近頃はこの辺りで悪い輩が暴れている。送って行くから戻ろう」
    「…………やだ」
     しかし、歳哉の言葉に菜月は首を横に振った。
    「寮なんか……帰りたくない」
    「まだ慣れないか?」
    「おウチがいいよ」
     大きな瞳からボロボロと涙がこぼれる。
     少女はまだこの街に来たばかりなのだろう。たかだか十歳くらいでこれまでの生活を捨てて両親たちと離れ、この監獄のような場所で暮らさねばならないのだ。
     寂しくないはずがない。
     辛くないはずがない。
     それを我侭だと切り捨てるには、余りにも彼女は幼かった。
     自分たちが背負った宿命の意味など、正しく理解出来る訳もない。

    →続く