「げ」
「銃を捨てて両手を上げて!!」
「誰、あの子?」
図らずも苦い声を上げてしまったところを、ライラに聞き咎められた。が、事情を説明している暇などない。
「トーキョーの一件で世話になった、文保局のお嬢ちゃんだよ。逃げるぞ!」
ライラの華奢な手を引いて脱兎のごとく人波に紛れる黒い姿に、さすがに抜いて構えてはみたものの本当に銃をぶっ放す訳には行かず、ミツキは眦を吊り上げてなおも叫んだ。二階席のテラスまで距離はあったが躊躇なく追いかける。
「待ちなさい、首飾りを返すのよ!!」
「俺じゃねえよ!!」
「アンタ以外に衆人の前でこんな芸当が出来る奴なんて、ポコポコ出て来られて堪るもんですか!」
「おい、逃がすなバレットだぞ!!」
その怒声を聞きつけて、マフィアの下っ端共も銃を片手に我も我もと後を追って来る。こちらは周囲に人がいようがいまいがお構いなしだ。悲鳴を上げる女性を突き飛ばし、老人子供を銃口で威嚇して道を開けさせる。
「ロキ、ちょっと予定外の問題が起きた。獲物は押さえてねえが離脱する」
混乱して逃げる人でごった返す出入口ではなく、どんどん上階に上って行きながら耳に仕込んだインカムに告げると、間髪置かずに返事が返って来る。
「解りました。パターンBの地点で待機します。気をつけて」
「ちょ……っ、待って! こんなカッコで全力疾走出来る訳ないでしょ!?」
抗議の声を上げたのはライラだ。
利口な彼女は既に逃げると決めた時にハイヒールを脱ぎ捨てていたらしいが、高めのドレスコードの正装は運動に向かない。足に纏わりつく長い裾は明らかに邪魔だ。ただでさえ閃光の身体能力に一般人の彼女が着いて行けるはずもない。
一瞬眉を寄せたものの、閃光は躊躇なくライラを抱き寄せた。片腕で軽々と抱え上げたまま再び走り出す。
「掴まってろ」
そう言われるまでもなく、振り落とされまいとライラは閃光の首に腕を回した。すぐ傍らを破裂音が過ぎる。確認するまでもない、銃声だ。
彼といる限り当たりはしないことが解ってはいても、思わずびくりと身体を強ばらせる。安堵させるように抱き締める腕に力を込めてから、閃光は珍しく後腰のホルスターに差していたらしい銃を抜き、振り向きもせずに引き金を引いた。短く呻いて倒れる追っ手に目をくれている暇はない。
狭い廊下、閉ざされた室内でライラを連れたままでは、長時間の撃ち合いは出来ないからだ。相手が多数の場合、追い込まれるのは時間の問題である。
「いたぞ!」
「回り込んで挟み撃ちにしろ! 逃がすな!!」
ばたばたと左右から迫り来る男たちに素早く視線をやってから、閃光はそのまま銃を握った右手を高く掲げた。一体何をするつもりかと一瞬ギョッと怯む彼らの目の前で、その手首の腕時計からワイヤーが射出される。
ぶち破った明かり取りの窓硝子から上手いことライラを庇いながら、先端の鉤爪が窓枠を捉えると同時に閃光は力強く床を蹴って跳躍した。
収縮するワイヤーの力と逆上がりの要領で二人の身体は綺麗に外に躍り出る。よもやそんな力業で逃げられるなどと想像だにしていなかったのだろう男たちは、一瞬呆気に取られていたもののハッと我に返って踵を返した。
「奴は屋根伝いに逃げる気だ! 追え!!」
バタバタと屋外へ出る経路を探しに走る男たちを後目に、屋根へ危なげなく着地した閃光はライラを抱え直した。
「怪我ぁねえな?」
「え、ええ……大丈夫。どうするの?」
「万が一の時ロキと落ち合う場所は決めてある。もうちょい荷物扱いは勘弁しろ」
不安定な屋根の上で、銃撃戦や殴り合いをする度胸がある男が相手方にどれほどいるかは定かでないが、追って来ても閃光相手の立ち回りなど出来るはずもない。しかしこれ以上面倒に巻き込まれて肝心の仕事が出来なくなっては元も子もないのだから、さっさと逃げるが勝ちだ。
閃光はそのままロキとの合流地点を目指そうと、オペラ座本館から西へ向けて駆け出そうとした。
が――
「…………っ、」
その行く手を阻むように前方に一人の男が佇んでいる。フレデリックだ。
予め屋根から逃げると踏んで待機していたのか、偶然探していたところと鉢合わせたのかは解らないが、勝ち誇った笑みを浮かべて撃鉄を起こしながら彼は叫んだ。
「逃がさないぞ、バレット! さあ、盗んだ首飾りを寄越すんだ!!」
「おいおい、そっちかよ……恋人の敵!! とか建前でも言わねえのか」
呆れてげんなりした顔でそう言う閃光に、子爵は口端を擡げて皮肉気に笑ったらしかった。肩を竦めながら、
「恋人? は、冗談じゃない。あんな娼婦に毛が生えた程度の女なんか、この僕に相応しい訳ないだろう。それでもパトロンをしてやって、オペラ座へやっとの思いで捩じ込んだかと思えば、掌を返したみたいに番犬扱いして、やれストーカーの怪人を始末しろだのなんだのと……」
「…………」
「どっちもどっちね」
同じく顔を顰めて呟いたライラを見遣ってから、フレデリックはさらに銃口を突きつけるように前に押し出し、半歩こちらに踏み込んだ。
「『銃声がして舞台を見たら落下した照明がエルザを圧し潰していた』と俺が証言すれば、貴様はたちまち殺人犯だぞ。あの混乱した状況できちんと出来事を覚えている者などいまいからな……何とでも言える」
「……好きにしろよ、今さら罪状の一つや二つ加わったところで痛くも痒くもねえわ。だが、首飾りを盗んだのは俺じゃねえ。っつーか、直前までエルザが着けてたものが駆け寄った時にはもうなかったってことか?」
「そうだよ、あの文保局のちんちくりんも言っていただろう。そんな芸当が出来る奴は世界広しと言えどお前くらいなもんだ、とな。惚ける気か? そんなに獲物を手放したくないなら、そっちの女で手を打ってやってもいいが?」
下品た笑みで引き金にかけた指に力を込めるフレデリック。本人はチキンレースでも仕掛けているつもりなのだろうが、閃光は意にも介さない。未だに構えもしないのは、彼が撃った後でもこちらの弾丸がその眉間をぶち抜く方が早いことを知っているからだ。
が、単に手の内を知らせる必要がないからか、万が一にでもライラに怪我をさせないためか、閃光は鼻先でその申し出を嘲笑してから彼女の身体を抱き寄せた。
「そんなに高い評価を貰ってありがたいが、こいつは残念ながらテメーみたいなクソヤローにやるものはウインク一つもないんだとよ」
言うなり、閃光はそのまま己の背後へ飛んだ。身を踊らせた先は勿論足場などない空中――あっと言う間に落下した二人の影がフレデリックの視界から消える。
「馬鹿な……死ぬ気か!?」
慌てて駆け寄り下を見遣れば、そこには分厚いクッションを天井に備えたロールスロイスが停まっており、速やかにスタートを切ったところだった。最初からここに逃走手段を配置していたのかと地団駄を踏まんばかりの子爵に、閃光は実に悪辣な笑みを浮かべてひらひらと手を振って見せた。
駄目元のように何度か銃声が轟いたが、動いている車の上の的に当てる技量など持っている人間はそうそういまい。何事か罵倒の言葉を投げ続ける彼を後目に、ロキの運転する車は悠々と街中を駆け抜けた。
→続く
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