「…………っ!?」
     一瞬何が起こったのか解らなかった。呆気に取られた。完全に虚を突かれた。よもやそんな行動を取られるとは思ってもなかったから、油断していたこともあるだろう。
     突き飛ばし、何をしやがると激昂すべきだった。あるいは、抱きすくめてそれ以上の行為に持ち込むか。
     しかし、思考回路が凍結してしまったカゲトラは、そのどちらの反応も取れなかった。
     そうする内に甘やかな口唇は啄むように何度か触れ、ちろりと隙間から覗いた小さな舌がこちらの縁をなぞるように這う。身体を貫いたびりびりとした微弱な刺激にはっと我に返ったものの、
    ――ヤバい……
     振り払え、と危機を察知する本能ががんがん割れんばかりに頭の中で叫んでいる。にも拘らず、雄としての本能は誘いに応じろと背中を蹴飛ばして来る。
     相反する欲求にぐるぐると考えていたのは一瞬で、身体は素直に快楽へ傾いた。
    ――ええい、なるようになれ!!
     口を開けて濡れた舌を絡めると、胸倉を掴んでいたナナキの手が這い上がり、頬を撫でて首へ回る。もっと深くとねだられるように後ろ頭を引き寄せられて、柔らかな膨らみの身体を寄せられた辺りでぷつりと理性の糸が切れる音を聞いた気がした。細い腰を抱き寄せる。
    「ん……っ、は……」
     甘酸っぱいオンナの匂いに鼻先をくすぐられて、我慢出来ず貪るように口付けを交わした。が、いざ帯を解こうとかけた手はナナキに払われる。
    「馬鹿者、誰がわしに触れてよいと言うた」
    「は?」
    「喰われるのは主の方ぞ」
     瞬間、ナナキは一際乱暴に口唇を重ねた。いや、それは口付けなどと言う生易しいものではなく、文字通り噛みつかれたと言った方が正しかっただろう。
     いつの間にか鋭く尖った犬歯が、カゲトラの口唇を舌を、無防備で皮膚の薄い箇所を食い破り突き立てられる。
     溢れる鮮血にナナキが恍惚とした眼差しで舌を這わせ、まるで美酒でも味わうように啜る。ちゅく、と重たい水音を引き摺って、喉を鳴らし、己の生命を喰らわれる感触に全身が総毛立った。何故か痛みは感じない。それでも刃ではない、弾丸ではない、未知の凶器に体内を蹂躙される事実と、それに反して込み上げる衝動と悦楽に細胞が痺れ、脳がかき混ぜられているような錯覚に陥った。
    「ぐ、ぁ……っ、は……」
     万全ではない身体が限界を迎えたのか、くらりと視界が歪む。急激に手足から力が抜け、立っていられなくなる。二人縺れるように床に倒れ込んだものの、辛うじてナナキを押し潰さないように受け身を取った。
    「ふふ……濃いのう、主の血は……気に入ったぞ」
    「いいから退けよ。オンナに乗っかられるのは趣味じゃねえんだ」
    「何じゃ、しっかりその気のくせに」
    「生理現象だ!!」
     にんまりと笑うナナキを押し退けたものの、くらくらと目が回って動けない。失血のせいだ。口元を拭うとあれほど止まらないのではないかと危ぶんでいた血は止まっていたが、身体の痺れは完全に取れていなかった。
    「すまなんだ。わしも死にそうだった故、つい吸い過ぎてしもうたな。何なら褒美に抱いてもよいぞ」
    「うるせえ、阿婆擦れ!! つまりあれか、俺がここに呼ばれたのは、お前の餌としての人身御供ってことか!?」
     ぴらりと短い裾を託し上げて、綺麗な脚を見せびらかすナナキを睨みつけてカゲトラが叫ぶと、彼女は心外だと言わんばかりに形のよい眉を跳ね上げた。
    「主は何か勘違いしておるようだが、わしは悪鬼や妖怪の類いとは違うぞ。ちゃんと普通に食事を取るし、変な幻術が使える訳ではない」


    →続く