「俺ぁ、テメーになんか微塵も逢いたくなかったがな」
     不遜な笑みを浮かべたものの、閃光の背中を冷たい汗が伝う。
     ウォルフのその身に宿る気配はこれほどまでに悍ましく、禍々しい狂暴なものであっただろうか? 記憶にあるよりも遥かに濃くなった〈魔晶石〉の影に、前回の対峙から一体どれ程の術式を喰らって己のものにしたのかと、思わず息が詰まりそうになる。
     それはまるで、人の力ではどうにも抵抗のしようがないほどに強大な自然災害に見舞われ、無力感に打ちひしがれながら天を仰ぎ見るしかない絶望によく似ていた。
    ――こいつに見つかった時点で、詰んだ……
    「その香炉、僕も狙ってたんだよ。譲ってくれないか?」
    「嫌なこった。テメーにやるくらいなら魚の餌にしてやんぜ。欲しいなら力尽くで奪ってみろよ」
    「それで……困るのは君だと思うけど?」
     ひゅんっ、と空気を斬り裂いて振るわれる銀色の刃。
     その軌跡を辿るように、メキメキと音を立てながら大気中の水分が凍りついて牙を剥く。それは容赦なく壁や天井を突き破りこちらへと迫った。ずずん、と揺れる船体――ゴンドラの横っ腹に大きな風穴が空いてしまったのである。
     このまま行けば無事に着陸は出来まい。
     脱出経路を確保しているのだろうウォルフたちは、どちらにせよこの『鯨鵬』を撃墜(おと)すつもりでいるに違いなかった。
     咄嗟にミツキを抱えたまま後退って、抜いた銃の引き金を引く。が、弾丸で砕かれるはずだったそれは、閃光の目の前でぬるりと液状へ変化を遂げ、形を変えた。
    「…………っ!?」
     巨大な氷壁がそのまま大量の水滴へと状態変化し、再び凍りつく。白銀の礫は紛れもなく自分の得物に匹敵する凶器だ。
    「…………お前、その〈魔法術〉……以前は使ってなかったな?」
    「嫌だな、閃光……君が人であり続けようと無駄に足掻いて、ちまちま〈魔晶石〉を片づけてる間に、僕が何もしなかったとでも?」
     いつそれをこちらに叩き込もうかと、楽しそうにウォルフは嗤う。
    「あちこちで役立ちそうな〈魔晶石〉を喰らって、自分の強化に充てて来た。もし役に立たなくたって魔力の蓄積にはなるからね。多分僕は、今この世界で一番魔力が高い」
    「……外れを引いて爆発でもしときゃよかったものを」
    「ふふ……残念だったね。僕はあの時とは比べ物にならないほど強くなったよ? 同じ手は二度も食わない。進化を拒んだ君は死ぬか、大人しく僕に従うか、どちらか一方しか選べなくなった……どうする?」
    「お前とどうこうなるくらいなら、死んだ方がマシだな」
    「じゃあ、僕はその四肢を引き千切ってでも、君を連れて帰ることにしようか」
     ひゅん、と気軽な調子で、宙に浮いていた氷の礫が二人に降り注ぐ。
     一つ一つを撃ち落とす暇も弾もない。閃光の銃口が向いたのは、剥がれかかっていた天井板だ。がらがらと倒壊した分厚い鉄板が、突き刺さる透明な刃を受け止める。
    「早く走れ、馬鹿!!」
     閃光の怒声に弾かれたようにミツキは床を蹴る。
    この状況、自分がいても足手纏いになるだけだ。ウォルフ相手では閃光はこちらに構う余裕などないだろう。彼は間違いなくそこを叩いて来る。となれば、ミツキがやらねばならないことはただ一つ。
    ――ロキさん、呼んで来なきゃ……!!
     閃光では〈魔法術〉に対抗する術がない。〈魔導人形〉である彼なら、拮抗出来ないにしても突破口を開くきっかけか時間くらいは作ってくれるはずだ。
     まだ背後から飛んで来る取りこぼされた氷塊が、すぐ間近で火花を散らす。けれど、それに息を飲むことも身を竦めることもなくなったのは、援護に入った閃光が落とさなかった弾は当たらないと、絶対の信頼を持って言い切れるからだ。
    ――どこに……
     きっとあの頼れる相方の青年は、こちらに向かってくれている。何となく彼は閃光の位置を察してくれる気がした。


    * * *


    →続く