「でも、ユーリ。深追いは駄目だ。まず、母上の無事を確かめる。その後は、父上にこのことを知らせるために、脱出を最優先にするんだ」
    「…………解った」
     耳をすませる。
     話し声や足音は、少し頭上と遠方から聞こえて来るようだ。主戦力は二階を捜索しているらしい。
     見張りを立てているにしろ、個人宅の襲撃だ。部隊員の総数は外周に十、踏み込みに五、と言ったところだろう。戦力を分けて索敵するなら、一階に残ったのはさらに半分の三人くらいが精々か。
     それならばこの隠し扉を見つけられる前に打って出なければ、ユーリの言う通り成す術もなく蜂の巣にされるのがオチだ。
    「行こう」
     声には出さずに視線を交わして合図を出すと、二人は音を立てることなくするりとドアを開けて外へ出た。こうしたほんの僅かなやり取りだけで、滞りなく意志疎通出来るのはありがたい。
     先んじたユーリが、慎重な足取りで玄関を目指す。
     ツーマンセルでいくらも進まない内に、その姿勢がやや低めになった。知らない気配にラスカーも、己の体内を巡る血脈をそこに宿るマナを意識し、間髪置かずに反応出来るよう集中力を高めて行く。
     右手から敵影が現れるよりほんの刹那早く、ユーリが床を蹴って男の死角から飛びかかった。
    「うわ……っ!?」
     男が銃を構えて照準を合わせる前に、ラスカーの〈魔法術〉が展開。銃把を握った両手ごと凍りついた凶器に、慌てる暇も与えられず、伸び上がったユーリの掌底が顎下に叩き込まれて脳を揺さぶった。
     そのまま白目を剥いて失神し、床に転がる侵入者を見遣って双子は思わずその顔を見合わせた。
     何故なら男自体は知らない人物でこそあったものの、彼が纏う衣装はーー連邦政府特殊部隊の、父オルゲルトと同じよく見知った隊服であったからだ。軍部にもいろいろ組織や派閥が存在することは、関わる大人たちの会話で何となく理解していたが、そうなると自分たちを害そうとしているのは、父の部下だと言うことになる。
    「ラスカー……これ、どう言う……」
    「解らない……解らないけど、」
     何やらとてつもなく嫌な予感がする。
     自分たちは知らず知らずの内に、大きく口を開けていた罠の中へ自ら飛び込んでしまったのではあるまいか。
     しかし、のんびり考察しているだけの時間はなかった。
     今の声と物音を聞きつけたのだろう、こちらへ駆け寄る複数の足音と声が鼓膜を打つ。
    「ユーリ、」
    「こっち、走って!」
     廊下を塞ぐ男の巨躯を飛び越えて、走る。もうこうなってしまっては、慎ましさも沈黙も無意味だ。ここから先はスピード勝負になる。
    「いたぞ、ガキ二匹! 一緒だ!」
    「『凍えろ、六花』!」
     ラスカーはインカムに叫ぶ髭面の足元へ、〈魔法術〉を展開する。彼が何をされたか理解するよりも早く、壁を蹴って跳躍したユーリの爪先がその手首を捉えた。弾き飛ばされる拳銃が床を滑る乾いた音と、男が苦鳴をこぼしたのはほぼ同時だ。
     が、さすがに鍛えられた歴戦の戦士は、それだけで戦意を喪失したりはしない。足を固定された状態にも関わらず、後ろ腰に固定されていた鞘から反対側の手でサバイバルナイフを引き抜くと、ユーリの小さな背中へ容赦なく突き立てようと振りかぶる。
    「させるもんか!」
     狙いは上腕。
     そのまま瞬く間もなく凍りついた左腕は、急速に増した重さで男の体勢を崩した。それでもなお腕一本犠牲にする覚悟で腰が捻られ、鍛え上げられた上半身が牙を剥く。
     が、ユーリは迫り来る氷付けの腕を足場に空中で身を翻すと、その首筋へ手刀を叩き込んだ。
     苦鳴を溢す間もなく、失神した男がその場に中途半端に頽れる。
     瞬間ーー
     ガガガ…………っ!!
     全自動で排出されたマシンガンの弾丸が、頭上から降り注いだ。壁を食い破り、床を穿ち、情け容赦のない破壊が襲いかかる。二階探索部隊が階下の異常に気づいて駆けつけたのだ。
     寸手で飛び退って回避したユーリの周辺で、急速にマナの収束する気配。
    「ラスカー、伏せて!!」
     叫ばれるまでもなく、その展開線上から外れていたラスカーのすぐ傍らを〈魔法術〉で生成された氷柱が凪ぎ払った。分厚い氷の壁が弾丸を受け止め、降下しようとした隊員に逆に襲いかかりその体躯を指し貫く。
     鈍い苦鳴と、人体や装備の破砕音。
    「…………あ、」
     初めてーー自分たちの力で絶命する人間を見た。容易く呆気ないほど簡単にあっさりとーー訓練時に破壊する無機質な目標物と同じに、物言わぬ肉の塊として、ごとん、と床に転がる隊員だったもの。恐らくまだ若い。
     ただ機械と違うのは、オイルと焼けたプラスチックの臭いの代わりに、ぶちまけられた内容物が床や壁や天井を汚す鮮血が、己を形作っているものと同じであると言う拭い難い現実だ。
     そして何より、それを躊躇なく作り出したのが己の片割れであるユーリであることが、強くラスカーを根底から揺さぶった。
     弟は訓練時から、いざと言う時他人を蔑ろにしても己を守ろうとする生存本能が高い、とは思っていたが、実際それを目の当たりにすると自分自身は腰が引けたのを自覚する。自分を守るために己の手を汚すことを厭わなかったユーリと同じだけの思い切りを、果たして持つことが出来るのだろうか。
     けれど不思議と、緊張で青ざめた顔をしている彼を、怖いとは思わなかった。
    「平気……?」
    「大丈夫、ありがとう」
     差し出された震える手を躊躇なく握り、引き上げられるままに立ち上がる。
    ーー怖くない、訳じゃないんだ……
     誰かを傷つける恐怖より、大切なものを失う恐怖が勝るから、ユーリは躊躇なく〈魔法術〉を使ったのだ。自分たちの成すことが、出来ることが、どんな結果を伴って、どう世界を作り替えてしまうかを知っているからこそ怖い。
     ぴたりと寄り添い直して、二人は再び玄関を目指す。慣れているはずの何気ない距離を、これほど遠く感じるとは思いもしなかった。
    ーーあと、何人くらいいる……?
     倒したのはまだ三人だ。
     緊張感は疲労をより早く重く連れて来るのだということを、改めて思い知る。
     どうにか玄関ホールまで辿り着いたところで、二人はじんわり額に滲んだ汗を拭った。あとは扉を潜り抜けて、外に出てしまえばどうにか出来る。恐らく、敵は追い立てられて飛び出た二人を捕まえようと手前に広く待ち構えていることだろう。けれど、彼らの得物が火を吹くことはない。
    ーー僕ならまだ二階に兵を残しておいて、背後からの挟み撃ちを狙う……手前の方はユーリに蹴散らして貰って、僕は背中を守る方に徹した方がいい……
     ちらりとユーリに視線をやると、まるで同じことを考えていたか実際口に出して伝えたかのように、僅かな首肯が返って来る。
     問題は、そこに倒れているであろう母だ。
     しかし、いつまでも無事を確かめるのを怖がっている訳にも行かなかった。


    →続く