小さいとは言え、仮にも一つの軍事拠点が潰されたことを、ロシアーヌ連邦政府は公表しなかった。
     どこそこのテロ組織の仕業だと罪を被せることもなく、ましてや彼らが声明を発表しようものなら丸ごと握り潰して、存在していた事実そのものを隠蔽しようとした。本来なら、〈世界政府〉の一員として野に放ってしまった凶獣を全力で追い、始末すべきであったのだ。頑丈なはずの檻を力尽くで払い除けて宣戦布告を上げた白い魔物を、是が非でも葬るべきであったのだ。
     しかし、彼らはウォルフの存在を明るみに出すことは出来なかった。〈魔法術〉並びに〈魔晶石〉を全面廃棄することが、〈世界政府〉に名を連ねる条件であったからだ。
     それが例え建前の紛い物であろうと、〈大戦〉で多大なる痛手を受けた国家を、世界屈指の大国のまま維持していくために、その力の恩恵は必須だった。広大な国土を誇るとは言え、その大半は人の住めない極寒の地なれば、ロシアーヌ連邦は天然資源に乏しい痩せて枯れた領地しかない。
     自ら違法となる研究をーー況してや、人体実験と呼んで差し支えがない内容のあれこれを行っていたと、暴露するように声高に叫ぶような真似は、どれほど国際的な被害を出すことになろうと、出来るはずもなかった。
     しかし、奇しくもそれはウォルフにとっても、好都合ではあった。
     大々的に追われては、〈魔晶石〉を探すのに邪魔だからだ。定期的に特殊警察の追跡が何度か強制確保に望もうと仕掛けて来たが、それも被害を鑑みて諦めたのか、やがて一定距離から踏み込んで来ることはなくなった。
     ウォルフが裏の社会でその名を轟かせるようになるまで、それほど時間はかからなかった。〈機械化歩兵〉を連れた白い半獣の若い男、など目立たないはずがない。
     そうして、あちこち駆け回り情報収集に勤しむ間、前線を張る部隊にいたと言うアレンは、実によく働いた。
     何せ他人とろくに関わりを持ったことのないウォルフだ。買い物一つ、交通機関の乗り方一つ、知らない。人間社会で生きて行くためのルールを知らない。無論、全世界に指名手配された反逆者でなかったとしても、人目につく訳にはいかない容貌だ。食料の調達に寝床の確保、腕っぷしだけではない賢しく狡い裏社会の人間たちとどう交渉して行くかーーそれら面倒な全てを、アレンはウォルフの代わりに担い、息子のような年齢の少年を立てて仕え、手足となって尽くした。
     ようやく初めて本物の〈魔晶石〉の在処をつかんだのは、ロシアーヌより逃亡して半年後、『天災』ハッカーであるスワロウテイルとどうにか縁を持ててから、一月以上が経ってからのことだった。
    「ジャーマニアン?」
    「ええ、そこの製薬会社会長のカスパル・ダンゲルマイヤーと言う富豪が、〈魔晶石〉で出来た刀を所有している、とスワロウテイルが連絡を寄越して来ました」
    「ジャーマニアンってどこ?」
    「ヨーロッパですね。民族対立で度々激しいデモや乱闘が起こっていて、政治的にはあまり安定していません。まあ、貴方が心配するようなものではありませんが」
    「ふーん」
     ホログラフィーを映し出す携帯端末をひっくり返したり裏返したりしながら、ウォルフは気の乗らない風に生返事を寄越す。
     取り敢えず目下の目標として〈魔晶石〉の探索と、組織化のための人員集めを掲げていたが、一口に『世界の敵になる』と言ったところで、どう動くのが正解であるのかは、アレンにも解らなかった。
     過去にだって様々な人間が、国家クラス大陸クラスの軍事力と権力でもって世界の覇者になると言う夢を実現しようとして来た。
     しかし歴史を見れば解るように、未だにそれを成し遂げた者はいない。
     マニュアルもなければ、ウォルフに明確なプランがある訳でもないだろう中で、手探りの仕事はなかなか困難を極める。ようやく掴んだ糸口ではあったが、彼がやりたくないと言うのであればまた別の方法を模索しなければならない。
    「いかがしますか?」
    「うん、行こう。ナメられるのも癪だからね」
    「ナメられる?」
    「蝶々野郎はこっちの素性を掴んだんじゃないかな。それで、僕たちがこのミッションをクリア出来るかどうかテストしてる」
     ウォルフは微かに双眸を細めると、ホログラフィーの向こうに存在するであろう情報屋の実体を、射殺さんばかりの殺意を滲ませた。
    「それはつまり……今後、〈魔晶石〉の情報を渡すに値するか否かを見定めようと?」
    「そう……こいつは優秀だけど曲者だ。だからこそ、使えるようになれば強い」
    「……危険では?」
    「アレン」
     人好きのする懐っこい笑みが、切っ先の鋭さを帯びて歪む。狩りをする獣の、眼。
    「言ったろう? 僕は世界の敵になるって。危険じゃない場所なんてこの世界にありはしないさ、だから力が要る」
     ぺろり、と舌舐めずりをした端から鋭すぎる犬歯を覗かせて、ウォルフは嗤った。
    「お前が盾になって僕を守れ。お前が矛となって道を拓け。そうして出来た轍に、僕が世界の残骸を亡骸を積んでやる」
    「……御意」
    「そいつのデータは送ってくれたんだろう? だったらどうやって攻めると『楽しいか』、お前の意見が聞きたい」
     頷き、送られて来た資料を展開すると、アレンは考えられるいくつかの案を提示した。
     正直なところ、これがどれほどの正確性を誇るのかーー『情報屋として、いかな派閥にも権力にも与しない、完全完璧な中立者』を豪語するスワロウテイルがどれほど信用に足るのか、それはこちらもテストをしているのと同じだ。
     積んだ札束の分、細かい情報が来るのか、信頼度の高い情報が来るのか。
     恐らくはその嗅覚も試されているのだろう。
     しかし、ウォルフがやると言うならば、それを万全にサポートして必ず刀を手に入れて見せる。


    * * *


    →続く