あちこちで男たちの声が上がる。人数で来られては、さすがに不利だ。舌打ちをこぼして角を右手に折れる。
     瞬間、振り下ろされた角材が鼻先を掠めた。咄嗟に飛び退って距離を取る。三人ーー内の一人が「いたぞ、ここだ!!」とでかい声を張り上げた。冷たい雫が頬を背中を伝う。
    ーー逃げて……その後は?
    「諦めて大人しくしろ!」
     翻る角材を掌で受け止める。そのままぐっと力を込めて握り込むと、太く頑丈なはずのそれはまるで頼りない小枝か何かのように、呆気なくへし折れた。ついで横合いの死角から繰り出された鉄パイプも紙一重で躱し、短く息を吐き出すと同時相手の顎に掌底を叩き込む。坊主頭の男は、呆気なく意識を失ってその場に頽れた。
    「このクソガキ……っ!」
     が、角材を手にしていた長髪男は逆に煽られたようで、今度は躊躇なく己の拳を繰り出して来る。
     充分に体重の乗った一撃だ。何か格闘技を学んだ、と言うよりは、単に暴力を振るい慣れている。けれどそちらの方が相手がどうなろうと構わない分、壊すことに躊躇がない分、何倍も恐ろしいことを閃光は知っていた。
     掻い潜り、代わりにがら空きの脇腹に一撃。しかし、手加減すると体格差がもろに出るため、先程とは違い停止させるにはいまいち勢いが足りなかったらしい。腕を捕まえられ、鋭く膝が捩じ込まれる。
    「…………っ、ぐ!」
     蹴り飛ばされるようにしてゴミの山までぶん投げられた。ポリバケツや空ケースを捲き込み倒しながらアスファルトに転げると、躊躇なく金属バットがフルスイングで振り下ろされる。
     ぎりぎりでそれを躱したものの、再度長髪男の蹴りが体勢を整え切る前に側頭部に炸裂した。重たい一撃にぐらりと視界が歪み、意思に反して膝が落ちる。踞ったまま立てない閃光を押さえ込み、長髪男は懐からナイフを取り出した。
    「殺すなって言われただろ!?」
    「殺しゃしねえよ。脚だけ……」
     ガッシャン……っ!!
     男たちのやり取りを、閃光が振るい上げた酒瓶が割り砕く。完全にもう抵抗出来ないと踏んで、油断していたのだろう。ビール瓶よりも重い日本酒の瓶だ。ちょっとやそっとの衝撃では割れないはずのそれを食らって、長髪男は代わりに汚い路地裏に昏倒した。
    ーー今の内に……
     立ち上がり、踵を返そうとしたそこへ響く、幾つかの銃声。
     想定とは違う事態に震えながら金属バットを構えている男が呼んだ加勢が、兄貴分の金城が引き連れた団体が、ようやく追いついて来たのだ。
     男にとっては何より頼もしい援軍、閃光にとっては沸いた障害ーー土砂降りの雨では匂いも紛れてすぐに散る。雨音と水滴に気配も微音もかき消される。狭い通路の出入口両側を塞がれては、逃げ道は上にしかない。ましてや、相手はいくつか不明だが銃持ちだ。圧倒的に不利だった。
    ーー降りるべきじゃなかった……跳べるか……? それとも……
    『……俺を頼れよ、兄弟』
     己の内側から響く声に、ぞわっと総毛立つ。時折こうして閃光が窮地に陥る度、未だにこうして自分を解放しろと囁いて来る獣の猫撫で声が、逆に覚悟を決めさせた。
     ひゅっ、と短く息を吐くなり、割れて先が尖った酒瓶を片手に、閃光は真正面の金城に向かって飛びかかる。その弾丸のような突撃に、対応出来る者などいはしない。アスファルトを濡らす水が弾けた、と思った時には、既に閃光は彼の目の前にいる。
    「な…………っ!?」
     が、その目的は男を刺すことでも、人垣を崩すことでもなかった。
     避けようと、揺らぐ巨体を髭面を『踏み台にして』強く高く跳躍する。散々ダメージを与えられ、数日間の監禁生活でまともに食事も睡眠も採っていない、とはとても思えないほどの、瞬発力とジャンプ力。
    「うわ……っ!?」
    「やめろ、まだ撃つなアニキに当たる!」
     飛び交う怒号と銃声が遠い。
     研ぎ澄まされた閃光の意識は、誤差なく建物の外灯を掴み、たわんだ全身の筋肉がそのまま振り子のように体躯を持ち上げる。ぐわ、と放物線を描いた閃光は上手く屋根に跳び移り、そのまま男たちの頭上を駆けた。
    「くっそ、回れ! 絶対捕まえろ!!」
    「アニキ、血が……」
    「だからだろうが!! ただじゃすまさねえ」
     金城が鼻血を拭って歯軋りしていると、遠くからパトカーのサイレンの音が近づいて来た。何度も響いた銃声を聞いて、いかな治安がよくない街だとは言え、誰かが通報したのだろう。
     さすがに、こんな状態を見られて睨まれる訳には行かない。


    →続く