「どうするつもりだ、あんな厄介者……」
     受話器越しに鼓膜を叩く声は、いつもに増して手厳しい。コツコツと小さな音が断続的に響いているのは、彼ーーブラッド・シャインストーンが苛立ちを覚えている際の癖である、ペンの尻でデスクをノックしているせいだろう。
     誠十郎の主治医である彼の専門は内科であったが、医師免許があれば取り敢えずは戦線に駆り出され、片っ端から患者を宛がわれた軍医の経歴があるおかげで、閃光の手当てを任せられたのだ。
     傷の手当ても多少の処置も手慣れたものではあったが、故に彼があらゆる意味で『普通』ではないことを察したものらしい。このご時世、撃たれた少年などまともであるはずがないのだ。後ろ暗さしか感じられない危険なものを、わざわざ抱え込もうなど、それまでの誠十郎からすれば、気でも触れたかと思われても仕方があるまい。
     しかも己の見立てが正しければ、少年はここのところ近隣の裏社会を賑わせている〈黒き獣〉ではないか、とこぼしたものだから、ますます主治医の眉間の皺を深くしてしまっただろう。
    「さて、どうしたもんかな……わしも、自分で理解しかねている」
     苦笑混じりに誠十郎がそう返すと、深々とした溜息が溢された。
    「得体が知れん……医者として言わせて貰えば、ありゃヒトじゃない。よくて、どこかの生物兵器の流出したもの、まずけりゃ世界が滅びかねん。お前、もうヤバい仕事は引退したんだろうが」
    「そうじゃよ、悠々自適に恩賞暮らし。この国はいいぞ、水が美味い。だから米も酒も魚も美味い」
    「だったら、そのまま大人しく引っ込んでろ。今さら老いぼれが動こうとするな。せっかく拾った命を無駄にするこたぁないだろう」
     この古い友人なりの心配を、誠十郎は嬉しく思う。こうして悪態を吐いてくれる相手も、もう片手で足りるほどしか残っていないのだ。
     煙草をくわえて火をつけながら、
    「何もせんよ。わしは迷い犬を拾うただけじゃ。逆らうつもりも動く余力も、もうありゃせんさ」
    「そいつが狼だったら、迷わず自慢の得物で頭撃っ飛ばせよ、と言う話だ。噛まれたら、怪我じゃすまんぞ。腕は鈍っちゃいないだろう?」
    「ああ、肝に命じておくよ」
     ゆっくりと紫煙を吐き出し、誠十郎はぽつりと問うた。そうして言葉にして初めて、いつも偽り殺し続けて来たはずの自分の本心に気づく。
    「なあ、ブラッドよ……今さら何かを手元に置こうなんぞ、何かを残したいなんぞ、わしらしくないエゴかの?」
    「歴史に名を残すは汚点、そんな速さで世界は救えぬと言ったのはお前だ。だが、」
     いつの間にか、受話器の向こうのコツコツと言う音は止んでいた。
    「種は次世代を連面と紡ぐために生きている。生物とは本来そうあるべきだ。もう、いい加減弾丸だって立ち止まっても許されるだろう……全てを捨てて来たお前が、今さらでも誰かと共に生きたいと願うなら、俺は朋友として嬉しく思う」
     果たして、それを世界がよしとしてくれるかどうかは、また別の話だと言うのは、お互い口にしなかった。生かしたことを後悔するかもしれないーーそんな経験だけは腐るほど重ねて来た二人だ。
     そしてまた、それを葬り始末することも。


    * * *


    →続く