「本当に行くの? 平太くん……」
    「ああ」
     見送りに来てくれた春華の声を背中に聞きながら、荷物の紐をしっかりと結ぶ。大事な荷だ。万が一傷が付いたり失くしてしまったりしたら一大事である。
    「でも……」
     躊躇するように幼馴染が言いよどんだ理由を、解かってはいたが敢えて問い質さない。自分の中でも綺麗に整理が付いているのかどうか、と問われれば、きっぱりと頷くことが出来る自信が平太にはなかった。
    「平太くんは嫌ってたじゃない。刀も、眞撰組も……なのに、どうして……」
    「今でも好きになった訳じゃねえよ。ただ」
     靴紐を結んで立ち上がる。とんとん、と具合を確かめてから、時計を確かめる。時間はちょうどいい頃合だ。
    「あの時の俺も、今の俺も、あいつらと同じなんだ」
     守りたいものがある。
     これは、戦う者ではない春華には解からない感覚だろう。身体を張って、例え己が傷ついてでも守り通したいものがある。自分に――それだけの力があると言うのなら、大切な誰かを何かを守るために精一杯使いたい。
     そうすることで有希の償いになるとは思っていないけれど、それでも。
     あの心優しい妹は、笑って見守ってくれるような気がした。
     俯く卑屈な兄の背中は見せたくない。見過ごしやり過ごし、平穏な外野からとやかく言うような輩では自らを誇って彼女の前に立てない。
     あの時成せなかったことが、今のほんの少しは成長した自分に成せるならば。
     僅かな言葉の中で春香が一体平太の変遷の何を感じ取ってくれたのかは解らないが、彼女はそれ以上引き留めるような真似はしなかった。
    「そっか……じゃあ、身体に気をつけてね。平太くん、意外と抜けてるとこあるから、その……怪我とかしないように」
    「ああ、ありがとな。春香。じゃあ、行って来る」
     荷物を背負って、馴染み深い寮の部屋を出る。これから新生活を迎える平太は一般寮から身を移さねばならない。
     寂しくないと言えば嘘になるが、変わりたいと願った自分に一歩近付くためのスタートだと思えば、心が高揚するのもまた本当だった。
     階段を下りかけたところで春香が声を上げる。
    「平太くん……キャップ忘れてるよ!」
    「ああ……それ、もう要らねえよ」
     慌てて駆け寄って来ていつもの白いニットキャップを差し出す春香の手を、平太はやんわりと押し返した。
    「え……でも、これ」
     いつも額の目立つ傷を隠すために被っていた。
     悲劇が起きる前に、有希が誕生日プレゼントにくれた大切な形見。
     八年前の甘い思い出と苦い思い出が一緒くたになって、雁字搦めに平太をあの場所に縛り付けていた大切な鎖。
    「もう、要らねえよ。有希の墓に持ってって」
     隠す必要はない。
     この傷が、今の自分の証だ。
     もう一度剣を取る決意の証だ。
     けれどまだ、自分であの前に立つことは出来なくて、春香の華奢な手にぐっと思いを託す。上手く言葉に出来なかったが、彼女は小さく頷いた。
    「ちゃんと……いつかは自分で行くんだよ?」
    「ああ」


    * * *


     先日見たばかりの眞撰組屯所の大きな門。
     達筆な文字で書かれた看板の前に、近藤や歳哉、総次郎らたくさんの隊士たちが並んで立っていた。あんな様子では歓迎されるどころか門前払いされるかもしれないと思っていたのに、出迎えてくれた。
    「……絶対、来ると思っていたよ」
     近藤がニヤリと笑う。
    「ふふ……これでまた、楽しくなりそうなのです」
     眼差しが少しも笑っていない総次郎の言葉。
    「使えなかったら即刻腹を斬らせるからな」
     相変わらず厳しい歳哉の視線。
     平太はぺこりと頭を下げた。
    「今日からこちらでお世話になります」
    「よーし、八番隊隊長藤堂平太の誕生だ! これで十番隊全部隊長が揃ったな。めでたいめでたい!」
     わあああ! と歓声が上がる。それをどこか照れ臭く感じながら、平太は門の中に足を踏み入れた。
     風が吹いて、背後で桜の花弁が一片宙を舞った。

    以上、完。