「な、何だてめえっ!?」
     手下たちが我に返ったように誰何する。
     その視線の先に立っていたのは、一人の少年だった。
     こんな時、こんな場面に佇むのは大よそ似つかわしくない一見役者のような精悍な容貌である。
     短く無造作に刈られた漆黒の髪、すっと通った鼻筋と薄い口唇。切れ長で涼しげな眼差しは、冷たさと強い意志の炎が同居しているような光を湛えている。バランスの取れたしなやかな身体つきはしかし、一分の隙もなく牙を剥く大型の肉食獣を思わせ、その場に立っているだけで後退さりたくなるような雰囲気を漂わせていた。
     それは彼が纏った浅葱色の制服のせいなのだろうか?
     それが意味するところは。他の生徒が纏うことを許されないその衣裳は。
     彼らの覚悟故の隊服だ。
     呆れたように溜息がこぼれる。
    「ふん……三下は台詞まで似通ってるらしいな。おい、テメーら〈能力者〉だろう。大人しく屯所まで同行して貰うぞ」
    「と……屯所!?」
    「ま、まさか……」
    「この街でこの制服を知らねえなんざ言わせねえ。俺は学園警察眞撰組【しんせんぐみ】副長、土方歳哉【ひじかた としや】だ! 従うなら良し、刃向かうならば即刻斬り捨てる!」
     少年――歳哉の凛とした一喝に、それまで粋がっていた少年たちの顔が一気に青褪めた。
    「み……壬生狼【みぶろ】だっ! 壬生狼が来たぞ!!」
    「逃げろぉっ!」
     わあっ、と叫んでバラバラに散りかける。
     が、一人だけ負傷させられた安立は自らの保身よりもプライドを優先させた。野太い声で吼える。
    「馬鹿言え、こいつ一人じゃねえか! 逃げたなんて言ったら、末代までの恥だぞ!!」
     その声に全員が立ち止まった。現状を思い出したらしい。味方は七人、いずれも腕に覚えのある悪ガキ共である。
     彼らに取って面子は非常に大事なものだ。
     他のグループにナメられたりなどしたら、この街を出るまでずっと肩身の狭い思いをして生きて行かなければならなくなる。獲物を狩る権利がなくなる。暴れる場所がなくなる。いい思いが出来なくなる。
     一度その旨みを知った自らの欲望に忠実な少年たちは、到底それに耐えられるはずがなかった。
    「そうだな……せっかく副長さんが引き止めてくれたんだ。すぐに帰ったりしたら失礼か」
     それぞれの顔に浮かぶ下卑た笑み。
     面子と風評を守った後は、思う様目の前の彼をいたぶってやろうと言う思惑が丸解りだ。一体何処に隠していたのか、手下たちの手にもそれぞれ凶悪な得物が握られている。
    「……下らんな」
     歳哉はなおも挑発するようにやれやれ、と溜息をつく。
    「相手が一人なら勝てる、ってえその浅はかな自信は一体どこから来るのやら……下等生物の思考回路は理解に苦しむ」
    「てめ……っ! 口の利き方に気をつけるようにお仕置が必要みたいだな」
    「おいたが過ぎると泣いちゃう羽目になるぜぇっ!」
     少年たちは激昂した勢いのまま、いっせいに歳哉に飛び掛かった。
    「危な……」
     平太は彼が地面に組み伏せられる幻影を見たような気さえした。
     が、それはあくまでも錯覚で、実際に目にした光景はまるで――時間が止まっているかのようだった。
     伸ばされる腕や得物の群れを紙一重で掻い潜って、ひゅん、と無造作に黒鞘が宙に放り投げられる。
     瞬間、露わになった白刃が煌めいて、鞘に気を取られていた安立の体躯を斬り下げた。体重差が優に倍はあろうかという縦横に大きな影が、呆気なく吹っ飛ばされる。
     傾いだその顔面を踏み台にして、歳哉のしなやかな身体が裂帛の気合と共に舞った。
    「ふ…………っ!!」
     着地と同時に一閃。
     落ちて来た鞘が音も立てずに掲げられた刃を飲み込むと同時、立っていた少年たちが一斉にばたばたと頽れた。
    ――す、すげぇ……
     目で終えただけで五太刀。
     翻る手首に無駄がない。身体の捌き方に余念がない。荒々しくはあるが、圧倒的なまでに邪魔なものを削ぎ落とした、苛烈なまでに激しく鋭い剣筋。しかも全員が寸分違わずに一撃で仕留められている。演舞のように優美で華麗な動きでいて、その凄まじい迫力は彼が幾多の修羅場を潜って来たことの証だった。
    「だから言っただろう、下らん、と。峰打ちしてやっただけ有り難く思え」
    「ぅ……」
    「おいたが過ぎるとお仕置が必要なんだったか? そのゴリラみてえな面それ以上ぼこぼこにせず骨の二、三本で自分の狭量を勉強出来たなら、安いものだな」
     夜闇色の双眸が皮肉気に細められた時、幾つかの足音が近づいて来た。
     すわ新手か、と自ら対峙する訳でもないのに身構えた平太の視線の先に、四人の少年が駆け寄って来た。いずれも歳哉と同じ浅葱色の制服を身に纏っている。
    「副長ぉっ! もう毎回毎回お一人で先に行かないでくださいよ」
    「テメーらが遅いんだ。もっと精進しろ」
    「もし何かあったら……って、あれ? これ副長がお一人で片付けたんですか?」
    「ああ、〈能力者〉共だ。捕縛して連れて行け」
    「解りました!」
     命じられ、慣れたもので手際良く倒れて気絶している少年たちに手錠をかけて行く隊士たち。それを見遣って、もう大丈夫そうだと確認した。
     いや、例え自分がいたところで彼の助けになったとは到底思えないが。
    ――さっさと行こう……
     これ以上変なことに巻き込まれると遅刻してしまう。それは限りなく迷惑だ。ただでさえ時間は押しているのである。
     係わり合いになるまいとそろそろ後退さっていたところを、部下に手抜かりがないか見守っていたはずの歳哉に声をかけられた。
    「おい、そこの三白眼」
    「え……俺ですか? な、何か?」
    ――こいつ、背中に目でもついてんのか……?
     重圧すら感じるほどの鋭い眼差しで睨みつけられて、平太は思わずびくりと背筋を正した。
     後ろめたいことは何もないはずだが、そんなこととは無関係に向けられると決まりが悪くなるような視線である。大よそ、同年代のものだとは思えないほどに迫力があった。
    「こそ泥のみてえにどこに行こうとしている」
    「え……別に、予定通り登校するつもりですが」
    「馬鹿言え。テメーが向かうのは学校じゃねえ。眞撰組の屯所だ。学校の方にはこちらから連絡を入れておく。生徒手帳を見せろ」
    「いや、何で……俺、絡まれた被害者なんスけど。あ、それとも一応こう言う場合って両方から話聞いたりするんスか? 放課後じゃ駄目なんスかね」
     怪我をしてぼろぼろにされたとは言え、金銭的実害はなかったのだから平太としては改めて情けない届けを出すつもりはない。この程度のことなら学生をしていれば誰でも、運が悪ければ一度や二度は経験することだ。それとも、また狙われることを心配して誰か一人くらい護衛をつけてくれるのだろうか?
     ならばさっさと聴取はこの場で済ませて欲しいものである。
     しかし、少年は訝しそうに眉を寄せ、
    「何を意味の解らねえことを……まさか〈能力者〉が周囲の人間に影響を及ぼすことを知らねえのか? 万が一、テメーに伝染【うつ】っていたら被害が拡大して俺たちの仕事が増える。だから屯所できちんと検査を受けろ。学校に行きてえならそれから行きゃあいいだろ」
    「は、はい……」
     身も蓋もない言い方をされ、平太はがっくりと肩を落とした。

    * * *

     〈若年突発性異能進化症候群〉――通称〈ネオジェネレーション・シンドローム〉と呼ばれる病気が突如として猛威を振るい始めたのは、今から十年ほど前のことだ。
     十歳から十九歳までの若者たちが、全国各地で凶悪な殺傷事件を起こす出来事が多発したのである。
     彼らはいずれもその身体に異常を来たしていた。
     ある少年は大きく硬化した怪腕でビルを薙ぎ倒し、ある少女は背中に生えた翼で飛び回る。無差別かつ無作為に他人を襲い、街は破壊され、人々は恐怖のどん底に突き落とされた。
     明日は我が身か?
     それとも己の子か?
     疑心暗鬼に苛まれ、いつ変化するとも知れない身体を嫌悪し、自殺や子供を殺す悲惨な事態が社会全体を席巻し、まさしく人類滅亡の危機かと識者たちも頭を悩ませていた時、一つの提案が投げかけられた。
    「発病するのが十歳から十九歳までの少年少女たちに限られているのなら、彼らを隔離してしまえばいい。誰がどこで発病するのか解らないから、皆パニックに陥るのだ。一所に集めておけば、その中で始末はつけられるではないか」
     勿論、子供たちの人権を無視して家畜のような扱いをしなければならないこの案に、人々は猛反対した。
     必ず発病する保証はない、発病しなければ危険な場所に我が子を野放しにしなければならない、そんな提案を受け入れられるはずがない。
     ましてやそれが病気なのかどうか、感染経路や治療法すら定かでないのだ。
     その場凌ぎの言葉で片づけられては堪ったものではない。
     しかし、日々増加して行く凶悪犯罪と痛ましい事件の連続に、政府はとうとう反対意見を押し切ってその提案を法案化した。
     一つの都市を丸ごと鉄壁の檻にして、全国各地の対象少年少女を収容、管理する――それが『ネオ京都計画』である。
     京都、とは言っても本当の京都を丸ごと学園都市にしてしまう訳ではない。何しろ彼の地は〈若年突発性異能進化症候群〉の第一罹患者が発病した地とされていて、まるで天災でも降り注いだかのように更地と化しているのである。
     政府は近海の広大な埋め立て地(本来はバブル期に遊園地でも作るつもりだったらしいが、会社が倒産して見捨てられていた土地だ)を全面的に改装・強化し、出入口は海上の橋一つ、周囲をぐるりと頑丈かつ巨大な外壁で囲まれた、恰も脱走不可能と言われた某監獄島のような体裁の代物を作り上げたのだ。
     その内部、街並みは往年の千年王都のように碁盤目状に区画整理され、年齢別に男女分かれた寮が建ち並び、校舎や特別棟など学校施設が構えられている。
     少し離れた街には、ストレスをかけないようにと外部から品物が入って来る完全システム化されたショッピングモールが揃えられていたり、スポーツ施設が整えられていたり、公園やレジャー施設まで併設されていて、「大人がいない」と言うことを除けば、普通の街と何一つ変わらないレベルで生活が出来る。
     十歳でここに来る時にありとあらゆる生態情報を登録され、その後も毎月の定期健診などで健康状態を厳しくチェック・管理されるため、ここにいる限り全ての行動が所謂顔パス・手パス(網膜チェッカーや静脈認証など)でこなせてしまうため何の不便もない。
     寧ろパラダイスだ。
     はっちゃけ過ぎて問題を起こさなければ、本来なら会うはずもなかったたくさんの友達も出来るし、楽しい時間を過ごすことが出来る。
     相変わらずいつ自分が発病するか、発病した誰かに襲われて運が悪ければ死んでしまうか、と言う恐怖はあるにしろ、定期健診の度に抑制のための薬を渡して貰えるし、十九歳まで頑張れば晴れてこの街を卒業することが出来る。
     大人たちが心配したよりも遥かに順応して、子供たちは新たな生活を送ることが当たり前になった。
     それにこの街にはきちんと警察機関がある。
    〈能力者〉として覚醒した生徒はいないか、暴れて揉め事を起こしている生徒はいないか、困ったことや事件は起きていないか――二十四時間体制で、常にこの街を巡回・警護する特別機関。
    それが学園警察眞撰組だ。

    * * *

    →続く