「体温・脈拍・呼吸器官系・瞳孔反応・血液検査・レントゲン・その他一通りの検査が終了しましたが、一応今のところ異常は見つかりませんでした。最も〈能力〉によっては三日から数年の潜伏期間を持つものもありますから、絶対大丈夫、感染していないと言い切ることは出来ませんがな。あ、それと少々脚気の気があります。現代人としては珍しくもないですが」
    「……脚気は関係なくないですか?」
     眞撰組屯所の片隅にある診療所。
     愛想も何もない『診療所』と筆で書かれた看板の中は、いよいよ愛想がなかった。
     薬や治療器具が並んだグレーの棚が一つ、皺一つない清潔そうなベッドが一つ、後は資料が山積みになった書棚に半分を占められパソコンが落ちそうになっている机と、医者と患者が座るための丸椅子のみ。
     診療所、と言う割りには消毒薬などの独特な臭いもせず、どちらかと言えば保健室にでも来ているような感じである。
    「一般的に生活する上では関係も問題もありませんよ。もし貴方が眞撰組隊士であったなら、副長から即刻脚を斬り捨てられていたでしょうが」
    「…………そんな『もし』は永遠にないから大丈夫です」
    ――今日は何かやたらときらきらした美形に会う日だ……
     機械よりも機械らしい医師に検査結果のカルテをぽいっと投げられて、平太は居心地悪くそれを受け取った。
     やたらと造作の綺麗な少年である。この顔は作り物です、と言われても、平太は素直に信じられるだろう。感情も表情も読めない能面のような顔の中央に収まる双眸も硝子玉のようだ。
     が、それよりも。
     この街には同年代しかいないことは重々承知しているが、この検査機関においてもそれは例外ではないらしく、平太は気安さよりも逆に不安が募った。
     せいぜい二つ程しか歳が違わない彼が作ったカルテは、信用出来るのだろうか? そもそも検査自体は正確に行なわれているのだろうか? 確かに彼の手つきは鮮やかで馴れた風だったが、何か変な薬とか――
     予想していたように、手術台に縛り付けられて改造手術を施されるような感じの悲惨な結果にはならなかったが、余りにも普通過ぎる検査が続いたせいで拍子抜けしたのは確かだった。
     そんな気持ちが顔に出たのだろう。
     白衣の少年医師はふん、と鼻を鳴らすと手にしていたボールペンをくるくると回しながらこちらを見遣った。
    「信用出来ないなら医師免許を見せた方が良いですか? 他にも看護士、介護福祉士、レントゲン技士、薬剤師、整体師などなど医療に関する資格はほぼ取得していますが、何か問題でも?」
    「い、いえ……何もないです」
    「納得出来たところで、それを持ってそのまま局長室へと向かって下さい。では」
     話はこれで終わり、と言うように、愛想の欠片もなくくるりと椅子の背を向けてしまう彼に、平太は慌てて立ち上がった。一応ぺこりと頭を下げる。
    「あの……検査ありがとうございました。ってか、局長室って何ですか?」
    「眞撰組局長近藤勇理【こんどう いさり】さんの執務室兼私室です。本館の一番奥にあります。向こうへ行けば、誰か案内してくれると思いますが」
    「いや、そう言う意味じゃなくて……何で俺がそんなとこに? 本当は何かヤバい結果が出てて、そこで処断されるとか何とかそんなのですか?」
    「………………」
     座った眼差しで少年医師が再びくるりと椅子ごとこちらを向く。
     上から下まで値踏みするような視線を投げた後、彼はふむ、と実に絵になる優美な仕草で顎を摘んだ。
    「局長からは『面白い奴が来たから、検査が終了次第自分のところに呼んでくれ』としか承っていませんが……貴方は芸人か何かですか?」
    「いや、違います……」
     思い切り脱力して、平太は診療所を後にした。

    * * *

     真っ白で潔癖さすら窺える建物を出て、右手に折れる。
     正面門は確かそちらにあったはずで、その奥に位置していた大きな建物が恐らく本館と言うやつだろう、と平太は勝手に当たりをつけていた。
     この『ネオ京都』の中心部――壬生【みぶ】に据えられた大きな施設。
     強固で堅牢でまるで要塞の体を成す、最早一軍事組織だと言っても過言ではない学園警察眞撰組屯所である。
     広大な敷地の中には建物が幾つも並んでおり、それぞれ役割が分かれているらしい。先程の診療所もそのうちの一つだ。
     隊士として招集された生徒は、一般の寮ではなくこちらの宿舎で生活する決まりとなっている。二十四時間体制で巡回を行なうことや、街のどこにでも即時駆け付けられるようにと言う配慮からこの位置に存在し、なおかつ厳重な警備が施されている訳だが、おかげで『ネオ京都』では随一の安全を誇る場所となっていた。
     入って来た時は眞撰組の車だったからあまりじろじろ見ている余裕がなかったのだが(だってアレは完璧に護送車だった。鉄格子と言うか金網がついていたのだ)、開かれたままの重たそうな分厚い門の前には槍と刀を装備した、戦国時代かどこかから来たような少年が二人両脇に立っている。
     さすがに鎧は着ていないが、彼らだけに許された色の制服を纏い、額宛のついた鉢巻を巻いているところなどは雰囲気たっぷりだ。
     検査を受けている間にすっかり真上を通り過ぎてしまった太陽の光が、彼らの影をそこだけは相変わらず現代的なアスファルトに縫い付けていた。
    「あ、あのー……」
     声をかけると鋭い視線が飛んで来る。
    「一般人がこんなところで何をやっている?」
    「ここは学園警察眞撰組屯所だぞ! ふらふらと遊びに来ていいところじゃない!」
     基本、事を荒立てることを望まない平太ですらかちんと来る口調だった。
    ――何だその上から目線……
     確かに彼らは選ばれた立場にいるのかもしれないが、元々は同じ学生なのだ。頭ごなしに怒鳴られるような筋合いなどない。ましてや平太は、自分の意思とは無関係に強制的に連れられて来たのである。
    「いや、遊びに来たんじゃなくてだな。局長の近藤? って人から呼ばれたみたいなんだけど、本館ってあの建物でいいのかな?」
    「局長を呼び捨てにするな、無礼者が!」
    「貴様くらいの用件ならオレたちが受ける。何の用だ」
    ――あ、ホント腹立つ……何だその言い方。さっきの男思い出してムカつくんだけど……!
     診療所に平太を放り込むなり、「後は頼んだぞ、山崎」と言ってさっさと姿を消してしまった歳哉を思い出して、思わず眉が寄った。
    「そんなこと言われたって、俺だって知らねえっスよ。用があるのはそっちでしょ」
    「何だと!?」
     隊士の少年たちが気色ばんだその時である。
    「おっ嬢さあああああん! 君、新人だよね? え、あ、そう。いつからこっち勤務になったのかな?」
     一触即発の空気にそぐわない軽薄な声音と台詞が、敷地内に響き渡った。
     見れば白い制服を纏った長身の男が、書類をどこかに持って行く途中だったらしい女の子を捕まえて熱心にナンパをしている最中である。
     困惑している女の子が迷惑がっているのは明らかだったが、彼はそれに気付いた様子もなく、また気付いたとしても気にしなさそうな押せ押せっぷりで女の子に迫っていた。傍目から見ると黙っていれば自然に女の子がたくさん寄って来そうなイケメンなのに、何だかとても残念な人物である。
    「あーあ……天下の眞撰組があんなじゃなあ……」
    「あ……あれは!」
    「局長やめて下さいっ!!」
     女の子の悲鳴に近い抗議が響き、隊士たちは「あちゃあ」と言いたげに顔を掌で覆った。
    「きょくちょう……」
     局長=眞撰組で一番エラい人。
     平太が思わず指差すと、隊士たちはヤケクソのように叫んだ。
    「そうだよ、あの人が」
     ごしゃあああっ!
     何故か飛んで来た一斗缶が二人の頭を直撃してアスファルトに転がった。
     次いで、滑り込んで来た車輌が遠慮も躊躇もなくナンパ男をはねる。見事なドライビングテクニックで弾き飛ばされた彼は嫌な音を立てて地面に落下して奇妙な姿勢でごろごろと転がった。
    「………………」
     思わず呆気に取られて茫然と見守る平太の目の前で、ガチャリと運転席から降りて来た少年は、誰であろう歳哉である。何事もなかったかのように死体のようなナンパ男を後部座席に押し込む彼に、
    「あの……今、きょくちょ」
    「何をぼさっと突っ立ってやがんだ。さっさと中に入れ」
    「あ、いや……今、きょ」
    「何だ」
    「いえ……何でもないデス」
     じろりとこちらを睨み付けて来る歳哉の迫力に押されて、平太は言葉を飲み込んだ。世の中には黙っておいた方が良いことも多々あるのである。

    * * *

    →続く