「……と言う訳で、俺が眞撰組局長をやっている近藤勇理【こんどう いさり】だ。よろしくな」
    「……………………はあ」
     局長室である。
     十二畳の和室に文机が置かれ、床の間には『誠』と書かれた掛け軸(彼の手習いなのだろう、多分)と淡い桃色の花が活けられた花瓶。その甘い匂いが緊張する心を幾分か和らげてくれる。
     それを背に堂々と名乗った青年は――本来ならひどく整った顔をしていたはずだ。意志の強そうなくっきりとした眉と双眸、彫りが深く、黙っていればすらりとした肢体も相俟ってモデルか何かのような華やかな雰囲気がある。
     しかし、声まで完璧に魅力的なのに吐き出される言葉はぺらっぺらに聞こえた。先程軽いノリを見たせいかもしれないが、「胡散臭い」と言うのが正直な感想だった。
     組織の長と言うのは多かれ少なかれ、もう少し貫禄があるものではないのだろうか?
     少なくともこんな感じの人物ではないと思う。
     特にあの頭の固そうな少年の上に立つにしては、ユル過ぎる気がした。
     おまけに今は両頬が腫れ上がり、目元には青痣が刻まれ、ズタボロの体を成している。カッコつけて挨拶されても何と答えればいいのか解からない。
    「はあ……」
    「そう畏まらずに、楽にしてくれたまえ」
    「……はあ」
     平太は曖昧に返答して、けれど正座を崩すことが出来なくて僅かに身動ぎした。
     近藤の右隣には彼より二周りほど小柄な少年がこっくりこっくりと座ったまま船を漕いでいる。
     ひどく童顔だ。高等部の制服を身に纏っているが、小学生と言われても平太は信じただろう。可愛らしい造作の顔立ちは、大よそこんな殺伐とした組織の建物にいるのが似つかわしくない、有体に言えば天使のような天真爛漫な無邪気さが窺える。
    「あー、えっと一応紹介しておこう。こっちは沖田総次郎【おきた そうじろう】君。ウチの一番隊長、一番強い子さ」
     つんつん、と肩を突かれてゆっくりと双眸が開く。半分だけ。遠慮の欠片もない盛大な欠伸がこぼれた。
    「ふああぁ……もうお昼ご飯の時間ですか?」
    「何を寝惚けてるんだよ、昼食はさっき食べただろう?」
    「そうでしたか? よく覚えてないのでS」
     台詞の途中からまたも「ぐーっ」と眠る総次郎。亜麻色の柔らかそうなショートが、頭が揺らぐ度にサラサラと音を立てる。
     その時、す、と襖が開いて先程の少年が一人僅かに低頭して無言で入って来た。近藤が柔らかく破願する。
    「いやあ、トシ。今日も相変わらずイケメンだな。思わず食べてしまいたくなR」
    「セクハラはやめてください局長っつーか両刀はやめてください局長」
     先程の女生徒と同じようにハグしようと飛びかかって来た上官を、歳哉は欠片の躊躇もなく帯刀していた得物で鞘ごとぶん殴った。容赦なく近藤を車で跳ね飛ばした彼にしてみれば、抜刀しなかったのは精一杯の譲歩だろう。それにしては反動で殴られた局長は数メートル先――下座側の柱に激突して埋まっていたけれども。
     それほどの騒ぎがすぐ傍で展開されていても、総次郎は相変わらずうつらうつらしている。
     その向かい側、空いていた席に歳哉は腰を下ろした。
    「ふふふ……相変わらず君の愛は激しい」
    「…………ただ今巡回から戻りました。第三朱雀大通付近にて、〈能力者〉一名と関係者六名を捕縛、〈施設〉へ輸送しております。それと、彼らに絡ま……いえ、接触していた男子生徒一名を保護しております」
     激スルーして報告のみを告げる歳哉。先程立ち回りの時のべらんめえ口調とはエラい違いだ。
     近藤は慣れているのか(いや、この場合は歳哉が慣れているのか?)、気にした様子もなくボコられた顔のままでこちらに向き直る。
    「ああ、彼だね」
    「高等科二年三組出席番号十六番――藤堂平太【とうどう へいた】、と本人確認が取れました。そちらには既に連絡を入れております」
    「相変わらず仕事が速い。優秀な部下を持って俺は幸せ者だよ」
    「勿体ないお言葉で恐縮です」
     折り目正しい仕草で手を付いて深々と頭を下げる。
     今までの行動と全く一貫性がないけれども、それは人前だから一応上官を立てているのか、本当に尊敬の意があるのかイマイチ平太には計りかねた。
     流れた鼻血を拭いながら、近藤は元の席に戻り再び胡坐を掻いた。こちらを見遣ってやはりどこか嘘くさい笑みを浮かべる。
    「で、彼が副長の土方歳哉【ひじかた としや】君。さっき会ってるから、そんなに紹介の必要もないよね?」
    「……はあ」
     ますます居心地が悪くなってしまって、平太は畳の目に視線を落とした。
     彼は何となく苦手だ。そんな空気を感じ取っているのか、それともただ相手をするのが面倒なだけなのか、無愛想なままにちらりとこちらを見遣っただけで歳哉は何も言わない。
     しかし、どうしてこんな場に、こうして自分が呼び出されねばならないのか。
     考えても平太に答えは出ない。
    「あの……」
    「ああ、君を呼んだ理由だろ? 何、大したことじゃないんだが……」
     ひらひらと無意味に手を振って、近藤は唐突にずずいっと顔を近付けて来た。ついでにがしっと暑苦しく平太の両手を握る。
    「君、ウチの隊士にならないか?」
    「………………は?」
     言われた言葉の意味を咄嗟に理解しかねた。
     隊士……? 誰が? どこの?
    「ほら、あの何て言うかな……ウチは欠員が出やすい職場だからさー、一応兵力としてもかなりの人員を確保してるんだけど、どうしても万年人手不足でね。出来れば猫の手ももぎ取ってでも借りたい、と言うか……」
    「…………だからって、絡まれてた被害者を勧誘するのは如何なものかと思うんスけど」
     ドン引いて手を振り払う。
     同性にこんなに詰め寄られると気持ち悪い。ましてや先程歳哉が両刀と言ったばかりの相手だ。例え自意識過剰と言われても背筋がぞわりと逆立った。
     だが、近藤はそんな所作にもめげずに、フフンと笑みを浮かべてみせる。
    「いやいや、藤堂君……ネタは上がっているよ? 君、まだこの街に来る前はエラく有名な剣士だったそうじゃないか。『魁の藤堂』――電光石火の一撃で、相手を一歩も動かさずに倒すんだって? 大人でも勝てるヤツはいないって……東の方じゃ知らない者はいない、と聞いたよ」
    「…………」
     ズクン……
     得意気に語られた己の経歴に、平太は膝に置いた両手をぐっと握り締めた。表情が凍りついたのを自覚する。鼻先を濃い血臭が掠めたようで、歪みそうになる視界を気合でどうにか持ち堪えた。
     さすがに――この場で卒倒する訳にも行くまい。
    「……昔の話ですから、俺には無理です」
    「是非ともその腕を見込んで……って、え? 拒否?」
     近藤は断られると思っていなかったのだろう。目が点になっていた。
     眞撰組はその性質上、より抜き生え抜きの剣客集団だ。
     中には槍や柔術、その他の格闘技にしか通じていない者もいるらしいが、いずれも一流の使い手ばかり――全国各地から集められた十代の少年少女の中にあって、さらに群を抜く連中ばかりが揃っている。
     そうでなければ、彼らの存在意義である『ネオ京都』の治安維持など行えないからだ。
     彼らが相対するのは普通の犯罪者などではない。身体能力に特化し、超人的な感覚を持つようになってしまった〈若年突発性異能進化症候群〉の患者たちだ。
     大人相手ですら向かうところ敵なし、と言うような才能の持ち主である隊士たちをもってしても、どうにか互角の戦いに持ち込めるか否か、というような厳しい状況であるに違いなかった。本来なら国家規模で軍隊総動員となっても可笑しくない事態なのである。
     しかし、いつどこでどのようにして不測の事態が起きるか解からぬ故、と言う尤もらしい言葉で大人は現実を丸投げした。
     それを重く見た数名の有志が、眞撰組を発足させたのである。
     その筆頭である近藤が、まさしく言った通り人員不足に悩んでいるのは間違いないだろう。長である以上、無為に兵を死なせる訳にも行かないだろうし、隊士足り得る使い手がいくら日本広しと言えども早々集まるとは思えない。
     ましてや自らの命を賭けてその仕事に従事してくれるとは限らない。
     そう――平太のように。
    「俺は……随分前に剣道をやめました。怖くて……誰かを傷つけてしまうのが嫌で、剣を握れないんです」
    「…………」
     懸命な人間なら当然の答えだろう。
     万が一、危険に晒されてもその際の無事を保証してくれるものなど何もない。
     それどころか任務は自ら襲われた時に正当防衛をする、と言う甘っちょろい類いのものではない。こちら側から狩りに行き、同じこの街に生活する生徒を手にかけるのだ。
     まともな神経の持ち主ではない。
     それでは〈感染者〉と一体何が違うと言うのか。
     わざわざ危険に乗り込んでいく物好きになれるものか。
     正義感など命取りなだけだ。傍迷惑なだけだ。滑稽で下らなくて自己満足で野暮ったくて恩着せがましい代物だ。
     人がいつでも何か行動を起こす時の大義名分は決まって「正義のため」である。
     それが今の平太には重苦しくて耐えられない。
    「……そうか」
     近藤は酷くがっかりしたように息をついた。
     前評判で期待をさせ、それを裏切ってしまったのは自分の責任ではないにしろ、平太は後ろめたいような申し訳ないような気持ちになる。けれどその理由を、訊かれなかったのは幸いだ、と思った自分が嫌になった。
     それでもこの局長は、
    「ウチで活動していれば慣れる、治ると言う可能性は?」
    「……すいません。俺、今傘ですら折り畳みじゃなきゃ持てないくらいなんです。先端恐怖症……ってやつっスか? カッターナイフとかでも手が震えるんで、刀なんてとても……」
     深く俯く平太に、近藤は困ったような表情を浮かべた。
     思案するようにガリガリと頭を掻く彼の傍らで、鋭い声が上がる。
    「お言葉ですが、局長。こんな腑抜けたヘタレを加入させても、役に立つとは思いません。昔取った何とやらだけで戦線に立てるほどウチは甘くありません。他の隊士の士気にも関わります」
     副長である歳哉だった。
     見下したような視線が平太を貫く。
     それは甘えや妥協や一切の曖昧を斬って捨てる、果断で真っ直ぐな視線だ。ごまかしも偽善も独りよがりな同情も、彼の前では通じまい。その鋼のごとく揺らがない意志をそのまま体現した瞳が、平太は初見から苦手だった。
     己の全てを断罪されているような気がして、酷く居心地が悪くなる。
     眞撰組には副長である彼が作ったと言われる〈局中法度〉なる鉄の掟がある。
     曰く、

      一、士道に背くまじきこと。
      一、局を脱するを許さず。
      一、勝手に金策をいたすべからず。
      一、勝手に訴訟取り扱うべからず。
      一、私の闘争を許さず。
     右に背く者は切腹を申し付け候也。

     時代錯誤とも呼べるこの絶対的な掟の最たるが第一条の「士道に背くまじきこと」だ。敵前逃亡などすれば、戻った屯所でその隊士は腹を斬らねばならない。つまり、敵に斬られるか、自ら腹を斬るか――彼らは常にそんな究極の選択の上にいる。それが嫌ならば己を律し、揺るぎない自信を得るまで精進するより他に手はない。
     心身共に強くなる以外、この場所で生きていく術はないのだ。
    「……心配しなくても」
     平太はゆっくりと立ち上がった。くるりと踵を返す。
    「あんたの邪魔になるような真似はしないさ。自分の了見くらい心得てる」
     解からない。
     解かるはずもない。
     常に強くあり、さらにまだ向上心のある彼には、折れて膝をついた者の気持ちなど解かるはずがない。途中で諦めざるを得なかった者の気持ちなど解かるはずがない。
     それは自分が、どうして歳哉がそこまで強くあらねばならないのか解からないのと同じなのだ、きっと。

    * * *

    「平太くん……」
     屯所の重々しい扉を、さらに重苦しい気分のまま潜って外に出ると、向かいの建物に背もたれるようにして立っていた少女がこちらに気付いて駆け寄って来た。
     まさか誰かが自分を待っているとは思っていなかった平太は、思わず双眸を丸くしてしまう。
    「立花……何でここに?」
    「ご、ごめんなさい……眞撰組に連れて行かれたって聞いたから、心配になって……」
     彼女――立花春香【たちばな はるか】は所謂幼馴染だ。
     遠目で見ても美少女のうちに入るのだろうが、それこそ子供の頃から隣同士で家族ぐるみの付き合いをして来たから、平太にとってはもう一人の妹のような感じだった。共にこの『ネオ京都』に移ってから、男子寮と女子寮と言うことで顔を合わせる機会は減ったが、時折一緒に出かけたり電話やメールをしたりすることは多々ある。
     今回のことも、歳哉は「学校に連絡をした」と言っていたからそれを耳にして血相を変えて飛んで来たのだろう。この街においては『眞撰組屯所に引っ立てられる=〈異能者〉として処断される』が定石だからだ。連れて行かれた本人は状況が状況だけにそこまで危機感を抱かなかったのだが、事実だけを聞いた彼女にしてみれば、さぞかしぞっと血が凍えたに違いない。
     決して強くない身体を押して、戻るかどうかも定かでない自分を春香がここで待ってくれていたことを平太は素直に嬉しいと思った。
     あまり浮かぶことはない柔らかな笑みが口元を彩る。
    「ありがとう、立花。悪かったな……心配かけて」
    「ううん……良かった。釈放されたってことは、何ともなかったってことよね?」
    「…………ああ、うん」
     まさか、入隊して欲しいと勧誘されたなどと口が裂けても言えるはずがない。
     彼女が争い事は嫌いだと言うことを除いても、まともな神経をしていればそれを喜んでくれる友人などそういはしないし、何より平太が辞退した理由を知る春香はまるで自分が言葉の刃で斬りつけられたように痛ましく顔を歪めるだろう。
     ともあれ、そうそう滅多に眞撰組と関わるような事態に陥ることはないはずだ。
     自分の胸にしまっておけば、それほど春香を心配させはしないだろう。
    「ほら、お前どのくらいここで待ってたんだ。また倒れちまうよ」
     学校に戻ろう、と春香の背中を押して促しかけたところで、平太はどんっと背後から誰かにぶつかられた。
     今日はよく人にぶつかられる日だ、とうんざりしながら振り向くと、やけに印象の薄い男子生徒が衝撃でずれた眼鏡の位置を直しているところだった。
    「…………」
    「痛てててて……すみません、ちょっとふらついてしまって」
    「大丈夫ですか? もしかして、眞撰組の方に何か……」
     具体的なことは口に出来なかったのだろうが、春香はやたらと顔色の悪い男子生徒に気遣わしげに白い掌で口元を覆った。確かに非合法な何かが行われたのではないか、と言う疑いを欠片くらいは抱かせてしまうほど、彼は憔悴しきった様子だったのだ。
    「ああ、いえ……暴力振るわれたりとか、そんなのじゃないですよ。ただ、やっぱり冤罪で三日拘束の取り調べって、思った以上にしんどくて……」
     ははは、と力なく笑う少年。
     春香の眉が僅かに曇った。
    「……やっぱり、壬生狼は壬生狼なのね」
     眞撰組から守って貰っているはずなのに、多くの生徒が彼らに対していい心象を抱いている訳ではない。
     隊士たちが職務に忠実であろうとすればするほど、疑いの眼差しや恐喝まがいの尋問を向けられる一般生徒たちは恐怖と反発を覚えた。実際百名を超える平隊士たちの中には、特権階級を傘に来て横暴を通そうとする輩がいることも間違いようのない事実だ。
     そうでなくとも、化物と呼んでも差支えがない〈異能者〉と対等に戦う姿を目にした生徒は、眞撰組も同じ人間であるとは思えなくなるのだと言う。
     故に、彼らは畏怖と侮蔑の念を込めて壬生に棲まう狼――壬生狼と呼ばれていた。
    「それじゃあ、」
    「あ、ねえ大丈夫? 平太くん、送って上げた方が……」
    「いえ、大丈夫です。すみませんでした」
     ペコリと頭を下げて高等部の方へ歩いて行く少年の背中をじ、と見遣ったままの平太に、春香は怪訝そうな表情を浮かべた。
    「平太くん? どうしたの?」
    ――あんな奴いたっけ……?
     勿論、この街には同年代が全国各地から集められているのだ。
     その数の膨大さと言ったら途轍もない。
     クラスメートでも相当な数がいて、下手をすれば道で擦れ違っても解らないくらいなのだ。その幅を高等部と言う括りに広げてしまったら、勿論この街を出るまで顔を知らないまま行き交うこともないままの連中など吐いて捨てるほどいるだろう。
     しかし、今平太の胸を占めている疑問はそんな類のものではなかった。
     ほんの一瞬触れただけで、全身が総毛立ち怖気が走る。
     もっと根底的な、本能的な違い――
     知らないはずのその感覚を、自分が知っていることが不思議で堪らない。もし一度でもこんな感覚を味わえば忘れることなどないはずだ。
    「平太くん……?」
    「何でもない、行こう」
     突き上げて来る何かを無理矢理押し隠して蓋をして、平太は自分も学校に向かって歩き始めた。
     何でもない。
     何でもない。
     危険信号の悲鳴を上げる本能なんて、きっと何かの間違いだ。
     例え間違いでなかったにしても、自分には一切関係がない。
     そうして耳目を塞いで縮こまって、平太はあの日から十二年生きて来た。
     そしてそれは、これからも未来永劫変えることのない自分の中の不文律だ。

    →続く