バツン……っ、とブラックアウトした視界に踊る『GAME OVER』の文字。強制的にスタート画面にまで戻され、軽やかな音と共に広告が流れ始める。
    『今日もよりよい未来のために、アークスアローはテクノロジーのさらなる進化をお約束します』
     連続でのエントリーは禁止されているため、次の試合は自動的にスキップされてしまうのだ。
     カナタの負けである。
     欲を出さずに回避に徹していれば、あるいは引き分けですんだのだろうが、やられっ放しは性に合わない負けん気の強さが裏目に出た。
    「ああ、くっそ! あんなの勝てるかよ!!」
     苛立ちとやけくそを込めて毟り取ったデバイスのヘッドセットを叩きつけると、カナタは椅子を蹴立てて立ち上がった。どすどすと足音荒く備えつけの冷蔵庫のドアを開けると、ヤハンエールの缶を引ったくって一気に半分ほど煽る。紛い物のほろ苦さも爽やかな口当たりも、決してこのどす黒い感情を拭い去ってはくれなかったが。
    「やっぱコンソールがなぁ……いっくらお前が天才的なプログラムを書いても、出力限界がショボショボじゃあ完璧な再現は出来ねえよ。攻撃後の回避、やっぱり挙動〇.三秒遅れてる」
     先程の試合データをスロー再生して検証していたトーヤが、溜息交じりの紫煙を吐き出す。実質二位、という立ち位置のおかげで、配当率上賭け金の半分ほどは戻って来たが、本日直前までこつこつ稼いでいたファイトマネーは残らず全て剥ぎ取られたのだ。大損である。
    「まあ、今日は運が悪かった……明日からは難易度が増すが、効率考えるとちょいランクを上げて……」
    「だからってあんな汚いやり方はねえだろ! あいつにとっちゃガキの使いみたいなはした金でも、こっちは今日の飯が食えるかどうかの大事な金なんだぞ!?」
     彼にこんなことをぶちまけても詮無いことであるのは百も承知の上だが、人並みの暮らしをしたいと願うのはそんなに悪いことだろうか。ましてや自分たちはない資金をぎりぎりやりくりしてその技術と腕を磨き、真っ当な手段で挑戦していると言うのに。
     金持ち連中の遊びや道楽で踏み躙られる謂れなどない。
     が、短くなった煙草を灰皿代わりの空き缶に押し込みながら、
    「贅沢言うなよ、今日はちゃんと食える。充分じゃないにしろ……死なねえ程度には。嫌ならちゃんと仕事を割り振ってもらうか、収容所で強制的に肉体労働。それがここの決まりだ」
    「……解ってるよ」
     突きつけられる正論にぐうの音も出なかった。安定して生きたければ他の方法はある。大金を稼ごうなどと夢を見なければ、真面目に地道に生きることは不可能ではない。この道を選んだ自分が責任を取らねばならないのだ。
     そう理屈の上では理解していても、感情が納得出来るかどうかはまた別の話ではあるが。カナタは再度ヤハンエールを煽ると、むくれた表情のまま狭い窓へ歩み寄った。
    「俺は……俺たちは、もっとランクを上げてこんなゴミ溜めから抜け出してやるんだ」
     薄汚れた硝子の向こうには、同じように傾きかけてぎゅうぎゅう詰めに押し込まれた狭いアパートメントや、古い家屋や建物が所狭しと並んでいる。その遥か先、高い壁に守られたその奥には、安っぽいネオンの灯りが喧しいこちら側とは違い、きらきらと光り輝く立派な高層ビルの群れが見下ろすように佇んでいるのだ。
     環境汚染と度重なる感染症の流行で、現在世界の居住空間は大幅に減少した。食糧事情も随分と様変わりしたし、ほんの数十年前とは社会の在り方がまるで違ってしまっている。
     その先駆けとして仮想空間に都市を築き、生活形式を整え、本体は冷凍睡眠(コールドスリープ)の生命維持装置以外は何も必要なくなるーー人生の大半を、電脳的なネットワーク空間で過ごす画期的かつ最新鋭のサービスを導入したのが、アークスアロー社だ。
     勿論完全移行には莫大な費用がかかるため、基本的生活はリアルに置いている者が大半ではあるものの、そうしたものに全く触れないで生活して行くことの方が難しい時代になった。仮想空間での地位や肩書や財産が全てになり、現実であくせく身体を動かして働く、と言う行為は、デバイスすら得られない低賃金所得者か、不法滞在者などのアングラな住人などが殆んどである。
     今こうしてカナタが手にしているエールやトーヤの煙草なども、手にする者が急減したと言う点では、絶滅危惧種と言っても過言ではなかった。料理と言う概念や嗜好品やスポーツ、エンターテインメント、ありとあらゆるものがバーチャル上で再現可能になってしまった結果、食事はコスト最小限の万能サプリメントで完了してしまう。
    ーーでも、何か違うんだよな……
     仮想空間にいる自分のアバター〈フウガ〉とカナタ自身は別物であるのと同じように、あちら側とこちら側を上手く同期させて考えると言うのが苦手だった。それを解ってくれるのは唯一、同じ感覚を持つトーヤだけだったが。
    ーーだって……現実はこっち側で、生きてるのは〈俺〉だ……
     ぎゅっ、とエール缶を握り締めた時、トーヤが軽やかに口笛を吹いた。
    「どうした?」
    「どうやら俺たちは、まだツキに見放されてなかったらしい」
     ニヤリと笑いながら見せてくれたブラウザには、一通のメール。
    『第四十一回〈リアルウォー〉開催! 区画B八廃プラントにて。明日午前七時より、参加者大募集。エントリーは制限一時間』
    「やるだろ?」
     問われるまでもなく、答えは決まっている。
     カナタはガシッ、とトーヤの肩に腕を回すと同じようにニヤリと笑って頷いた。
    「当然!!」


    →続く