わあああ……! と耳を覆いたくなるほどの歓声が鼓膜を打つ。闘技場の入口から、本日のメインファイターである〈タンタレス〉がその巨体を揺らしながら姿を現したからだ。観客(ギャラリー)からは称賛の嵐、嵐、嵐。まるでかつて弾幕と称された、掲示板のコメント欄のように数多の歓迎がその宙空を覆い尽くす。
    『待ってました! 今日も暴れてくれるの期待してるぜ!』
    『きゃああああやっぱカッコいいいいい!!』
    『はい、秒殺いただきました!』
     有象無象など眼中にないと言いたげな、〈コロッセオ・ロマーノ〉のSSランカー戦士。
     その屈強な体躯を包む鎧も、手にした剣も通常では手に入れることの出来ない装備ばかりだ。パラメーターもほぼMAXでつけ入る隙なし、と諸手を挙げて降参するより他にない。
     レベルも本来ならもっと数段上のステージにいるはずなのに、時折こうして気まぐれに下位の試合へエントリーして来るのだから、日々ここでせせこましく凌ぎを削っている身としては、降って湧いた災厄に等しい。
    「やってらんねえ……廃課金勢は無料参加枠(こんなとこ)来るんじゃねえよ、クソッタレのボンボンが」
     参戦取り消ししたくとも、もう申請は時間オーバーだ。それを解って毎度ぎりぎりのタイミングで滑り込んで来る性質の悪さに思わず舌打ちをこぼすと、ヘッドセットから揶揄するようなトーヤの声がこぼれ落ちた。
    「いやー、さすが。持ってる男は違うねー、カナタ君。俺ならチビッちゃうわ」
    「うるせえ、元はと言えばさっきテメーが負けてスッたのが悪いんだろうが。俺は出たくなかった」
    「ボク、持ち金全部賭けたから絶対勝ってね♪ ワンパンで死ぬんじゃねぇぞー」
    「ちょっ、待て馬鹿ふざけん……くそっ、切りやがった!」
     苛立ちまぎれに地面を蹴りつけるものの、肝心の相方には伝わっていないのだから意味はない。
     ド派手な花火とファンファーレはいつの間にかやんでいた。
     実況の喧しい選手紹介が終わり、高まる期待感が闘技場全体を包んでいくのを感じて、ざわついていた他の参加者たちも覚悟を決めたらしい。何でもあり(バーリトゥード)の試合において、自分より上のランカーと対峙しなければならない時の対処方法はただ一つだ。
     試合開始のゴングが闘技場に響き渡る。
     その瞬間、参加者たちはいっせいに〈タンタレス〉に襲いかかった。タメなしで繰り出せる自身の最大出力を誇る攻撃を、これでもかと言わんばかりに叩き込む。魔法に銃火器、はたまた召喚した幻獣で突っ込む輩もいる始末だ。耳をつんざくほどの爆発音、破壊音。目映いエフェクトが飛び交い、まるで世界の命運を賭けた戦争のような光景が繰り広げられる。
    「行けぇ! もっとだ! 死ぬ気でぶち撒けろ!」
    「やったれ、モブキャラの意地を見せるんだ!」
     それにボルテージの上がらない観客などいない。沸き上がる完成と共に、見る見る投げられる賭金の総額が上がって行く。
     粉塵と入り乱れた参加者たちと、破壊を刻む真白い光。その輪の中に加わらず、カナタはひたすらにキーボードを叩いて己の分身であるアバターキャラクターの強化プログラムを書き続けていた。
    ーー出鼻を挫いて先制攻撃からのラッシュ……並のアバターならもう殆んどHPを削られているはずだ……
     一番障害となる厄介な相手を総出で叩き潰してからが、この〈コロッセオ・ロマーノ〉における本当の勝負と言うものだ。息つく間もないほどの怒涛の攻撃で、一体どれほど〈タンタレス〉を弱らせることが出来たのか。
     が、
     ブオン! と言う重い風切音がしたのと同時、最強の戦士に群がっていた参加者たちが、一人残らず吹っ飛ばされた。そのただ一撃で、防御力の低いアバターは成す術もなく一発KOされて強制的にフィールド内から排除される。運よくHPが残っていても、場外に落下した場合も同じく負け判定だ。
     正面に設置されていたスクリーン上で、瞬く間に半数以上のエントリーアバターがブラックアウトする。
    『あーあ……一割も削れてねえ。やっぱ限定アイテムの鎧様は伊達じゃないですねー』
     再度接続したらしいトーヤの声。
    「上位者何人残ってる!?」
    『〈雷(ライ)オット〉と〈三輪車〉と〈グミキャンディは世界の至宝〉……あ、あと〈404〉』
    ーーあと十秒保たせてくれ……
     その願いも虚しく、〈タンタレス〉が大きく剣を振りかぶった。鋭いモーションから繰り出される超重量級の一撃が、フィールドの床をぶち割る。衝撃で弾き飛ばされる瓦礫の雨。付与された光魔法のエフェクトが、哀れな子羊たちを薙ぎ払う。
    『カナタ……!』
    「当たって堪るかってんだ!!」
     カナタのアバター〈フウガ〉は忍び型のファイターだ。そのスピードと取得出来る技の豊富さは群を抜いているが、何ぶん調整が難しく扱い辛いこともあって、好んで使うユーザーは多くない。
    ーーだから、あんな物理攻撃当たったら即死だっつーの……
     〈タンタレス〉の頭上高くにまで跳躍して一連の攻撃を躱せたのは、回避率を最速でカバーしていたおかげだ。そのまま空中で身を捻り、クナイの乱打。が、ほぼほぼダメージは通らない。
     開けた視界の中で、〈三輪車〉と〈グミキャンディ某〉がブラックアウトするのを確認する。
    「くそ……っ、」
     ぐいん、と空を仰ぐ〈タンタレス〉の眼差しがこちらを明確に捉えた。今の攻撃はしない方がよかったかもしれない。
     片手で〈煙幕〉の発動ーー回避率の二十%上げ、片方で強化プログラムを書き続ける。接近した中継ドローンと四方のカメラが、アップでその攻防を大画面に映し出した。暴風雨のような一刀を紙一重で掻い潜り、一撃を叩き込む〈フウガ〉。絶えず動き回って焦点を絞らせないその俊足は、忍びならではだ。負けじと〈雷オット〉と〈404〉も卓越したコンビネーション技を繰り出すなど、その迫力満点の画像に、観客たちのテンションも爆上がりだ。
    『〈タンタレス〉無双、残機三!!』
    『でもこれ、今までの中で一番食らってるんじゃね?』
    『いっそ三人で逆転しろ』
    『賭けちゃう? あいつらに賭けちゃう!?』
    『〈タンタレス〉様は無敵』
    『ガチ信者乙』
     その時、〈雷オット〉の全身が金色の閃光を放った。持ちHPの半分を消費して雷撃特攻を繰り出す彼の持ち技〈神の怒り〉である。残りのHPが低ければ低いほどその効果は倍増するものの、もし相手が倒れなかった場合もう彼には反撃を回避するエネルギーすら残らないだろう。
    「あとは任せた」
     そんな言葉ではない意思を見せつけるようにして、フィールドを揺るがすほどの大爆発が炸裂する。ちらりと視線を走らせたスクリーン上で、ブラックアウトする〈雷オット〉のアバター。
    『よっし、さすがBランク昇格間近様! あと半分だ』
    「こんだけやって半分かよ。時間は?」
    『残り一分』
    「OK、上出来だ」
     ヒットアンドアウェイ、つかず離れずの距離を保ちながら、少しずつ少しずつ〈タンタレス〉のゲージを削って行く。これだけ強化しても、ほんの少し判断を誤れば即終了だ。コントロールパネルを走る指は試合開始直後から、一瞬たりとも休ませられない。フル回転する脳みそは沸騰しそうだったし、いい加減指も攣りそうだ。
    『残り五十秒』
     範囲攻撃に捕まった〈404〉がブラックアウト。
     残りはカナタの〈フウガ〉だけだ。
     躱せ。躱せ。躱せ。
     上位ランカーと対峙する時の対処方法はたった一つ。それは試合終了のゴングが鳴るまで三分間、ひたすら逃げて逃げて逃げ続けることだ。そうなれば、試合は引き分け(ドロー)となり、得るものは何もないが何一つ失わずにすむ。
     勿論あからさまな時間稼ぎなどすれば凄まじいブーイングに晒されるため、そう見えないように上手くやる必要があったが、この〈コロッセオ・ロマーノ〉は奇跡など起きない。格差は埋められない。装備した武具と覚えた技とアバターを底上げするスキルが全てで、その殆んどがどれだけ課金してスゴい得物やパラメーターポイントを得られるかにかかっている。
    『何してんだよ〈タンタレス〉!!』
    『ラス一! ラス一!』
    『頑張って生き延びて!』
    『あと三十秒!』
     ここまでダメージを受けたのも、試合を引き伸ばされたのも、〈タンタレス〉にとっては想定外だったのだろう。時間内に何としてもカタをつけよう、と焦っているのか攻撃のタイミングが単調になりつつある。
    ーーよく見ろ、油断するな、ゴングが鳴るその瞬間までが判定だ……
     残り二十秒、ようやくプログラムを書き終えた。
     ここまで積もったやるせない憤懣を少しでも晴らしてやりたい。このまま総ダメージトップを〈雷オット〉に譲るのも癪だ。タメに溜めた技ゲージを一気に消費して、必殺の忍術を叩きつける。
    「〈八岐大蛇の咆哮〉!!」
     しかし、〈タンタレス〉もここが決めどころだと承知していた。同じように最大攻撃力を誇る大技を繰り出して来る。
    「〈光あれ〉!!」
     二つのエネルギーが真正面からぶつかり合い、画面がエフェクトで白く染まる。フィールドではどちらが生き残って最後に立っているのかーー観客たちは固唾を呑んで、粉塵が晴れるのを見守った。


    →続く