16.

    「おはようございます」
     にっこりと人好きのする爽やかな笑顔に出迎えられて、一瞬、閃光は自分がまだ夢の中にでもいるのかと錯覚した。寝不足である自覚はなかったが、昨日の仕事の疲れを引きずっているのかもしれない。つい数時間前に派手な立ち回りを演じた相手が、何故自分の部屋でエプロン姿を晒しているのか。
     そんなことを考えていると、なおもいるはずのない青年から声をかけられる。
    「お世話になるお礼……と言っては何ですが、ただで置いていただくのも性に合わないので、朝ご飯作ってみました。お口に合うといいのですが」
     テーブルの上に並べられたサンドイッチにポテトフライ、茹でたソーセージにフルーツ。
     それらの匂いが鼻孔をくすぐってようやく、閃光の脳細胞は覚醒を果たした。
    ーーそうだ……こいつ拾って連れ帰って来たんだった……
     記憶が甦ったところで、よくも無防備に寝こけていられたものだと自分自身に呆れてしまう。本来なら〈魔導人形〉は主人との間に契約じみた式を交わすものだが、昨日はそれどころではなかったせいで、閃光は彼とその文言を結んでいない。
     つまり魔導人形の中では前主人(ジェフリー)との盟約が生きているはずで、その気になればいつでも寝首をかける敵を、現状懐に飲んだも同然であった。
     それはいい。
     それはまだいい。
     魔導人形の方からこうして歩み寄りを見せてくれ、その理由も説明してくれた。様々な機能も当然備えているから、料理くらいはそれこそ朝飯前で拵えてくれたりもするのだろう。
     だがしかし、
    「お前……この食材どうしたんだ? ここ、食い物の類いはろくに置いてなかったと思うが」
     閃光は基本料理をしない。
     誠十郎の元に身を寄せていた際、彼もクリフも料理が得意だったため、「いざと言う時、生き延びるためには必要だ」とそれなりに覚えさせられはしたものの、一人分を三食毎日作ると言うのは思いの外面倒で早々に音を上げ、本当に気が向いた時にしか作らないようになった。何しろ腹さえ満ちればいい状態が長かったせいで、食に関する欲求は限りなく低い。
     おまけに長期で留守にすることも多いので、食材自体あまり置かないよう心がけている。
    「買って来ました、近くのスーパーで。あ、大丈夫です。尾行(つけ)られたりしないように、ちゃんと注意してましたから。防犯カメラも気をつけました」
     悪びれない笑顔のその手には、閃光のクレジットカード(無論他名義だ)。
    ーーこいつ、意外と才能あるかもな……
     すんでしまったことは気にしても仕方がない。
     閃光は溜息をこぼして、不機嫌な顔のまま席へかけた。
    「コーヒーでよかったですか? これだけはストックたくさんあったので」
    「ああ……なぁ、これ玉ねぎ入ってるか?」
     閃光が手にしているのはサンドイッチの皿である。よもやそんなことを口にされるとは思っても見なかった魔導人形は、
    「あ、玉子のやつは入ってます。嫌いなんですか?」
    「…………嫌い、なんじゃねえ。食えないだけだ」
    「世間ではそれを『好き嫌い』と呼ぶんです。身体にいいですよ。血液さらさらになるから、喫煙者は摂取した方が」
    「体質で食えないんだよ。アレルギーみたいなもんだ」
     作られて数十年、あらゆる知識を修得して来た魔導人形であるが、人間が持つ食物アレルギーの中に玉ねぎが含まれていると言う話は、一度も聞いたことがない。アナフィラキシーショックの原因としても数えられたことはないだろう。
    「…………はいはい、解りました。そう言うことにしときます。次回からは気をつけますよ」
    「お前、その顔は絶対解ってないだろ」
    「解ってます。何か意外で可愛いなぁ、と思っただけです。これがいわゆる『ギャップ萌え』と言うやつですね。勉強になります」
    「違えわ!! いいか、マジな話だ。命に関わる。他にもいくつかあるんだ、料理してくれるなら覚えといてくれ」
     そう言って、閃光はいくつかの食材を指折り列挙してくれたが、メモリ内に並んだそれらを見て、魔導人形は逆にぎょっとした。
    ーーこれは……ヒトじゃなくて寧ろ……
     その身体能力や反射神経が、あまりにも人間離れしていたことと、何か関係があるのだろうか。


    →続く