気の遠くなるような、星を掴むような、万に一つもあるかどうかの可能性だ。もし〈魔女〉がその呪いを解く〈魔法術〉をどこかに潜ませていたとしても、〈文化改革〉で廃棄されてしまっている可能性の方が高い。今現在残っている奇跡など、夢のまた夢のような話だ。
それでも、閃光は諦め切れずにいるのだ。
爆弾を抱えたまま生きているような毎日であったろう。『普通のヒト』であるために、その『特別』を捨てるために。だからあんなにも必死であったのだ。他の人間であれば絶対に諦めて引いただろう場面でも、閃光は踏みとどまった。そうするに足る理由があったのだ。
「成程……ほんの少し、貴方のことが解った気がします」
「ただ……一つ問題がある。俺はマナが見えて〈魔法術〉を使えるし、〈魔法術〉式を理解はしてる。だが、術式を組めないし、解いたり分解したりは出来ない。あと、〈魔晶石〉に込められていた場合その効果を発現、使用は出来るが」
「術式そのものは可視化出来ないから、使うまで実際の能力が解らないってことですか?」
「ああ」
だからこそ、己でその呪いを今まで解けずにいたのだろう。術式分解が出来るなら、既に自力でどうにか出来ていたはずだ。
ーーここで僕が閃光の術式分解を行えばあるいは……いや、生物……ましてやヒトの身に宿った〈魔法術〉なんて聞いたこともない……情報が少な過ぎるこの状況で下手に手を出したら、閃光は無事ではすまない、か……
思案するロキの目の前にずい、と黒革手袋の左手が差し出される。辿れば照れ臭さを無理矢理噛み殺したかのような仏頂面の閃光が、けれど視線は逸らすことなくこちらを見つめていた。
「だから、改めてお前に頼む。手を貸してくれ」
「…………はい」
「もし……お前が嫌になったり、他にやりたいことが出来たなら、その時は好きにしていい。突然黙って出て行っても、別に文句は言わねえよ」
「嫌になること前提なんですか」
「人付き合いが上手いつもりはない」
「ふふ……でしょうね。でも、承知の上です」
わざわざそんなことを口にせずとも、こちらとしては何が何でもその要望を、例えどんな難題であろうと最大限に叶えるつもりでいるのに。ちゃんとした主従契約を破棄したくせに、こうして助力を願って来る不器用な少年に、胸の奥がざわざわと心地よく波打って、ロキは破顔しながらその手をぎゅっと握った。
「それで早速なんだが」
「それでやっと、この〈在りし日〉に話が戻って来る訳ですね」
「まあ、いきなり『アタリ』なんて奇跡はそうそう起きねえだろうが、他人様から盗んででも手に入れたい、って思う奴がいるかと思うと、中身が気になるってもんだろう?」
「大体の想像はつきますけどね……無関係な場合は、術式を分解してしまっていいんですか?」
「ああ……依頼主には二度と使えないようにしてから渡す」
にやりと悪い顔で笑う閃光に苦笑してしまってから、ロキは押しやられた獲物に両手を翳した。
「でもバレたら面倒なことになりませんか? ジェフリーくらいの年代以上だと、明らかに使い方も効果も知っていて依頼して来たんだと思いますけど」
この〈魔晶石〉を日常的に使用していた年代が自浄しない限り、真の意味での撲滅はない。
しかし、
「知らねえなぁ……俺は時計を傷一つつけずに盗んで来いって言われただけだから」
そもそも存在していないはずのものだから、後をごまかすのは仲介屋の仕事だと言わんばかりの言い方に、成程と思わず呆れたものの、気を取り直してロキは〈在りし日〉へと向き直る。意識を集中させ、核となる〈魔晶石〉を探り当てると、ゆっくりと深部へアクセス、データを同期させる。
視界を埋める〈魔法術〉式はコピーにコピーを重ねたように、劣化して無駄な記述が多かった。装飾の細工は見事な出来栄えだが、〈魔晶石〉として見れば三流もいいところだ。どこにも〈遺産〉の証である紋様を見つけられなかったのは見過ごしなどではなく、明らかに〈魔女〉の作品ではないからである。
〈魔法術〉式はコンピュータープログラムと同じで、作り手の癖や思考が如実に現れる。最終的な結果を顕現させるために、何万とあるプロセスをどう辿るかーー歴史上夥しい数の作り手が存在したが、その中でも〈賢者〉と呼ばれたレベルに達した者は一握りもいない。ましてや始祖である〈魔女〉級の式を書ける者は、せいぜい一人二人くらいなものだろう。殆どは既成の術式を切り貼り継ぎ接ぎして、どうにかこうにか稼働させていただけだ。
じ、と黙ってこちらを見守る閃光の視線を感じて、瞼を上げる。
「〈魔法術〉式展開――ロジック・オープン。ダウンロードにより可視化します」
そう告げた途端、自然と動くような重さではない時計がふわりと持ち上がった。不可思議な力が実際に働くところを見るのは初めてではなかったが、思わず気圧されて閃光は小さく息を呑む。自然、期待にも似た高揚感が身体の中を駆けた。
その目の前で時計はゆっくりと回転しながら、蒼く輝く己を構成する全てを吐き出して行く。淡い光を放つそれは恐らく、人智の及ばない圧巻の自然物を目にした時とよく似ている。
感動、とは違うーー恐れも同時に覚えるような。
ーーこんなものを、たった一人で解析構築して一大文明に築き上げたってのか……ルナ・クロウリー……つくづく化物だな……
映画のエンドロールのようにずらずらと展開されていた術式がふ、と終わりを告げる。それらはしばらく頼りなさげに宙空を漂っていたものの、やがて霧散するように薄くなって溶けて消えた。
「どうですか? 何か……解りました?」
「ああ……効果は『金属の生成と変換』。裏でいろいろやり繰りするには持って来いだな。まあ、最初(ハナ)から宛てにはしてねえが、随分と酷えハズレだ」
口ではそう言うものの、全く期待していなかったと言えば嘘になるだろう。随分とやる気のへし折れた自嘲気味の表情で、閃光は少しだけ笑った。
「分解してくれ」
「畏まりました」
きちんと経過が確認出来た方がよいだろうと、再びロキは〈魔法術〉式を可視化させると、ゆっくりと分解のための術式を流し込んで行く。まるで湯をかけられた雪の結晶のように、さらさらと蒼い粒子が解けて消え、やがて後には何も残らない。
〈魔法術〉は第六元素であるマナを、形式で縛り型に嵌め、望むように世界を書き換える手段だ。〈魔晶石〉はそれを結晶として可視化され、誰にでも触れられるようにした媒体である。その束縛から放たれたマナは再び自然の中に還り、生命のエネルギーとしてこの世界を廻して行く。それを思えば随分と、不自然で非合理的で我欲の塊のような方法だ。息苦しさを覚えるのは、何も法律で禁止されてしまった忌避すべきものだから、と言うだけではないのだろう。
ーー〈魔法術〉そのものが呪いみたいだ……
その気配すら感じ取れなくなってから、ようやく煙草をくわえて一息つく。
「先が長すぎて気が遠くなりそうだ」
* * *
→続く