20.

     カラン、とドアベルを鳴らして店内に足を踏み入れた瞬間、驚いたように小さく飲まれる息が聞こえたような気がした。いつも人気がなく、それほど広くもない空間に漂うレコードが奏でるジャズに紛れて、恐らく他の誰かがいたとしてもその耳に届きはしなかっただろうが。
    「いらっしゃい、閃光ちゃん」
     辛うじて馨の口から笑顔と共にそう言葉がまろび出たのは、偏に一般的ではない接客に長年従事して、肝が据わっていたおかげだろう。本来なら無粋に誰何の視線を投げるべきではない、と理解しながら、それでもこの店に連なる人々に迷惑が及ぶ危惧を天秤にかけた上で、訝しそうな表情がこちらに問う。
     ここは、紹介を受けた者しか足を踏み入れることが出来ない店だ。
     故に、例え常連であろうと主人に何の断りもなく一見のツレを伴って来るものではない、と言うのは暗黙の了解であった。それをいかに若くとも解らないような男ではない、と見たのは早計と言うものであったか。
     そう言いたげなマスターの先手を打って、閃光は背後のロキを指で示してみせる。
    「相方だ。今日からこいつも一緒に仕事する」
    「初めまして、ロキと申します。よろしくお願いします」
     ぺこりと丁寧な仕草でお辞儀をしてみせる折り目正しい様子に、それでも馨は咎める視線を投げた。
    「困るわ、連絡くらいくれないと」
    「信用の問題ですわよ、二代目のお坊ちゃん」
     じろり、とこちらへ警告を突きつけて来るのはいろはだ。こう見えて、彼女はこの界隈で仕事をしてそれなりに長い。その間腕に覚えがあるから、とナメた態度で仕事に臨んで命を落とした輩は数え切れない。
    「誰と組もうと、それで失敗しようと、それは貴方の自由で貴方の責任ですわ。けれど、それを他人に押しつけるような真似はするべきではなくてよ」
    「仕方ねえだろ、昨日までいなかったんだ」
    「一体どこで拾った馬の骨ですの? 何をもって信用して……」
    「トイボックス日本支部本社社長室前」
     厳重に梱包した〈在りし日〉をいろはの方へ押しやりながら、閃光は面白がるように強気な笑みを浮かべてみせる。それが何を意味するのか、知らないとは言わせないと言う意志が込められているのは、ビビって手を引くのではあるまいかと危惧されたことに対するささやかな意趣返しと言う奴だ。
    「はあ!? 貴方……一体何を考えてるんですの!?」
    「一人じゃ限度がある。優秀な相方はいずれ必要だった。見つけたから引き抜いて来た。それだけだ」
    「だって、貴方……彼〈魔導人形〉でしょう!? ロバーツがいくら積んだかご存知ないの!?」
    「知らないし興味もねえ。被害総額跳ね上がるなら何よりだ、箔がつく」
     真っ青に血の気を失くして、開いた口が塞がらないと言う体のいろはを見たからではないだろうが、サイフォンからコーヒーを注ぎながら馨が小さく噴き出した。その笑いは次第に大きくなり、やがて呆れの溜息を織り交ぜながらも怒る気も失せてしまったようだ。
    「とんだ大物ルーキーが来たものだわね。誠十郎ちゃんの若い頃にそっくり」
    「マスター、つけ上がらせないで」
    「閃光ちゃん……貴方、彼はニコイチだから同等に扱えって言いたいのでしょうけど、私たちにだって心構えと言うものは必要なの。次は、ないわよ」
    「……解ったよ」
     念押しの眼差しは鋭い。
     閃光としても、現状ここだけが頼りだ。無碍にするつもりはない。馨の言葉にそれ以上の追及は諦めたのか、いろはは言葉を重ねることはしなかった。


    →続く
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