26.

     銃を使うとか使わないとか、そんな些細な問題ではない。警察が手をこまねいている横から一般人が制圧して事態を収束してしまったとなれば、必ず派手に話題に上る。
     閃光は表の顔を一つ捨てねばならなくなるだろうし、何よりトイボックスが嗅ぎつけて即座にその手を伸ばして来るだろう。何としてもそんな事態は避けなければならなかった。
    『なるべく部屋から出るな』
     その言いつけを破るのはとても心苦しかったが、背に腹は代えられない。 
     ロキは道中で買った帽子とラフな上着を羽織って部屋を出た。フロントに鍵を預ける際、チェックインの時と随分雰囲気が違うせいか受付の中年女性はわずかに目を丸くしていたが、特に咎められる様子はなかった。そのまま自動ドアをくぐり、駅へ向けて駆け出す。
     ヒトの速度で走っても、 十分ほどの道のりだ。
     現場、と思しき雑居ビルは随分と手前から規制線の黄色いテープが張られている。 それでも構わず犯人を一目見ようと野次馬が押し合いへし合い押しかけているのだから、警察も堪ったものではないだろう。煤けて汚れた外壁と一昔前の電飾看板。やはり閃光の位置情報とは一致しない。
    「あの……どの辺りですか?」
     傍らにいた携帯端末片手の青年に訊ねると、
    「あー、 多分三階? 四階? 真ん中ら辺だよ。中に立て籠もってっけど、もう手前まで警官隊入ってたから大丈夫なんじゃね」
    「そうですか」
     少し、ホッとした。
     駆けつけておいて何もしないのは気が引けていたが、ここで目立ってしまっては意味がない。固唾を飲んで狭い階段を一心に見遣る野次馬たちに背を向けて、ホテルに戻ろうとロキが踵を返して脇の細い路地へ足を踏み入れた時、
    「ようやく見つけたぞ、〈魔導人形〉……!」
    「…………っ、」
     横合いから突きつけられた拳銃に、ロキは僅かに眉を顰めた。きっ、と睨み据えた視線の先ーー凶器を掴む腕は、少し前まで上官だった男に繋がっている。他にも物影に潜んだ計四つ。トイボックスの警備、とは名ばかりの汚れ仕事の裏部隊一行だ。何やら先程から敵意らしき気配を向けられているのには気づいていたが、よもや人目のある街中では接触して来ないだろうと思っていた。
    ーー僕のGPSは閃光が壊したのに、一体どうやって……
     通り一本挟んだ向こう側は、まだ野次馬の群れと警官隊がいる。いや、それくらいの目撃情報ならば簡単に握り潰せると言う自信の表れか。
     逃げ道を塞ぐようにつけられたバン、左右には屈強かつ歴戦の元同僚、退路は人混みの中しかない。
     手段を問わず逃げようと言うのであれば、迷わずそちらへ向かうべきだろう。が、一般人を巻き込むことなくと言う条件をつけると、それは酷くハードルを跳ね上げることになる。閃光の意向を汲むならば、〈魔法術〉は使うべきではないはずだ。
    ーーどうしたものか……
     しかし、エドガーはロキの思惑など露知らず、
    「あれから探して探して探したぞ……このポンコツが! よもや本当に、あのまま小僧の元に身を寄せているとはな……笑えるぜ、一流企業お抱えの警備兵から犯罪の片棒担がされる道具に転落なんてよ」
    「…………貴方たちがどう思おうと勝手ですが、仕事の内容はそちらより随分マシです。よくしてもらってますよ、充分」
    「………言うじゃねえか。とにかくジェフリー様がお待ちだ、帰るぞ。もう充分遊んだだろう? あとそれから、小僧のヤサはどこにある?」
     恐らくジェフリーのことだ、エドガーには閃光の元に二度と戻れないようにして来い、と命じてあるのだろう。その命も居場所も含めて。
     今さら情がある訳でもない。が、だからと言ってそのために彼らを殺す、と言う選択肢はもうロキの中にはなかった。そうする必要はない、と言ってくれた閃光のためにも。
    「嫌です。僕は二度と帰りません。閃光の居場所も教えない。あの時さようならと、言いましたよね?」
    「嫌も応もあるか、一緒に来い」
     相変わらずの横柄な物言いに、不快さを覚えて初めて正面の男を睨みつける。
     ほんの少し前までは、何の感情も波立たなかったはずのエドガーの態度がひどく癇に障った。ちり、と無意識に集めた〈マナ〉のパルスが、苛立ちをそのまま模したような電撃の術式を形取ろうとしたのを感じ取った訳でもあるまいが、彼は面白がるように携帯端末の画面をロキの鼻先に突き出した。
    「お前が反抗的な態度を取るなら、新しいご主人サマはこのまま死ぬぜ」
    「………………………つ、」
     そこに映っていたのは、手枷で吊られた血塗れの青年だった。暗がりの画像は決して鮮明とは言えず、凄惨なーー拷問に近い暴行に気を失っているらしい彼は俯いていて、はっきりそうだとも違うとも共に過ごした時間の浅いロキには言い切れない。
     けれど、脅しと言うものは百パーセントである必要はないのだ。
     ゼロでなければどうしたって言う通りにせざるを得ないと言うことを、このありとあらゆる手練手管を駆使して来た男はよく知っている。自分の感知するデータの方が正しいと解っていても、誰かが同じように傷つけられたのなら知らぬふりは出来なかった。少なくとも閃光であれば、それが誰だろうと見捨てはしないだろう。
     ぎり、と挙を握り締めて己をさらに睨みつけるロキの初めて見る憤怒の表情に、エドガーは高揚した。
     人間のふりをして敵方に潜入するため、後期の〈魔導人形〉は蓄積されたデータの中からもっともらしい感情や表情を擬態する性能を誇る。けれど今この元部下は、彼の知る限り人形よりも人形じみた鉄面皮の無表情しか見せたことのない青年は、『自発的に』怒った。そうあるべきそれが正しい、と選択した上でのことではなく、自ら発露した慣りと怒りがその蒼い双眸を激情の炎で染め上げる。
     果たして、命令とあらば微塵の躊躇もなく敵兵を肉片に変える忠実な犬であるところの彼と、今の彼とではどちらが強いのだろう?
    「いい目をするじゃねえの、〈魔導人形〉」
    「それ以上『閃光』に手出ししたら地獄を見ますよ」
    「素直に着いて来りゃ、お互い手間が省けるってもんだ」
    ーーやっぱり出るべきじゃなかった……
     閃光の位置情報は変わらない。
     けれどそれは、出向いた先に罠が張られていなかった、と言い切ることが出来るものではない。何しろ主人に詳細は聞かなかった。
     ロキは促されるに任せて車に乗り込んだ。目隠しは無駄だと解っているのか、両脇から銃だけ突きつけられた形で窮屈なまま走り出す。
    ーー閃光……
     そう簡単に手中に落ちるようなタマではない、と論理的な思考は告げていたが、ざわざわと己の中で拭い切れない不安が騒ぎ立てる。
     体面を粉砕されたジェフリーが、復讐の機会を伺っているのは想定していたのだ。
     何せ完全に見くびっていたこちらから、手痛いしっぺ返しを食らったせいでほぼ全てを失ったのだ。どんな手を使ってでも地獄への道連れにしようとするだろう。彼の執念深い性質を鑑みると、決して楽に死なせる選択肢はあるまい。
     閃光はどこまで見通していただろうか。
     もしあの画像の通りに囚われているのなら、それはロキのせいだ。何としても助け出さねば。
    ーーもし、無事ならそれでいい……例え僕が戻らなくても、貴方のこれからに支障はないはずだ……
     最初に戻るだけだ。
     そもそも彼の今後に、ロキの存在は組み込まれていなかった。ないはずのものにいつまでも未練がましく固執するほど、きっと彼は愚かではない。それに名が知れ渡った今なら、穴を埋める代わりの人間くらいいくらでも見つかるはずだ。
    ーー存外短い付き合いでしたね……
     けれど、この呆気なさが逆に諦めがつく。
     夢を見る身分ではない。そんな自由などあるはずもない。最初から最期まで、ロキに選べるものなど何一つありはしないのだ。
    「さようなら、閃光。そして、ありがとう」
     誰にも届かない別れの言葉を紡ぎ、ロキは閃光と共にあるために設定した己のモードをオフにした。


    * * *


    →続く
    スポンサードリンク


    この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
    コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
    また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。