本来生物は暗がりを恐れるものだ。己の感覚が正常に機能しないと言う現実は、自然界では特に即死に直結すると言っても過言ではない。故に時間間隔を奪うためにも、訊問や拷問は陽の差さない場所で行う方が、より効果が高いとされている。
が、それはあくまでも対象がヒトであった場合の話だ。
ここに連れて来られてから既に四時間以上が経過していたが、その間暴行を受け続けてもロキは彼らの想像に反してけろりとした顔をしていた。
ヒトと同じ痛めつけられ方をしたところで、恐怖も苦痛も〈魔導人形〉であるロキには感じられない。
多少欠損したところで後からいくらでも再生出来ることもあって、どれほど屈強な腕自慢がサウンドバックにしようと名乗り出ても、却って相手の方が疲れてしまうような有様だった。一応反〈魔法術〉式が走った手枷で拘束されているものの、そんなものがあろうとなかろうと大した違いはなかっただろう。
それでもジェフリーは気に食わないーー自分を裏切るなどと考えもしなかった〈魔導人形〉を、誰に咎められるでもなく殴れることが、よほど鬱屈していた気持ちを晴らせるのだろう。
隊員たちが音を上げてしまってもなお一人、その拳をロキに振るい続けていた。
「まったく……あんな嘘を信じてのこのこ着いて来るなんて、とんだマヌケもいたもんだ! 優秀な人工知能を搭載してるだかなんだか知らないが、所詮お前はヒトの言う事を聞くしか能が……何がおかしい」
俯いているロキが声を殺して笑っていることに気づき、ジェフリーは込み上げる怒りを押し殺して問うた。
そもそもこの〈魔導人形〉がこんな『人間のような』反応をするのを見るのは初めてだ。滞りなく会話を、言葉によるコミュニケーションをしていても、それはあくまでもこちらがストレスを感じないように配慮されたやり取りであって、あくまでも彼本人の言葉ではない。それが当たり前だ。それが〈魔導人形〉のあるべき姿だ。ヒトでないものが、ましてや生き物ですらないものが、自ら意見を意思を持つことは許されない。
それなのに、
「あぁ、いえ……安心したんです。閃光が本当に貴方たちに捕まるようなマヌケだったら、どうしようかと思ってました。嘘で良かった」
瞬間、鈍い音と共にジェフリーの拳が再度ロキの左頬を抉った。
無論、素人の一撃などいかほどのダメージでもないが(寧ろ彼の方が手を痛めていることだろう)、その怒りの発露は一度では止まらない。ヒステリックに殴り続け、息を切らしたところでようやく、その猛攻は終わりを告げた。
「…………逃げられるとでも思ったか」
ぐい、と前髪が掴まれて無理矢理顔を上向かされる。
「いいか、〈魔導人形〉……どこへ行こうと、所詮お前は道具だ。ヒトの代わりをするために作られた道具だ。誰かを殺すためだろうと、きつい仕事をさせるためだろうと、誰かの欲望を晴らすためだうと、それは変わらない。どこまで行こうと、お前はヒトじゃない」
「僕は……」
『お前は俺よりちゃんとヒトだよ』
紛い物。
作り物。
偽物。
そうして誰もが蔑む中でただ一人、ヒトとは完全に言い切れない閃光だけが、ロキをヒトだと認めてくれた。ただ一人、こちらの言葉に耳を傾け、意思を尊重してくれた。お前は自由にしていいと、そう言ってくれたのだ。
「僕は、確かにヒトじゃありません。でも……貴方と同じように意思がある、心がある! 嫌だと言う権利があるんです!!」
「そんなものはない。お前の核に刻まれた三原則ーー行動思考基準の〈魔法術〉式には、主人の命令に絶対服従と書かれているはずだ。いいか、あのガキにどんな夢を見せてもらったか知らんがな、そんなものは麻疹と同じだ! お前が何を思おうが、お前が何を願おうが、そんなものは一生涯手に入らん幻なんだよ! いいか、今〈魔法術〉に詳しいやつを呼んである。そいつが到着次第、もう一度契約を結び直して……」
「それはテメーがそのまま主人だった場合の話だろう? テメーはもう主人じゃねえ。そもそも叶える度量も手腕もねえ無能は引っ込んでろよ」
不意に鼓膜を打った低音に、ジェフリーはぎょっとしたように背後を振り向いた。入口のドアに背もたれて不敵な笑みを浮かべているのは、他でもない閃光だ。とは言え、たった一人でここに乗り込んで来てロキの居場所を探し当てるのは苦心したのか、随分手傷を負っているらしい。
「生憎だが俺ぁ、一度手に入れたものは手放さない主義でな……うちの相方、返してもらいに来たぜ」
「閃光…………」
「バレット、貴様……はは、やはりあんなことを言っていたが、こいつが勿体なくなったか! こそ泥のクソガキめ」
両手をポケットに突っ込んだまま、無防備に煙草をくゆらせて近づいて来る閃光に、ジェフリーは懐に飲んでいた銃を抜いた。
ロキはと言えば、心底の驚きで言葉も出ない。
まさか閃光が、気紛れで拾った自分をわざわざ奪い返しに来るなど思いもしなかったのだ。偶然手に入れた道具が稀少とは言え、世界屈指の闇市(ブラックマーケット)の大店に喧嘩を売るなど、デメリットしかないではないか。死にに来るようなものだ。
が、そんなことなどどうでもいいと言わんばかりに閃光は、
「馴染みの情報屋が変態でな。たかがあの数十秒のやり取りでここを割り出した。せっかく番号伏せてかけたのに、無駄だったって訳だ。まあ、アレのせいでこんな危機的状況に陥ってる訳だが」
「く…………っ!」
「それより腐れ社長……テメー、俺に銃を向けるってことがどう言う意味か、解ってんだろうな?」
サングラスの奥で、ギラリと血色の双眸が獰猛な光を帯びる。威嚇するように細められたその眼差しにどれほどの怒りが込められていたかは定かでないが、ジェフリーは恐怖を拭い去るように絶叫と共に引き金を引いた。
轟く銃声の先に閃光の姿は既に、ない。
「テメーにゃ弾丸(たま)すら勿体ねえわ」
ドッ、と背後から手刀を落とされ、瞬く間に意識を失ったジェフリーが白目を剥いてその場に頽れる。いつの間に一撃を入れたのか、周りでギャラリーを決めていた男たちも同様だ。その無様な姿をふん、と鼻を鳴らして見下ろしてから、何事もなかったかのように閃光はロキに歩み寄った。
「悪ぃな、待たせた」
「どうして……来たりしたんですか!?」
酷い傷だ。普通ならば、既に出血で立っているどころか意識朦朧としているだろうに、閃光は視界を塞ぎかけた血をぐいと乱暴な仕草で拭ってから、懐を探る。その指先が掴んでいるのはどこで手に入れたのか、随分とアナログな仕様の鍵だ。
「こんな怪我までして……まさか全員ノシて来た訳じゃないでしょう!? 早く逃げてください! 僕のことはもういいですから……」
「お前は」
鍵を差し入れて反〈魔法術〉の手枷をかちゃりと外しながら、
「俺の相棒だろうが。助けるのは当然だ」
「相、棒…………」
意味としては知識としては理解していたものの、今まで自分に向けられることはなかった、そしてこれからも向けられることはないだろうと思っていた言葉に、思わず逡巡する。
「そうだ。言ったろ? 俺が死ぬか、まあお前が俺と一緒にいるのに飽きるか嫌気が差すか、とにかくそんなどうしようもない理由が出来るまで、お前は俺の傍にいろ。勝手に死ぬのは許さねえ」
→続く