「ほらよ。テメーのバーさんの形見だ」
     無造作な仕草ではあったが、閃光はハンカチに丁寧に包まれた指輪をミツキに差し出した。恐る恐るそれを受け取って、怪我だらけの彼の顔を改めて見遣る。
    「……? 何だよ」
    「これって……本物?」
    「ああ、序でに言うとちゃんと〈魔術式〉の分解まで終わってる。そいつはもう何の変哲もないどこにでもある何でもない普通の指輪だ……ああ、違うな。テメーにとっちゃ、世界で一つしかねえ大事な思い出の品だった」
    「他の二つは?」
    「知らねえ。あんなどさくさで三つも確保してられっかよ」
     表面に描かれているのは紛れもなく一角獣の紋章である。宝石の蒼さも周囲の飾りも寸分違わない――それは確かにミツキの指輪だった。
     あれだけ激しいやり取りの中を潜り抜けたのだ。傷の一つくらいは負っている覚悟をしていたが、閃光は抜かりなく保護してくれていたらしい。また偽物を掴まされる可能性もかなり疑っていたが、彼に取っては本当にもう用のない代物なのだろう。
     まるで迷子になっていたペットか何かが無事に戻って来たような心地で、ミツキはじわりと双眸に滲んだ涙を拭って閃光を見やった。
    「ありがとう、閃光」
    「……別にテメーのためじゃねえ、勘違いすんな」
     礼を言われるとは思っていなかったのか、一瞬怯んだように息を飲んだ閃光は、それをごまかすように視線を逸らして煙草をくわえた。それが恐らくは感謝されることに不慣れなための照れ隠しであると解るから、悪態もそれほど気にならない。
     彼の背後ではロキが小さく肩を震わせていたが、それも黙っていた方がいいのだろう。
     ふとあることを思い出して、ミツキは閃光に問うた。
    「そう言えば、一つ気になってたんだけどこの指輪……どうして三つで一組の様式になってたのかしら? 元々は婚約指輪でしょう? 二つでいいはずじゃない」
    「まあ、これはあくまで俺の私的な見解なんだが……多分、『天道』は伯爵家の子供に送られるものだったんだと思う。所謂後継者――次期当主である子供に」
    「任命証みたいなものってこと?」
    「ああ……だからそいつだけ一回りサイズが小さかったんだろうさ。あの時代、家督は十に満たない子供が継ぐことも珍しくはなかったしな」
     ミツキはじっと掌の上の小さな指輪を見やった。そこに込められた先人たちの想いを汲み取りたいと感じたのだ。
    「そっか……だからこの指輪は『天道』なのね。先行き不透明な『暁』でもなく、終わっていくだけの『落陽』でもなく、貴方が継ぐ時代は繁栄した道でありますようにって願いを込めて……」
     託されたものを次へ伝えるため、そこには様々複雑に絡んだ思惑もあっただろう。それでもきっと、父であり母である人たちの願いは例え時代が変わろうと国が違おうと、永年変わることはないのだ、とミツキは思った。
     それは一人で背負うにはあまりにも大きな想いだ。
    「これ……本当に私が持ってていいのかな?」
    「言っただろ、そいつはもうただの指輪だ。どこにあろうと誰が持とうと、そんなの自由だ。他の二つだって『バレットが盗んで所在不明』なんだから構いやしねえよ。まあ、重てぇってんなら、テメーの職場に任せときゃいい」
    「…………」
    「だが、テメーはバーさんの気持ちを受け取ったんだろ?」
     少しだけ――本当に少しだけ閃光の無愛想なしかめっ面に柔らかな笑みが浮かんだような気がして、思わずドキリと心臓が跳ねる。けれどそれは目の錯覚だったのか陽光の具合だったのか、ほんの刹那で鳴りを潜めてしまってきちんと確認することは出来なかった。
    『持っていればきっと……』
     大変な目にも危険な目にも遭ったけれど、何故かこの数日間の出来事はそれほど悪いものではないような気がしている。それはきっと、
    ――そうだね、お祖母ちゃん……
    「うん……大事にするわ」
     自然とこぼれた笑みのままそう頷くと、不意に閃光の手袋に包まれた大きな掌がくしゃりと頭を撫でた。
    「じゃあな」
    「ミツキさん、お元気で」
     二人が車に乗り込み、バタンとドアが閉められる。
    「あ、ねえ!」
     エンジンをかけてぶるりと震えた車が走り出す前に、慌ててミツキは閃光の元へ駆け寄った。窓枠を掴み、サングラスの奥に隠された彼の本音を読み取ろうと覗き込むと、嫌そうに顔をしかめられた。
    「何だよ……まだ何かあるのか」
    「…………また、会えるかな」
     それは余程閃光に取っては想定外の問いだったのだろう。サングラスがずり落ちて、いつもは鋭いはずの紅い双眸が丸く見開かれているのが露わになる。
     けれど数秒で我に返った彼は、ふんと小さく皮肉気に鼻を鳴らした。
    「テメーは文保局員、俺は怪盗。もし、『また』会うことがあれば今度は味方じゃねえだろ」
    「…………そっか」
     解り切っていた答えを逸らすことなく突きつけられて、逆にミツキはすっきりした気分になった。そうだ、この不敵な男はそう答えてくれねば困る。張り合いと言うものがない。
    「でも、今回は本当にありがとう」
    「ああ、じゃあな」
     小さく笑うと、閃光は軽く左手を挙げた。それと同時に黒い車が走り出す。
     次第に小さくなっていくその姿を見守っていると、道を曲がる前に短く数回鳴らされたクラクションが眩しいまでの青空に高々と響いた。



    以上、完。