「おや……旦那が獲物について下調べしてないなんて、珍しいこともあるもんだね」
    「欲しいのは誰もが知ってるネタじゃねえ」
    「ふ~ん、何だか訳ありな感じだねえ」
     スワロウテイルの声音が面白がるような調子に変化する。通話口の向こう側でニヤニヤ笑っているのが目に浮かぶようだ。
    「でもまあ、いいや。ちょっと待っててね。五分くらいで調べ終わるから」
    「ああ、ちょっと待て。後一つ。腕だか翼だかの紋章を掲げた盗賊集団を知ってるか?」
    「…………」
     いつも答えはこちらの言葉に被せるようにして返して来るスワロウテイルが、今回に限っては言葉を失ったように沈黙した。時間が止まっていたかのような長い長い間の後で、彼はようやく口を開いた。
    「知ってるけど……旦那、あんなヤバいところと係わり合いになったのかい? やめた方がいいよ」
    「好きで係わってる訳じゃねえ」
     苦々しく答えた閃光に、情報屋は小さな溜息をついた。
    「まあ、寧ろ今まで接触してなかった方が不思議なんだろうけどね。解った、調べて一緒にデータを送るよ」
     ぷつりと一方的に絶たれた会話に溜息をつく。
    「ロキ……どうやら俺たち地雷踏んじまったみてぇだぞ」
     懐に携帯端末をしまいながらそう告げる閃光に、ロキはテーブルに起きっぱなしにした指輪へ視線を走らせた。こんな小さな物に翻弄されねばならないことを、時々途轍もなく滑稽だと思う。だからこそこんな下らない争いは、早く終止符を打たねばならないのに違いなかった。
     その時コンコン、と不意にノックの音が室内に響いた。返事をする前にドアが開かれ、油や砂埃にまみれたツナギの作業着姿のフェイが姿を現す。
    「旦那ぁ、コレが後部座席の下に落ちてましたぜ。大事な獲物じゃないんですかぃ?」
     そのゴツい手袋が填められた手が握り締めていたのは、細いチェーンに通された小さな指輪だった。チェーン自体はまだ数年、と言う真新しいもので、ハンドメイド雑貨を取り扱う量販店やネット通販などでも安く手に入る在り来りな代物である。ただし、そこにぶら下がっている指輪はシンプルな作りとは言え、大振りの〈魔晶石〉を抱いた年代物だ。
    しかし、閃光には見覚えがない。
    「俺ぁ獲物をそんなとこに置いたりしねえよ。見せろ」
    「じゃあオンナでも乗っけた時に、後ろでよろしくシちゃって落ちてたんじゃないですかぃ? あーやだやだ、不潔ぅ。ヤツフサが汚れる」
    「俺ぁそんな頭悪そうなオンナはごめん被るし、そもそも車にオンナなんか乗せ……あ」
     フェイの下世話な意見に眉間を寄せて彼を睨みつけたところで、ふと我に返った。女ならつい先程後ろに乗せたばかりではないか。
     思わず声を上げると、少年は唾でも吐きそうな荒んだ眼差しで、
    「ほーら、やっぱり」
    「違う、そう言う意味じゃねえよ。不可抗力だ。ヤツフサぼろぼろにした奴らから逃げる時のどさくさで……」
     責めるような口調に思わず声が荒くなる。が、そんな下らないことで無駄に争っている場合ではない。
    「とにかく、今はこいつの話だ」
     閃光は指輪をデスクのライトで照らすようにしながら目を眇めた。しばらく隅々まで確認していたが、不機嫌な舌打ちがこぼれるまで数分もかからない。
    「嫌な予感ってのは、何でこう全部当たるもんなんだ?」
    「ミツキさんのものですか?」
     心配そうにロキが問うて来る。
    「解らねえ……ただ、可能性は一番高いはずだ。このタイミングでコレだからな。もし、あの男が襲撃の時うっかり落としちまった、なんて底抜けの阿呆じゃねえ限りは。そして、問題はそれよりも」
     溜息をついて紫煙を吐き出す。ふかしたその味がいつもより苦い気がするのは、決して思い違いではあるまい。
    「この表面に彫られた一角獣の紋章……『暁』と同じハーレンスキー伯爵家の家紋だ」
    「な……どうして彼女がそんなものを!?」
    「多分知らねえで持ってたんだろう。戦争で伯爵家が没落してからは、財宝やら何やらもばらばらになったはずだからな。だけど、あの女にゃ『暁』の偽物を渡した……それで何一つ気づかないほど馬鹿じゃあるめぇよ」
     〈世界連邦〉発足以来、人類史上最悪と言われた〈世界大戦〉の起因となった〈魔晶石〉は、如何なる理由があろうと所持することを禁じられた。
     罰則こそ設けられてはいないものの、わざわざ手にして危険な目に遭遇したいとは思わないのが人間と言うものだ。便利さの裏に潜む代償を嫌と言うほど理解した民衆が自ら〈魔晶石〉を手放すまで、それほど時間はかからなかった。今では、暗黙の内に見つけ次第文保局に連絡することが徹底されたお陰で、一般人が直に目にする機会は殆どなくなり、若い年代には実物を見た経験が皆無な者もいることだろう。
     その他の物質との違いを見分ける方法は、類を見ない鮮やかな蒼い色と彼の石が放つ僅かな魔力の波動と言う、かつての人間たちが皆認識していた感覚に頼った曖昧なものでしかない。知らなければ解りようのないそれに、勘のいい者なら薄気味悪さや違和感を覚えるかもしれないが、何気なく扱う中で精査しろと言うのは不可能と言うものだろう。ミツキもまさか自分が持っているものが〈魔晶石〉であるとは夢にも思わなかったはずだ。
     日用品に至るあらゆる物へ〈魔法術〉が仕込まれて流通していた一昔前とは違う。
     今の世代の人間は、自分が何気なく持った品が、もしかしたら世界を揺るがす何かかも知れないことなど、想定していない。
    「ロキ、一応確認する。開けてくれ」
     差し出された指輪を受け取り、ロキは先刻と同じ手順を踏んで〈魔術式〉を展開する。それをじっと眺めていた閃光は、やがて溜息と共に紫煙を吐き出した。苛立たしさを堪えるようにソファーの背もたれへ身体を投げ出す。
    「…………どうでした?」
    「最悪だよ。予想通り『暁』の〈魔術式〉から続いてやがる内容だ。しかもさらに不味いことに、まだ完成してねえ」
    「……どう言う意味ですかぃ?」
     自分が持ち込んだものがどうやら非常にヤバいものであったらしいと理解して、さすがにフェイも軽口を叩ける心境ではないらしい。いつもへらへらと緩みっ放しの顔が緊張からか僅かに強張っている。
     天井を仰いだまま話したくないらしい閃光に代わって、ロキはなるべく平静な口調を心がけながら口を開いた。
    「つまり、今回僕たちが獲物として盗んで来た『暁』、それからこのミツキさんと言う文保局の方が持たれていた名前の解らない指輪、そして恐らく僕たちを襲撃してヤツフサを半壊させた組織が持っている指輪……この三つを合わせなければ一つの〈魔術式〉が完成しない、と言うことです」
    「………………それってマジでヤバくないですかぃ?」
    「ヤバいぞ、この上なく」
     携帯端末を眺めていた閃光の声がさらに尖る。どうやら早々にスワロウテイルから資料が送られて来たらしい。くるりとこちらへ掲げられた画面には、ロキがちらりとだけ視認した紋章が大きく掲載されていた。
     人の手とも翼とも取れるような奇妙な紋章。
    「それです! 僕が見た紋章」
    「奴ら……国際手配されてる強盗団だ。〈神の見えざる左手〉――〈魔法術〉の始祖、ルナ・クロウリーを神と崇め、〈魔法術〉による世界平定を最上とする――まあ、つまりは俺たちとは真逆の理由に寄って〈黄金期〉の品々を集めてやがる連中だ。俺たちを襲って来たあのツーブロックは、中でもボスの右腕として常に前線を務める幹部なんだそうだ。名前はアレン・パーカー……元合衆国の陸軍少佐」

    →続く