そして、冒頭に持って来られていた実業家一家の惨殺事件――日付は十日ほど前。妻子からシークレットサービスに至るまで徹底的に蹂躙されていた、と書かれた一見何の関係もなさそうな記事が、確認出来る最新の犯行なのだろう。そして、恐らくは今回の全ての始まり――彼らが所有するあの指輪が強奪された事件なのに違いない。
あの有能な情報屋は、必要のない情報を送って寄越したりなどしないのだ。
「奴らは少なくとも『暁』の方が自分たちに必要なことは知ってる。今頃俺たちを血眼で探してるだろうぜ」
「…………僕たちのことも勿論だと思いますけど、ミツキさんの方も危ないんじゃないですか? だって、彼女『暁』を盗み出した直後の僕たちと接触してるんですよ? 一緒に逃げたことも考慮して……仲間か手引きした人間だと思われる可能性もあるんじゃ……」
だとすると事態は急を要する。
閃光たちは行方の晦ましようなどいくらでもあるが、ミツキはそうはいかない。彼女の身元を割り出すことなど造作もないだろうし、そもそも一般人が自らの意思で姿を完全に消すと言うのはなかなか難しいものだ。ましてやどんなことをしてでも探し出そうとする裏社会の人間相手に隠れるなど、彼女だけでは出来ないだろう。いやそれ以前に、ミツキは自分が的になるかもしれない危険など、考えてもいないに違いない。
そして彼女に返した『暁』が偽物だとバレたとしても、ミツキの命は危険に晒される。まだこの三番目の指輪のことが明るみに出ていないとは言え、それも時間の問題だろう。どの道回避出来るものではない。
しん、と重たい空気が室内に満ちる。
それを払拭するように紫煙を吐き出した閃光は、ようやく身体を起こして携帯端末を放り出した。
「どうせ動かなきゃもう一つの指輪は手に入らねえ。手に入らなきゃ〈魔術式〉は分解出来ねえ。腹ぁ括るしかねえだろ」
煙草をくわえたままの口端が面白がるように持ち上げられた。
「それに、今まで力尽くで欲しいものを全部奪って来たような奴らから獲物を掠め取るなんて、愉快じゃねえか。怪盗冥利に尽きるってなもんだ……吠え面かかせてやろうぜ」
「……はい!」
閃光の言葉にホッと安堵したようにロキが頷く。フェイも張り切って腕捲りをしながら、
「オレも協力しまさぁ。そうとなりゃあ、レディを大至急完全体に戻さないとですねぃ」
「そりゃ頼もしい台詞だ。ついでと言っちゃなんだが、さっき頼んだ弾丸な。追加で前に頼んだオプションつけてくれ」
「オプション? あんなの本当に役に立つんですかぃ?」
「さあな……必要かどうかも疑わしいが、念のためって奴だ。金は倍払う」
指輪二つを手にした閃光は、表面に刻まれた一角獣の紋章を見つめてニヤッと笑った。
「この俺から何か盗もうなんざ、いい度胸してやがる。返り討ちにしてやんぜ」
* * *
「まあ、あんまり落ち込むんじゃねえよ。慣れねえ最初の内は、こう言うこともあらぁな」
目の前に突き出された缶コーヒーを思わず勢いで受け取ってしまってから、ミツキは「はぁ……」と気のない返事をした。高台寺は了承も得ずにどかりと隣へ腰を下ろす。本来だったらもう少し距離を開け直すところだが、今はそんな気力も沸かないほどにミツキは落ち込んでいた。
翌日、無事に取り戻した、と喜んで『暁』を持ち帰ったものの、分析課による鑑定でそれはよく出来た偽物であることが判明した。お陰で一時間ほどこってりと等々力課長からお説教を受け、解放されたのはつい先程のことだ。
大声で怒鳴り散らしたり、ネチネチと意味のない嫌みを繰り返されたりはしなかったものの、理路整然と新人だからと言っても許される範疇を超えた自分の非を説かれては、こちらには何も言うことなどない。
が、ひたすらすみませんと頭を下げる中でもミツキの思考いっぱいを占めていたのは、失くした指輪についてであり、それを手にしているだろうバレットのことであった。
――こんなこと言うと局員失格かもしれないけど、『暁』なんてどうでもいいから『天道』だけ返して欲しいよ……
お灸を据えられたことが余程堪えているらしい、と勘違いしている高台寺の慰めの言葉はまだ続いていたが、それらはミツキの中を素通りして反対側へポロポロとこぼれている。両親を早くに亡くしたミツキに取っては祖母が唯一の肉親であり、家族と言う繋がりを教えてくれた存在なのだ。特別な思い出やどこかに出かけた記憶がある訳ではない彼女が、ただ一つ残してくれた温もりが形見の指輪なのである。そんじょそこいらの遺品を失くしたのとは訳が違うのだ。
そう何度目になるか解らない溜息をついた時、不意にポケットの携帯端末がブルブルと震えて着信を告げた。個人用の方だ。光るモニターに示されているのは『非通知』。
「…………高台寺さん、ちょっとすみません」
出るかどうか一瞬迷ったものの、ミツキは席を立って休憩室の端に身を寄せた。声を抑えて対応する。
「も、もしもし……どちら様?」
「鴉葉ミツキだな?」
有無を言わせない口調と、低いけれど耳に心地よく通る声に聞き覚えがあった。思わず跳ね上がりかけた声を、口元を掌で押さえて顰める。
「もしかしてバレット!? 嘘、何で私の番号……」
「今の世の中、調べて調べられないことなんてねえだろ。手短に言うぞ」
カシッと向こうでジッポーの鳴る音。
「お前、昨日指輪をなくさなかったか? チェーンに通してペンダント代わりにされてるみたいだが、大振りの蒼い石が填められたやつだ。サイズは小さめ、六か七くらいだな」
それはまさしく昨日ミツキが失くした指輪に他ならない。
「そうよ、表面に一角獣の刻まれた……やっぱり貴方が持ってたのね!? 人の大切にしてるものを盗んで行くなんて酷いじゃない!」
「盗んでねえよ。人聞きの悪いこと言うな。車の中に落ちてたのを、何の価値もねえから返してやるんだ、ありがたく思え」
その高圧的な物言いにカチンと来たものの、どうやらちゃんと返してくれるらしい。本来ならそのまま黙って持っていても差し支えはなかろうに、『価値がないから』と言う理由でわざわざ捕まる危険を冒してまで届けてくれるとは、
――あれ、ひょっとしてそんなに悪い人じゃない……?
「い、一応ありがと」
「今から二時間後、トーキョーブリッジまで来い。じゃあな」
簡潔に、本当に必要なことだけを告げると呆気なく通信は途切れた。必ず一人で、とか誰にも尾行られるな、とかそう言う注文もまるでない。
それは偏に彼が逃げ切るだけの自信があるからなのだろうが、
――それにしたって信用されたものだわね……
『暁』の本物は間違いなくバレットが持っているはずだ。もし上手くやれば、それを奪還することも出来るかもしれない。よし、と気合いを入れ直してから戻って来たミツキに、高台寺が眉をひょいと上げてみせた。
「どうした? 急に元気が出たな。カレシから電話か?」
「違います。それセクハラですよ、高台寺さん」
「やれやれ……後輩とのコミュニケーションも取り辛くなったもんだ」
大袈裟に溜息をこぼしてうなだれる高台寺に知らん顔をして、ミツキは汗をかいて温くなった缶コーヒーを取り上げた。
「ちょっと出て来ます。コーヒー、ご馳走さまでした」
姿勢正しくぴっと延びたその背中を見やって、高台寺はもう一度ひょいと眉を上げた。
→続く