血飛沫など上げてはいない。当然だ、彼を沈めたのは鋼の切っ先などではなく、ナナキの放った鋭い蹴りだったからである。側頭部でもなく鳩尾でもなく、的確に男の象徴を蹴り上げられた佐々に、しかしカゲトラは同情も哀れみも覚えはしなかった。
どうせ無抵抗のオンナを泣かすくらいにしか役立たないなら、一生使い物にならないよう潰された方が世のためと言うものである。
苦鳴を溢しながらぴくぴくと痙攣しているその背中を見下ろし、ナナキは冷たく氷の微笑を浮かべてみせた。
「すまぬ、よく聞こえなかった。ちゃんと人語で話してくれぬか? 豚語は理解出来ぬ故」
「貴っ様、この女(アマ)!! 大隊長に何と言う真似を……!!」
「これがわしを愚弄したことに対して、正当なる制裁を加えただけじゃ。カゲトラから斬られなかっただけありがたいと思え。でなければ、主は一生『平民上がりから斬られた、武道に重きを置く帝国軍の面汚し』になるところだったのじゃからの」
嘲笑を投げつけたナナキは、くるりと踵を返した。
「行くぞ、時間が惜しい」
「お前……俺のことは止めたくせに、自分で鉄槌下すのはありなのか」
「うむ、ついかっとなってやってしまった。だが、後悔はしていない。わしの辞書には反省と言う文字はあるが、後悔と言う文字など載っておらぬからの」
「ああ、そうかよ。だったら今すぐ書き加えとけ、極太の筆ででっかくな。反省だけなら猿でも出来るわ」
毒気を削がれて、カゲトラはそのまま彼女の背中に続く。が、このまま「はいそうですか」と終われないのは第五大隊の方だ。
「ま、待てぃ! 貴様ら我々に喧嘩を売っておいて、このままですむと思っているのか!?」
傍らで震えていた女性たちを乱暴に引き寄せて盾のように刃を向けると、
「そこに土下座して詫びろ。でなければ、こいつらをこのまま斬り捨てる」
「どのみち好き放題に犯した後はそうするつもりであったくせに、よく言うわ」
「こいつらを助けに来たんだろう? いいのか、見捨ててしまって」
呆れたように溜息をつきながらも、足を止めたナナキへ畳みかけるように第五大隊の面々はそう問う。真正面から立ち向かわずに、相手から抵抗の手段を奪った上で叩く――その薄汚い手法は今も健在らしい。
が、ナナキは凍てついた笑みを崩さぬまま振り向いて、
「好きにすればよかろう、罪を犯すのは主らじゃ。それに、わしは別に正義の味方ではない」
「な……っ!?」
「ただし、罪なき平民を斬るは誇り高き帝国軍人、況してや士族の行いに在らず。その蛮行、わしが責任を持って処断する故、覚悟して刀を抜けよ?」
じろりと男たちを見やったナナキの目は笑っていない。その腰に刀は佩いておらず、素手であることは見れば解るはずなのに、男たちはそれ以上身動ぎすることを許されないような心持ちになったらしかった。
「……ろせっ」
不意に蹲っていた佐々が何事かを呟く。くぐもっていてよく聞き取れなかったが、鼻先を掠めたどこか怠惰な甘い匂いにカゲトラは咄嗟に『魔神兵装(ましんへいそう)』を抜いた。
――こいつ、阿片吸ってやがる……!
蒸気駆動が白煙を吐いて起動し、飛来した何かを黒鐵の直刃が受け止める。それは佐々の背中から飛び出した鋼の機巧だった。ナナキと同じ――ヒトが持つはずのない器官が、鉄索(ケーブル)がその皮膚を食い破って出現し、明らかな敵意を持ってこちらへ牙を剥いたのだ。
→続く
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