その問いにコチョウの双眸が僅かに細められる。
    「……何の話か解らしまへんけど、うちがあんたらみたいな腐れ狗のためにどうこうするなんてことは、例えこの世が滅んでもあらしませんよ」
    「知らぬとは言わせぬ。この街でありとあらゆる商いを、荷のやり取りを握っている主が、よもや自分の店に沸いた鼠一匹気付けぬぼんくらだとは誰も信じまいよ」
    「…………」
    「だが、この鼠が想定外に狂暴な化け鼠で手を焼いておる。違うか?」
     客が行儀のよい輩ばかりではない宵待月(よいまちづき)は、元々腕の立つ用心棒の男衆を何人も抱えている。そうでなくとも、暗黒百貨店小飼の荒事専門の部下だって、大勢彼女は束ねているのだ。天女のように儚げで清らかに見えるその顔の下に流れるコチョウの血は、確かに長年この街に根を張り生き抜いて来た、夜叉のごとき業の深さと強かさで染まっている。
     しかし、彼らの腕が立つとは言え、それはあくまでも人が相手である前提での話だろう。
    その規格から常識から大きく外れ、通常の鋼の太刀や弾丸など諸共しないナレノハテと対峙すれば、象と蟻のように容易く踏み潰されてしまうに違いない。
     幾人か犠牲になっただろうか?
     だとしても、他の二人の顔役との協定がある以上徒に兵を増やすことは出来なかっただろう。そんなことをすれば、危うい中でもどうにか保たれている均衡が崩れ、間違いなく玖街(くがい)での戦争が勃発する。
     そこで困った彼女は妙案を思いついた。自らの駒を減らさず、尚且つ敵対する政府の戦力を僅かでも削り、この問題を集束するための唯一の方法――治安統括も任務に入っている陸軍本部に現状を密告することを。
     具体的な対策が取られるか否かは半ば賭けであっただろうが、コチョウの狙いは外れなかった。
    「俺たちはその化け鼠みてえな輩を排除するのが仕事だ。でも、闇雲に探すにゃこの街は広くて深過ぎる。情報をくれ。それ以上あんたの手を煩わせるこたぁしねえ」
    「……まあ、確かに、うちの縄張りでちょろちょろしてはる奴がおるんは確かやけど……そやかて小虎、あんたの目鼻は足は何のために着いてるん? うちは商い人なんよ? ただで狗にくれてやる餌なんかあらへんわ」
    「…………」
    「役に立たん猫の代わりに、わしらが鼠の首を主にくれてやるのにまだ不満かえ? 被害が出ておるのは何も主の縄張りだけではない。その犯人を挙げたとなれば、三頭竜の中でも幅を聞かせられると思うがの」
     ずい、と一歩踏み出してナナキはコチョウに詰め寄る。
    「何よりわしらは、これ以上一般人に被害を出しとうない。必死に足掻いて這いつくばって、それでも何とか生きておる民の安全を、これ以上脅かしとうない。じゃから主も苦渋の末、選択したんじゃないのかえ?」
     その強い眼差しに何を見て取ったのか、コチョウは小さく溜息混じりの紫煙を吐き出した。
    「……何や、小虎が黙って従うとると思うたら、そう言うことやの。まあ、ええわ……ただうちらかて、ろくに情報持ってへんって言うのが、正直なところなんよ。あんたらの睨んでる通り、阿片の市場の動きがちょっとおかしいって報告がちらほら上がっててな。普通なら多分気付かへんやろうね」
     人の出入りが激しい玖街(くがい)では、いちいちその詳細を誰かが監視している訳ではない。
     住人のことであれば多少は注意も払うだろうが、そうでなければ余程警戒が必要な動きでもしていない限り、いちいち気にしてはいられないのが現状だ。
     後ろ暗いことをするには、秘密裏のやり取りを行うには、絶好の温床なのである。
    「個人間でのやり取り、と言うことか?」
    「そうやね……接触するのもほんの僅かな時間。実際に品と金を受け渡すだけなら、ものの数秒……すれ違いざまにだって出来るんとちゃうやろか」
    「成程、詳細な商談は街の外で行われている可能性もある、と言う訳か。となると、その現場を押さえるのはかなり難しそうじゃの」
     ナナキの眉が寄る。十三大隊たった二人で対応するには無理がある話だ。
    「ただ……この前の軍人はんはちょっと例外なんやけど、今まで犠牲になった者に一つ、共通点はあるんよ」
    「何だ?」
    「みんな若い女やってん。しかも全員が揃いも揃って桃色の着物を着てはったそうや」
    ――そう言えば……
     先程見世の格子越しに見た客待ちの女たちは、誰一人桃色の着物を着ている者がいなかったことをカゲトラは思い出した。この街でそんな鮮やかな着物を纏うとしたら、見世に籍を置こうと置くまいと色を売る女くらいなものだろう。
     同じ下層区画でもまだ他の街ならそうとも言い切れないのだろうが、ここは最底辺の貧困者が多い。
     しかも、見世に囲われているなら少なからずこうして噂が回って自衛も出来る。男衆の目もあるから不審な輩はそうそう寄りつかぬし、そもそも阿片などの薬に手出しは出来ない。問題はその枠からこぼれ、落ちぶれた者たちである。
     外から来た者ならば恐らく、取引相手と解るようにだとか何だとか、上手く言い包められているに違いない。
    「その者たちに接触したと言う同一人物がおるはずじゃ。何か目撃した者は?」
    「残念ながら何も。犯人だって阿呆やないやろうから、毎回正直に同じ格好はしてへんやろうしね」
     そこでコチョウはとん、と煙管の灰を盆の皿に落とした。これで話は仕舞いと言うことだろう。懐から時計を取り出して見れば、きっかり十分が経過していた。
    「ほな、次来る時は手土産の鼠の首を楽しみにしてるわ。それから小虎、ここの暖簾潜る時はもうオンナ一緒に連れて来たらあかんえ? あんただけならいつでもこれ差し出したるからね」
     にっこりと美しい細工の煙管の雁首で、くいと顎を持ち上げられてカゲトラは小さく息をついた。
    「善処する」


    →続く