「『何とまあ、馴染み女郎の吸いつけ煙草で煙管の雨が降るよぅだぁ!』じゃの。あれだけ大見得切ってしもうたからには、主にもばりばり働いて貰うぞ」
    「いや、言われなくてもそのつもりだけど……っつーか何怒ってんだ、ナナキ」
    「怒ってなどおらぬ。わしは売られた喧嘩は残らず買う主義なだけじゃ」
    「はぁ? 怒ってんじゃねえか」
     憤慨した様子で歩くその小さな背中からは、怒りの蒸気が出そうなほどだ。確かに大の政府嫌いなコチョウの口振りは友好的なものではなかったが、そんなに機嫌を損ねるほどのものかと首を捻る。
     とかく、女と言うものはすぐに泣いたり怒ったりするから扱いが難しい。
     しかもこちらにはその理由が解らないのだから、気をつけようがなかった。せめて何が原因かくらい教えてくれなければ、次から対処の仕様がないのだが、こう言う時は決まって何も話してくれないものである。
    ――まあ、またよく解らん内に笑うようになるのが、女の不思議なとこなんだが……
     根本的に思考回路や感受性と言ったものが違うのだ、と面倒臭くなって考えるのをやめようとしたところで、立ち止まっていたナナキにぶつかった。
    「痛ってーな! 何なんだよもう!! 言いたいことがあるならはっきり言え!!」
    「コチョウとは、本当はどんな関係なんじゃ? 玖街(くがい)の顔役とたかが帝国軍の一雑兵が……少なくともただの顔見知りではあるまい?」
     はっきり言えと言ったからではないのだろうが、振り向いたナナキは真っ直ぐにカゲトラを見据えてそう問うた。その眼差しにいつもは浮かぶ揶揄の色はない。
    「思えばわしは……主のことを何も知らなんだ、カゲトラ。今まではそれでいいと思っておった。すぐに逃げるか死ぬかして、わしの傍に長くありはしない者のことを深く知っても仕方のないことだと……そう思っておった」
    「俺だって逃げはしねえけど、すぐ死ぬかもしれねえぜ? まだ三日目程度だろ」
    「それでも」
     きゅ、と小さく握り締められる両手。
    「それでも、知らねばならぬと思うたのじゃ。知りたいと……思ったのじゃ」
     いつも自信満々な彼女にしては珍しく、言葉を重ねるごとに声が小さくなり視線が俯いて行く。一体何をそこまでムキになっているのかと疑問に思いながら、カゲトラは小さく溜息をついて、懐から煙草を取り出した。
     着火具で火をつけて一つ吸いつけると、甘ったるい煙管の匂いを振り払うように紫煙を吐き出す。
    「別に面白くも何ともねえぞ? お前が期待だか心配だかしてるような話は一個もねえ。俺ぁ玖街(くがい)出身で、物心ついた時にはもう既に親がいなかった。ちょうど反政府組織と軍がまともにぶつかった辺りの年に産まれたらしくてな、多分巻き込まれて死んじまったんだろうが……見世先に捨てられてたのをコチョウが拾って育ててくれたんだよ」
    「そ、育ててくれた!? あの花魁、一体何歳じゃ!?」
    「今時西鈍りだぞ? 俺も詳しくは知らねえけど、もしかしたらお前より上かもしれねえぜ。察しろ。昔一回訊いたら、はっ倒されたからな」
     とは言え、その時分からやんちゃを通り越して悪たれだったカゲトラは、大人しくコチョウを親と慕うような可愛い気のある子供ではなかった。事あるごとに反発して見世には殆んど寄りつかなかった上、男衆の長短刀(ドス)を持ち出しては暴れ散らかすような、手のつけられない利かん坊だったのだ。
     無論、他組織との軋轢を嫌って激怒したコチョウから厳しく折檻されたことも、一度や二度ではない。けれどカゲトラは態度を改めることはしなかったし、成長するに連れてますますささくれ立って尖って行く彼に、正直手を焼いていただろう。
     何日も帰らず、荒くれ相手に大怪我をして担ぎ込まれることもざらだった。
     それでも、どんなに叱られても、カゲトラがご飯を食べに帰るのはコチョウの元だったのだ。そんな彼に、彼女の方も黙ってご飯を出すのが常だった。
    『ほんに……あんたが可愛えのは、黙ってご飯食べてる時だけやねえ』
     と言うのが、コチョウの口癖だったのを思い出す。もしかしたら彼女は、自分の用心棒として己を育てるつもりであったのかもしれない、と今でも思う。
    「突然出てって、と言うのは?」
    「ガキだったからな。喧嘩して飛び出したんだよ、理由は忘れたけど。それで、とにかく腕試しといろいろ知らないものを見たかったのと、取り敢えず自由になったって勘違いであちこちぶらついてな」
    「そこは重要なとこではないのか」
    「重要じゃねえよ、飛び出す時はいつだって本当に出てくつもりなんだ。その時も二度と戻らねえつもりだった。実際……今日まで帰らなかったんだから、コチョウにしてみりゃとっくにおっ死んだと思ってただろうな」
     本当なら問い質したいことも言いたいこともたくさんあっただろうに、コチョウは一度咎めただけでそれ以上何も訊かないでいてくれた。何も言わないでいてくれた。
     はぐらかしたこちらの事情を、時間が取れないからと言う理由を建前にして。
    「何故……今回は戻らなかったんじゃ?」
     その問いには、しばらく躊躇する気配があった。燻らせていた紫煙をゆっくり一度吸い込み、細くゆるゆると吐き出す。
    「……戻らなかったっつーか、戻れなかったっつーか……軍の平民狩りで取っ捕まっちまったからな」


    →続く