「うるさい、黙れ政府の狗が!! 貴様のような下衆で無礼な輩にボクの気持ちが解って堪るか!」
     身を捩って手の拘束から逃れようと叫ぶ男を、カゲトラは容赦なく押さえつける。彼は自分と同じ外部兵装しか持たない――ナレノハテではないただの人間のようだが、どこに何を隠し持っているか油断はならない。
    「解る訳ねえだろ、俺はテメーじゃねえ。だが、誰が何と言おうとテメーの成したことはエゴだ。どんなことをしても治してみせる? 何の病気か知らねえが、彼女は最期まで闘って眠りに就いたんだろう? それを叩き起こしてあんな風に扱うのは、無粋ってぇもんじゃねえのか、え? 色男」
     男の醜く歪んだ顔を見下ろす視線は冷たく乾いている。
    「生きてる奴が死んだ奴にしてやれることなんか、ただ一つそいつを忘れねえでいることだけだ。いつまでもめそめそ縋りついてねえで、しゃんと自分の足で立てや。そんな情けねえ面であの世に逝った時彼女に逢う気か、ダサ過ぎだろ」
    「黙れ!! ヒナギクのことを何も知らないくせに! ボクたちのことを何も知らないくせに!!」
    「ああ、知らねえよ。んな無様を晒してるテメーを知りたいなんて、爪の先程も思わねえよ。おら、例の阿片持ってやがるんだろう? 出せ」
     どれだけ話したところで平行線な価値観は交わることなどない。カゲトラは会話を諦めて、男を瓦斯(ガス)灯の根本に拘束すると懐やら何やらを探り始めた。
    ――にしても、ナレノハテの餌は人間のはず……そのまま与えないで、わざわざ新たなナレノハテを産み出して喰わせてたのは何でだ?
     彼女が特異な体質で普通の人間の血では合わなかったのか、それとも他に何か理由があるのか――
     視線だけを上げて、ナナキに助太刀が必要か否かを確認する。始めこそその見た目に悲鳴を上げていたものの、一度腹を括ってしまえば気にならなくなったのか、今は真正面から対峙して戦闘を繰り広げていた。
     人外同士のぶつかり合いはその威力も速度も凄まじく、カゲトラの目では全てを追えない。
     交錯する鋼が時折火花を散らし、至近距離で蒸気銃が咆哮を上げる。廃墟の壁や屋根も構わず足場にして多角的に斬撃を繰り出し、拳を蹴りを交えながら、相手を倒すために屠るために機巧を駆使する彼女たちのやり取りには、到底首も横槍も突っ込めそうになかった。
     さすがに軍がナレノハテの任務を一任するナナキの方が、踏んだ場数も潜った修羅場も桁違いな経験の持ち主であるが故か、幾分余裕があるように見受けられる。
     伯仲に見えた攻防はやがて次第にナナキが押し始め、叩き折られた女の機巧がいくつも地面に転がり壁に突き刺さっていた。長時間意識を張りつめていなければならない状況も、疲労し神経を磨耗させて行くものか、始めの頃より女の手数が減り動きも鈍くなっているようだ。
    ――行ける……
     心配する必要もなかったか、とカゲトラが男に再び向き直った時、剣戟の音の合間を縫うように何かを引き摺るような微かな音が聞こえて来た。それも一つや二つではない。まさかと背筋を冷たい汗が滑り落ちたと同時、辺りに腐った魚のような生臭い臭気が漂い始める。
    「ナナキ、囲まれたぞ!!」
     辻の向かい側から夜霧を割って姿を現したのは、土気色の肌をした額に一本の角を掲げる人々――いや、ナレノハテの集団だった。その虚ろな目と半ば自我が崩壊したような様相を見れば、懸念していた通り元阿片中毒者たちであることは明らかだ。
     その数はおよそ二十。緩慢なその動きは大した驚異になるとも思えなかったが、彼らは何故か明かりに群がる蛾のように交戦中の二人を目指している。ふと見れば、男は再び肩を揺らして愉快そうに嗤っていた。
    「ああ、ほら……天はボクたちに味方している。蒔いてた種がこんな好機で芽吹くなんて、最高じゃないか」
    「うるせえ、させるか」
     カゲトラは踵を返すと、一番ナナキの間近に迫っていた一体へ背後から抜き打ちの一太刀を放った。
    躊躇の消えたその切っ先は鋭く、ナレノハテは声を立てる暇もなくどす黒い体液をぶちまけて、その場に中身を撒き散らしながら頽れる。その事切れる様を確認することもせず、返す刀は牙を剥いて襲いかかった二体目を薙ぎ払った。くるりと掌中で回転する間に、蒸気駆動が起動して機巧が長砲へと姿を変える。
     どん、と腹に響く銃声。飛び出した弾丸は蒸気を纏ったまま、狙い違わず反対側からナナキを狙っていた三体目の頭を撃ち抜いた。
     が、カゲトラは男が嗤った意味を、正しく理解していなかったと言っていいだろう。
     ナレノハテを蹴散らすためにナナキの背中を守るために、彼が二人へ接近することは男の計算通りだったのだ。寧ろ現れたナレノハテの集団は、カゲトラをそちらへ誘導するためのものであった。
    「さっさと喰われろ」
     女の機巧が無防備なその背中を狙って繰り出される。
    「…………っ!」
    「カゲトラ!!」
     ナナキの渾身の体当たりを食らって、諸共二人して地面に倒れ込む。
    「馬鹿者、近付き過ぎじゃ! 邪魔と言うたであろうが」
    「悪ぃ……あ、」
     カゲトラの視線が釘付けになる。
     激しい攻防の中でもずっと、微塵も揺らがずナナキの頭に乗っていたはずの軍帽が転げ落ち、額の二本の角が露になっていた。


    →続く