悲鳴と共に落下して来た男を受け止め、手早く外套の裾を裂くと腕の止血を施してやる。
     こちらを覚えていたのか、男は驚いたように「君は……」と何か呟きかけたが、カゲトラはぐっと言いたい言葉を全部飲み込み、ふいっとそっぽを向いて立ち上がった。今はこんな輩に構っている場合ではない。
     ナナキが双眸を細めてこちらを伺っていたのは、不意討ちなどせずとも、急いて切り返しをせずとも、確実にこちらを取れる自信があるからだ。
     魔神兵装そのものである彼女に取って、どれほど強力な得物を携えていようとそれが外部兵装である限り、反応してから稼働までのほんの刹那の誤差は、充分つけ入ることの出来る隙なのだろう。
    「わしの兵装を撃ち抜くとは、主軍部の狗にしてはなかなかいい腕をしておるの。何者かは知らんが、一体今頃何をしに来たんじゃ?」
    ――成程、俺のこたぁ認識してねえってか……
     一つ大きく深呼吸をして覚悟を決める。
     例え万全の状態であったとしても、人である自分とマガツヒトである彼女の力量の差は埋めようがないほど歴然としたものだ。それを今の状況でどうにかしようなど、ナナキに鼻先で嗤われても仕方がなかろうと思う。
     けれど、
    『私情で『魔神兵装(それ)』を振り回すなら、わしがその首を落とすと言うておるのじゃ』
    『わしの力は何かを守るために使いたい』
    ――そう言ったテメーが、自分でその想いを違えるしかねえ性に飲まれたなら……俺が殺してでも止めてやるってんだよ……
     慣れた日本刀へとシュラモドキを変形させて、カゲトラは停めていた蒸気二輪に跨がり、再びその動力炉へ火を入れた。ぶるんと身震いをして稼働した蒸気駆動が白煙と共に重低音の咆哮を上げ、しなやかな獣のようにいつ飛びかかってやろうかとその爪を研ぐ。
    「言ったろう。迎えに来た。帰るぞ、ナナキ」
    「帰る? わしにあの牢獄へ戻れと? 嫌じゃ、断固断る。わしは自由になった。従う故はない。そこを退け。その男、八つ裂きにしても足らぬ罪を犯したんじゃ」
    「テメーこそその得物引け。こいつはナレノハテじゃあねえ。俺たちが斬るのはあいつらだけだろう」
    「人間だから何じゃ。主らはわしの餌に過ぎぬただの下等生物……でかい面をするつもりなら、主から食らい尽くしてやってもいいんじゃぞ?」
    「やってみろよ」
     悪辣な笑みを浮かべて言うなり、カゲトラは蒸気二輪の鞴(ふいご)を目一杯踏み込んだ。ぐん、と加速した車体が矢のように疾駆してナナキに迫る。
     彼女は――彼女だったものは実に愉しそうに嗤って、カゲトラと同じく刀を手にこちらを迎え討とうと構えを取った。両手で持った得物を目線の高さで水平に保ち、右足を大きく引いて半身開いた姿勢だ。
    「ふふ……っ、大型戦車に単騎突っ込んで来るかのごとき、その心粋や良し。わしも全力で相手をしてやろう」
     小手調べだ、とでも言いた気に蠢く鉄索(ケーブル)が先陣を切って襲いかかって来る。それを躱し、あるいは斬り捨てながら接近したカゲトラは、徐にその前輪をがばりと持ち上げた。
    「っらああああああっ!!」
     それはさながら、猛獣がその爪牙を閃かせて踊りかかるかのごとき暴挙だ。普通であれば、ナナキの華奢な体躯は瞬く間に押し潰されてしまうところだろう。
     しかし、彼女は嬉々として地を蹴ると、そのまま鋼鉄の獣へ向かって切っ先を突き出した。体重を綺麗に乗せた刺突は、まるで紙屑でも貫くように易々と蒸気二輪の機巧の要である駆動部へ食らいつき、瞬時に姿を変えた砲門が跡形もなくその残骸を消し飛ばす。
     相次ぐ爆発の激震が大気を震わせ、紅蓮と蒼白の炎がない交ぜになった業火が、周囲のあらゆるものを薙ぎ払い焼き尽くした。荒れ狂う風がナナキの黒髪を乱す。
    「何じゃ……口ほどにもないのう」
    「テメーもな」
    「な……っ!?」
     どす黒い灰と煙を割ってナナキの眼前に降り立ったカゲトラは火傷と流血で酷い有り様ではあったが、その双眸から強い光を失ってはいなかった。
     仕留めたものと油断していたナナキは、思いもかけない展開に、咄嗟に刃へ戻した兵装の切っ先をカゲトラへ突き立てようと振るったが、所詮それは動揺で滲んだ死に体だ。呆気なくそれを受け止め、ナナキの腕を掴んで乱暴に引き寄せたカゲトラは、そのまま彼女の口唇へ噛みつくような接吻を落とした。


    →続く