深い山に取り囲まれた、地図にも載っていない集落――幾つもあった激動の時代のうねりや喧騒からは隔絶し、独自の文化を古くから継承し続けている土地。
     そう言えば聞こえはいいが、要は取り残されてしまった田舎の奥地――まるで、数百年もの長い間時が止まってしまっているかのような時代錯誤な秘境、それが閃光の産まれた大神(おおかみ)村である。
     天狼(てんろう)家は代々その村を治める盟主であり、父親である修晟(しゅうせい)は若くして本家の覇権を握り、その座に就いている男であった。
     気性が激しく、直系血族の男子以外に後継を認めず、と言う昔ながらの慣習を是とする彼は、待望の息子が産まれた時それはそれは歓喜した。これでお家は安泰間違いないと、妻である椿(つばき)を大層労ったのだと言う。
     しかしそれも束の間、赤ん坊の双眸が開くまでだった。世継の長男として産まれたはずのその赤ん坊の瞳は、生まれつき真紅だったのである。
     光の加減でそう見えるほど色素が薄い、などと言う生温さではない。泣けばそのまま、涙ではなく鮮血が滴り落ちて来るのではなかろうかと思えるほど、峻烈にして鮮やかな紅――それを見た瞬間、激怒した修晟の態度は豹変した。まだ一歳の息子を床に叩きつけ、そのまま殺そうとしたのだ。
     それまで一度も目を開けたことがなかった赤ん坊は、こうなることを本能的に予期して恐れ、生き延びるために断固双眸を閉ざしていたかのように思えるほどの、荒れ様だった。
    「よりによって獣憑きの化け物じゃねえか、ふざけやがって!!」
     天狼家はその純血を守るため、血族婚しか行わない一族だ。故に時折、こうして赤目の子供が産まれた。そうした赤ん坊は『獣憑き』と呼ばれ(獣の耳や尾や鉤爪が見られることもあったらしい)、「なかったこと」にされてしまうのが常であったのだ。
     近しい血は遺伝子異常や奇形、病気を引き起こしやすいと言うことは、〈大戦〉前から声高に叫ばれ、禁止されるようにもなっていたが、そんな『外』の事情など、知っていても従う義理などない、とばかりにこの一族の伝統は脈々と受け継がれて来たのである。
     中でもその誇りに重きを置く修晟は、すぐ下の妹を娶った。寧ろ娘のまほろに異常がなかったのが、幸いであったと言えるのだろう。
     どうにか椿の懇願によってその場は最悪の事態を免れたものの、「さっさと捨てろ」と言う一言を母に投げつけて、踵を返した父の背中をまほろは今も覚えている。戸籍はすぐさま死亡届によって抹消され、閃光は齢一歳でその存在を亡き者にされたのだ。
     その後、一体どうやって取り成したのか定かではないが、土蔵を改造した座敷牢から絶対に出さないことを条件に、閃光は生きることを許された。
     その頃には既に、己を責め続けてノイローゼ気味だった母は首を吊って自害しており、始めの頃は下働きの者がやっていた彼の世話は、まほろが全て行うようになったのである。当主の命令故にか、ただ苛立ちや不満をぶつける対象として都合がよかったのか、化け物と罵られ手を上げられることが、後を絶たなかったせいだ。
     癒える暇もないほどに、閃光はいつも生疵だらけだった。
     おまけに、村の人々が「嫡男は死んだ」などと言う嘘も忘れてしまうほど時間が経つ間、閃光は実の父親から何度となく殺されかけた。
     泣き声がうるさいと殴られ蹴られ声一つ立てなくなり、事あるごとにその目が気に食わないと唾を吐かれ、食事には毒や金属片が混ぜられることはざらだった。両親から一欠片も愛情を与えられない弟が不憫で可哀想でならなくて、何とか死なせたくない一心で、まほろは己に出来る限りの全てでもって彼に尽くした。
     その甲斐あってか、犬畜生のような繋がれた生活を強いられているにも関わらず、閃光はまほろにだけはどうにか心を開いてくれているらしかった。


    →続く