「と、とにかく操縦士の人に何とかして貰わないと……飛行船の運転って、確か何か特別資格がいるんですよね!?」
     果たして、彼らを生かしておくような生温い真似を一行がしてくれているかどうかは甚だ疑問だったが、二人は操縦席に走った。
     会場がどうなったのか、落ちた閃光は無事なのか、気になることは多々あったが、まずは自分の命を確保することを最優先に動かなければ、救えるものも救えなくなってしまう。
     〈神の見えざる左手〉一行はもう離脱準備に入っているのか、廊下に他の人気はない。
     願いを込めて開けた鉄扉の向こう、広がっていた半ば以上は想像していた通りの血塗れな光景に、ミツキは無意識に息を飲んだ。こぼしかけた悲鳴は辛うじて飲み込む。
    「酷い……」
     マシンガンでも乱射されたのか、いくつも穿たれた弾痕に窓まで飛び散った血飛沫がまだ乾き切ってはいない。噎せ返るような硝煙の焦げた臭いと、生臭い血の香りが入り交じって、何とも言えない空気が立ち込めていた。
     ロキは操縦席に座ったまま、立ち上がる暇さえ与えて貰えず事切れた操縦士の二名を椅子ごと押し退けると、まだ生きているらしくピコピコと某かが点滅しているコントロールパネルに手を翳した。
     が、
    「……駄目です、開場中は自動運転に切り替えられてます。生体認証のプロテクトがかかってる……僕じゃ潜り込めません!」
    「そんな……何かこう、ちゃちゃっと権限を乗っ取ったりとか出来ないですか!?」
    「…………僕のハッキング技術じゃ、プロテクト解いてる間にビルに追突してしまいます」
    「〈魔法術〉は!? 何かこう……いい感じに飛行船を曲げるとか浮かすとか、出来るようなのないの!?」
    「あったとしてもこれだけの質量をどうにかするほどの高度な〈魔法術〉……完璧に制御する保証は出来ません」
    「あーじゃあどうすれば!? 考えろ考えろミツキ……!!」
     閃光ならきっとどんなピンチになっても必ず活路を見出だそうと、最後の最後までありとあらゆる手段と方法を思案するはずだ。
     彼の頭の回転や思考力、知識量――どれを取っても遠く及ばないけれど、それでも、
    ――ここに乗ってる人たちを……一人でも助けるんだ……!
     うんうん頭を抱えて考えているミツキの小さな背中を見遣って、ロキは静かに告げた。
    「被害を最小限に押さえるなら、方法は一つだけあります」
    「……どうするんですか?」
    「今この船はまだ海上を飛んでいます。落とすんですよ。行路をねじ曲げたり無理矢理停止させるよりは、墜落の衝撃を和らげる方がまだ簡単です」
    「そんなこと出来るんですか? あの大量のガスを爆発させずに?」
    「コックを全開にして、浮揚出来ない状態までガスを逃がして行くしかありません。メインコンピューターへ直接コンタクトは出来ませんが、サブへは潜れそうなので……それもどれだけ自由に出来るか解らないし、成功確率は決して高くないですが、このまま何もせず街中に突っ込むよりはマシでしょう」
     自分と同じ蒼い双眸はそれがどれほどの綱渡りであるか、覚悟を決めて臨もうとしているかをひしひしと湛えているようで、ミツキはぐっと込み上げる唾を飲み込んだ。長いこと閃光と組んでいる彼ならば、きっと主人が選ぶだろう答えを迷わず上げるはずだ。
    「解ったわ……やりましょう。何か私に出来ることは?」
    「まずは会場の同僚の方に連絡をつけて、無事な人たちに救命具を」
     両手を翳してサブコンピューターへアクセスを開始したロキへ頷いてみせてから、ミツキは腕時計の時間を確認した。既にウォルフが離脱してから五分以上が経過している。残りのメンバーも残ってはいないはずだ。となれば、この飛行船はいつ攻撃を受けても不思議ではない状況にあると言うことである。
     いや、わざわざそんなことをせずとも、操縦出来る者のいない飛行船は黙っていてもこのまま行けば街中に突っ込んで派手な花火を上げるのだ。
     無線機のスイッチを入れて、回線を全て繋げた。誰か――答えてくれる者はいるのか。
    「鴉葉です! 今、会場どうなってますか!?」
    「魏だ! 無事だったか、今どこにいる? 俺は外にいたがこっちは四人やられた……客に死人はいないはずだが、負傷者はいるみたいだ」
    「私は今操縦室です。詳しく説明している暇はありませんが、もうこの船は保ちません。しばらくしたら落ちます」
     通信機の向こうで強面の男が息を飲む気配。
    「何だって!? まさか操縦士たちはやられてたのか! くそ……っ、コンピューターは!? 動いてるのか?」
    「解りません。とにかく動ける人たちで、救命具の手配と装着をお願いします」
    「了解だ……くれぐれも無茶はするなよ」
    「はい」
     答えたミツキに、次はロキからの指示が飛んで来る。その声音は未だかつて聞いたことがないくらいの緊張を孕んでいた。どうやら状況は思っていたより悪いようだ。
    「ミツキさん、こっちのレバーをお願いします! 重いですが、ゆっくり時計周りに動かしてください」
    「はい! 時計周り、時計周り……」
    「今船体データをスキャニングしてみましたが、やはりエンベロープにいくつも亀裂が入ってます。ガス漏れは現在進行形です。墜落させるには都合がいいですが、万が一引火したら一巻の終わりだ」
     エンジンの停止は不可、手動で出来るのは緊急停止装置の稼働とコックの開栓のみである。そして最大にして唯一の問題は、爆発を起こさず街に入る前に着水させられるか否かだ。もし失敗すればどれくらいの犠牲が出るか――考えたくもない。
    「距離は足りますか?」
    「甘めに言ってぎりぎり微妙、と言うところです。運頼みですよ。最も……悪いことしてる閃光や僕が乗ってるこの船を、神様がそう都合よく助けてくれる気はしないですけどね」
     ロキの両掌が蒼白い光を帯びて輝き出す。〈魔法術〉の展開だ。異国の言葉のような図形のような不可思議な羅列が宙空へ散らばって行く。
    「高度もっと落とさないと……ミツキさん、もう少し早めで」
    「が、頑張ります!」
     ブレーキをかけながら〈魔法術〉を展開し、船体のバランスを保ったまま制御するのは相当の負担だろう。ミツキがこの船の体積が浮揚していられなくなるまでコックを開けなければ、どれだけロキが尽力しても止められない。
     大きく切り取られた操縦席の窓からは、遠かった街の明かりがぐんぐん近づいて来るのが嫌でも目に入る。
    ――お願い……間に合って!


    →続く