黒髪切れ長一重の緑眼、顔立ちは東洋系。記憶力はよい方だと自負しているが、閃光は初見だった。無論狙われる理由は思い当たり過ぎて枚挙に暇ないが、今男が殺気を向けていたのはこちらではなくミツキの方だった。
    「ダミアンさん……何で、ここに……」
     同じように一応麻酔銃を手にはしていたものの、撃つ気はないのだろう。目を丸くしたミツキがその名を呼ぶ。
    「ダミアン? お前……パリスの時の文保局員か……何でこんなところに……いや、何でこんな真似をしてる?」
    「ダミアン・モローと言うのも偽名で詐称した身分だ。私はAAA(ノーネーム)――名前など、ない。それにしても…………何故、解った」
     肩口の傷を押さえて気休めの止血を施しながら、ダミアン――いや、AAAは真っ直ぐにミツキを見遣る。
    「今の私はダミアンの時とも、ましてや子宇の時ともまるで違う姿形をしているはずだ。それなのに、何故……君は二度も私に気づいた」
    「え、いや……何故って言われても……勘?」
     言われた当の本人は何か根拠があってのことではないようで、キョトンとした顔をしていた。
     が、それは閃光にも覚えのある困惑だ。オペラ座で、彼女は閃光の変装を見破った。各国の最新鋭システムすら騙くらかし、ごまかし欺いて、誰も疑いすら抱かないそれを、先代から教え込まれた術を、いとも容易く断定してみせた。自分だけならまだそれは「いい勘してるなご名答、さすがは特別専任捜査官」ですんだだろう。
     けれどこの男のことすら同じレベルで看破するならば、それは最早勘とは呼べない。
     もしもあの初めて関わりを持った指輪の一件で、囚われ動揺していたためその『何か』が上手く作用していなかっただけで、本来なら閃光の変装があの時点でバレていたのだとするならば、
    ――それはもう……〈魔法術〉の域じゃねえか……
     そうなると、アレンの〈魔法術〉を防いだのも、指輪の天道ではなく、彼女自身と言うことになりはしないか。
     込み上げて来た疑惑をぐっと飲み込んで、閃光はAAAを見据える。
    「そんなこたぁ、今どうでもいいんだよ。一体何のつもりだ……文保局の人間じゃねえのは明らか、だがテメーはウォルフの側の人間じゃあねえ。李家の黒服でもねえな? 誰の差し金でこの俺から獲物を掻っ攫おうなんざ、ふざけた真似をしてやがる?」
     世界中、探せばウォルフの力を知らずに閃光の力を知らずに喧嘩を売ろうと言う輩は、数多いるだろう。が、その中の一体どれほどが実際行動し、命懸けでしかけて来ると言うのか。
    ――もし、あいつら以外に厄介な奴らが出て来たら? とてもじゃねえが俺一人の手にゃ負えねえ……
     しかし、苦しげに呼吸をこぼしながらも、AAAはこちらへ敵意を向けて来たりはしなかった。
    「別に、貴様をどうこうしようなどと言うつもりはない。不本意極まりないが、どうやら白い獣は失敗作……あの方の計画を担えるのは、バレット……貴様しかいない」
    「……あの方、だと……?」
    「唯一にして無二であるこの世界の変革者、偉大なる『魔法遣い』だ……最も右腕を自負するこの私ですら、あの方の素顔も本当の名も知らんがな」
    「『魔法遣い』……やっぱりルナ・クロウリーは、あの〈魔女〉は生きてやがんのか!?」
    「貴様の言う人物のことは知らん。だが、あの方ほどの〈魔法術〉の使い手は二人とおるまいよ」
     不意にAAAの体躯の下に、蒼白く輝く大きな〈魔法術〉の展開式が陣形を描いて浮かび上がった。いちいち読み解くまでもない、転移する気だ。
    「香炉を返せ、くそったれ!」
     フーリャンとフーシャオは無事なのか、一緒にいたロキやライラはどうなったのか、怒濤の勢いで動く状況に、血の上った頭が思考回路が着いて来ない。
    「李家の二人には『今までご苦労』と伝えてくれ。そして天狼(シリウス)、黒き獣よ……今まで無事、生き永らえたことを感謝する」
     沸き起こる蒼白い光の波が、AAAの身体を包み徐々にその姿が薄れて行く。術式が全て展開しきったらアウトだ。
    ――どうする……一緒に飛ぶか!? こっちの解らない状況を残して? 行き先がどこかも解らねえのにか?
     分が悪すぎる賭けだ。
     今引き金を引いたとて、彼の死体と香炉が向こうに渡るだけで意味はない。
    ――考えろ、何か……
     瞬間、全て消え失せようとするAAAの身体に何かが飛びついた。
    「私の目の前で〈遺産〉強奪なんていい度胸ね! 現行犯逮捕よ!!」
     先程殺されかけたことなど忘れたように、手にした手錠を掲げて、組伏せた男を捕らえようとするミツキに、閃光は思わずぎょっと顔を強張らせる。
    「ミツキ、この馬鹿……っ!! そいつから離れろ!!」
    「え……?」
     ミツキが顔を上げると同時、〈魔法術〉の展開が終了し、辺りを真昼のような鮮烈な光が塗り潰した。思わず庇った視界がようやく本来の静けさと暗さを取り戻してから、閃光は慌ててそちらに駆け寄る。
     這いつくばり、〈魔法術〉の残滓でも見つかりはしないかと目を凝らしてみるも、しかし僅かなマナの名残があるだけで、そこに何かがあった痕跡など、誰かがいた痕跡など欠片も残っていない。
    「ミツキ……っ!! くそっ!!」
     八つ当たりで地面に拳を振り下ろす。
     たった今、次はその手を離すなと忠告されたばかりなのに。
     ぎり、と奥歯を噛み締め、抉れた土をぎゅっと握り締めながら、必死に考える。ざわめく胸中を懸命に宥めて、思考を巡らせる。
    ――落ち着け、冷静になれ……まだ終わってねえ、手は打てる……間に合う、考えろ……ありとあらゆる可能性を、術を、方法を!!
     もし、AAAの言う〈魔法遣い〉がルナ・クロウリーと同一人物であるならば、一時でも孫として共に過ごしたミツキをそう無碍には扱うまい。ましてや彼女が某かの〈魔法術〉だか能力だかを持っているのだとしたらなおさら、あの〈魔女〉なら『計画』とやらにミツキを組み込んでいる可能性もあるのではないか。
     全ては都合のいい解釈だ。
     ただの希望的観測だ。
     けれど、AAAが香炉だけを奪って閃光を無理矢理同行させようとしなかったのは、まだ向こう側も全ての準備が整っていないからだろう。だとすれば、閃光を従わせるためにもミツキは恐らくしばらくは無事だ。
     〈魔法遣い〉にとって不測になりそうな要因は、支障を来しそうなものは、今この世界で最も高い魔力を誇る、
    ――ウォルフ・キングスフィールド……!
     しかし何故、魔力も攻撃力も高いはずの彼ではなく、閃光が計画に必要だと判断されたのか。
    ――とすると、俺が〈魔法遣い〉なら、もう邪魔にしかならねえあいつは処分しに行くだろう……AAA以外にも手駒がいるとしたら、俺のせいでアレンを失くしたあいつは、あまりに無防備だ……
     手を組もうなどと考えたことはただの一度もない。初めての邂逅でウォルフのその提案を蹴ってから、閃光の意思は微塵も揺らぎはしなかった。故に助ける由縁も理由もない。けれど、このまま見過ごしたら間違いなく後悔するだろう、とは思った。
     そして、そこにはきっとミツキもいる気がした。
     行かねばなるまい。
     彼らの本拠地、ロシアーヌ連邦へ――








    以上、完。
    次巻へ続く