「悪かったな」
言いかけた言葉を封じるように先手を打つ。
「怪我とか……その、してねえか? 薄っすらとしか覚えてねえんだが……随分酷ぇ真似をした。詫びてどうなるでもねえけど……すまねえ」
今ここで、ミツキが踵を返すなら、まだ間に合う。彼女を傷つけずにすむ。手にかけ失くす恐怖から逃れられる。ミツキが拒んでくれたなら、諦めることが出来る。
――駄目だ、それじゃ駄目なんだよ……
相反する感情がせめぎ合い、激しくぶつかる。
けれど閃光の内心など知らぬ、とばかりにぱたぱたと無防備に近づいて来たミツキは、とすんとすぐ隣に腰を下ろした。
「平気よ。私丈夫だもの、それに死ななかった」
「今回は、だろ」
「今回も、よ。墜落した飛行船乗ってても、閃光とウォルフが山一つ潰す勢いで暴れても、私死ななかったのよ。もう大体何が起きても大丈夫よ、これ」
確固たる根拠がある訳でもないくせに、何故か自信に満ちた得意げな顔でミツキはふん! と鼻を鳴らす。
「それに、私貴方を捕まえるまでは死んでなんかいられないもの」
「…………何だそりゃ」
呆気に取られたものの、思わずつられてふは、と笑い声をこぼしてしまってから、閃光は緩やかに紫煙を吐き出した。
立ち上がり、浮かべる笑みはいつものニヒルな強さを帯びている。
「だったら、ますます捕まってやる訳には行かねえな」
「何よ、それ」
「俺を捕まえるまでは、死なねえんだろう?」
一瞬、意味を理解しかねると言う風に目をぱちくりさせていたミツキだったが、すとんと腑に落ちたのか、途端に顔を真っ赤にして照れ隠しのように立ち上がる。
「またそうやって馬鹿にして!!」
「してねえよ」
「…………」
「してねえ」
何を言おうとして飲み込んだのか、上手く言葉にならなかったのか、ミツキは彼女にしては珍しく言い淀んで視線を伏せた。そして意を決したように、こちらを見遣る。
「私も……貴方に謝らなきゃならないことがあるの」
「……何だよ」
「ごめんなさい……悪いとは思ったんだけど、その、私……貴方のこと調べたの」
心苦しくて真面にこちらを見られないらしいミツキに、意外だと言いたげに珍しくサングラスの奥で双眸を丸くはしたものの、閃光は燻らせた紫煙を吐き出した。
「別に……それがお前の仕事だろう? 何を調べられようが、今さら隠し立てするようなこたぁねえさ。まぁ出来れば、寝言は聞かないでくれるとありがてぇかな」
「それで、あの……」
「なかっただろう? 俺の個人データ」
にやり、と悪辣に笑って、閃光。
それはおおよそ死を偽装された悲壮な過去など、鼻先で笑い飛ばしているかのような顔だった。
「だから、何でもなさそうな顔してたの?」
「そりゃ、どうしたところで死人は逮捕出来ねえもんな。俺がバレットを名乗る以上、この怪盗は無敗のままだ」
そう――彼の言う通り、現行の法律で怪盗バレットは裁くことが出来ない。
どこそこの誰それと犯人を確定し、犯行を立証し、初めてその罪を問える今の形は、全てメガデータバンクの戸籍情報を基盤としている。そこに個人データがないと言うことは、犯人不在の状態と同じだ。例えどんなにミツキが閃光の犯行を主張したところで、そもそもそんな人間は『存在していない』のだから、断罪は不可能なのである。
他の彼が持つ偽造データとて、その情報とこの目の前の『誰でもない男』を結びつける証拠など、ない。
「どうして……」
「これで解ったろう? 俺は真面な生き方しちゃいねえ。これからだって出来ねえし、するつもりもないのさ」
くわえた煙草が上下する度、消費された灰が散って風に浚われる。
「俺はお前が思ってるほどいい奴じゃあねえ。世間じゃ俺は『殺さねえ怪盗』で通ってるがな、そりゃ必要がねえから殺さねえだけだ。『殺せねえ』訳じゃない。だから」
いつの間にその手に銃が現れたのか。瞬く刹那で胸元に突きつけられた銀色の銃口は、寸分違わずミツキの心臓にその照準を合わせていた。
「これ以上俺の回りをちょろちょろするな。知ってるだろう? まだ邪魔をするなら、次は俺ぁお前でも躊躇なく引き金引くぜ?」
相変わらずサングラスの色濃いレンズに遮られた双眸は、こちらから伺い知ることは出来ない。けれどその声にはっきりと込められた殺気は、確かに今まで一度も向けられたことがないものだった。
ひりつくほどに鋭利な、爪牙。
ぎゅっと両手を握り締め、ミツキは真っ直ぐに閃光を見返す。視線は――逸らした方の敗けだ。
「撃てばいいじゃない。撃つなら、今、ここで撃ちなさいよ。私は逃げない」
「…………」
「例え法で裁けなくたって、貴方が盗みをやめるまで、私は貴方を追う」
「……そうかよ」
ぷっ、と吐き捨てるように落とした煙草を踏みつけてから、閃光はミツキにも見えるようにゆっくりと安全装置を解除して、次弾を装填した。
「警告はしたぜ?」
夜のしじまを斬り割くように鋭い銃声が響く。しかし、躊躇なく放たれた弾丸はミツキを貫いたりはせず、その背後――振り下ろされようとしていたナイフを弾き飛ばした。
舌打ちと共に離れようとする人影。
が、それを許すほど閃光は甘くない。続けざまに放たれた二射は、その利き手の肩口と脚を撃ち抜き、影は堪らず地面に倒れ込んだ。弾みで目深に被っていた帽子と懐からこぼれた香炉が乾いた地面に転がる。
「…………誰だ、テメーは」
油断なく銃口を相手の心臓に照準を合わせたまま、閃光は低い声で問う。
→続く