展示会は中止にしない、と依頼主が言い張ることは、毎度のことだと文保局としても想定済みではあったが、それにしてもこれほどの規模であることは事前に告げてくれるべきだと、ミツキは強く思う。
     わざわざ今回のPRのためだけに作ったと言われる飛行船は、有名ホテルの大広間をそのままくり抜いて持って来たのではないかと思えるほど広く、このフロア内部も溢れんばかりの人でごった返している。
     バレットは変装が得意であることは予め伝えてあったし(堂々と身分偽造で乗り込んで来ていたが)、そうでなくとも何かあった時に身動きが取り辛いからと注意をしたのだが、世界屈指のセレブリティーである李伯龍はこちらの意見を鼻で嗤った。
    「陸地で散々手玉に取られて、バレットを逃がし続けている君たちの意見などどうでもいい。寧ろこの中で犯行が行われるなら、袋の鼠じゃあないか。我々だけで事が済んでしまいそうだが、万が一など万に一つも起こさないのが、君たちの役目じゃないのかね?」
     放たれる言葉一つ一つはもっともなので、歯噛みしつつも言い返せない。
     パーティーはつつがなく進んで行き、もう間もなく香炉のお披露目時刻である。
     たった一つの美術品を公開するだけなのに、これほど派手なパフォーマンスで自慢するその神経も、これを機に有力者と繋がりを持とうとする神経も、ミツキには一生理解出来そうになかった。
    ――バレットが狙うなら間違いなく舞台上……お披露目の瞬間!
     目立つから、ではなくそれが一等得意げな男の顔に泥を塗りたくる結果になると解っているから、そうした類の人間が嫌いな彼なら、間違いなくそうするだろう。
     屈強な黒服の男たちを背後に付き従えたまま、挨拶回りで談笑している李伯龍を視界に捉えつつ、ミツキは腕時計を確認する。午後八時五分前、舞台袖で司会者らしき男が最終確認で打ち合わせをしていた。
     きっと閃光ももう準備万端で近くに控えているはずだ。
     『Good Luck』――お前には無理だと、挑発的に嗤われているようで、焦り逸る気持ちを懸命に押さえて思考を冷静に整える。
     現われるなら天井、舞台袖、奈落――いずれも文保局の人間(頬を抓って変装でないことは確かめた)は配置している。この大多数の衆目を掻い潜って欺いて偽って謀って――けれどふと、ミツキはいつも思わないではないのだ。もし、万が一にも奇跡のような確率で、その品が閃光の獣化の呪いを解くことが出来るものであったとしたら、自分は黙って彼を見逃すのだろうか?
     八時を告げる何かは鳴らなかった。
     が、長針が時刻を指すと同時、会場は灯りが落とされてゆっくりと闇に沈んで行き、舞台上だけが明々と照らし出された。
    「皆さま大変長らくお待たせしました。この度は遠いところこの展示会にお集まりいただき、誠にありがとうございます」
     司会者の長台詞が、はきはきと耳に心地いい声で紡がれる。
    「それではご覧下さい! 今回発見された『黄金期』の美しき香炉! 焚いた煙を浴びれば、神仙のごとく不老不死の力を得られると専ら噂の、『胡蝶の夢』でございます!!」
     派手な音楽と共にスポットライトに照らし出された舞台の上、床からゆっくりと競り上がって来た特注の台には、白磁の小さな香炉が乗せられていた。恐らく防弾であろうガラスケースが被せられているが、あんなに無防備にいかにも盗って下さい、と言わんばかりに晒して大丈夫なのだろうか?
     薄暗い会場は隣に立つ人物の顔もぼんやりとしか解らない。その中からたった一人閃光を探し出すことを諦めて、ミツキは舞台へ視線を戻した。
     シンプルだが華奢な脚の繊細な作りで、遠目ではそれがどんな模様かまではっきりとは解らないものの、その深い蒼が描き出す何とも言えない雰囲気と高貴さは伝わって来る気がする。
    ――もっと近づかないと……ここからじゃ遠すぎる……!
     まだ何一つ異変はないが、何かが起こってからでは遅い。その時はもう既に香炉は閃光の手に渡っていると考えるべきだ。
     感嘆の吐息やざわざわと賞賛の言葉に揺れる人混みの中を縫って、ゆっくりと移動する。こう言う時、埋もれてしまう己の低身長が恨めしい。押し潰されかけながらようやく人垣を抜けて小さく安堵の溜息を吐いた瞬間、ミツキは舞台に飛び上がる男の背中を見た。
    ――閃光……じゃない!?
     誰もが一瞬、呼吸を忘れたように凍りつく。その交錯する視線の中で、閉ざされていた扉を蹴破って、武装した男たちが次々と姿を現わした。
     ガガガ……!! と吼えた数多のマシンガンの弾雨を浴びて、テーブルの上のシャンパンや豪奢なシャンデリアが甲高い悲鳴と共に砕け散る。最初に舞台に飛び乗った男は躊躇なく司会者を殴り倒し、興奮しているのかハイテンションのまま高らかに宣言した。
    「全員両手を頭の後ろで組んで座れ! いいか、妙な真似しやがったら容赦なくぶっ殺すからな!! そこのテーブルみたいに蜂の巣になりたくなかったら、大人しくしてろ!」


    →続く