ーーごめんなさい……ごめんなさい……
もう温もりなど残っていない硬くなり始めた身体にぎゅっと縋りつき、涙が溢れるに任せて突き上げる悲しみを吐き出す。ぞっとするほどの冷たさに、死とはこれほどまでにヒトをただのモノへと貶めてしまうものなのか、と居たたまれなくなった。引くつく胃が裏返ってしまいそうだ。
『泣くんじゃないよ、ラスカー。お前は気高い狼の血を引く男だろう』
いつも髪を撫でてくれていた暖かく大きな手は、もうない。
『誇りを忘れるな』
いつも自分たちを守ってくれていた広く逞しい背中は、もうない。
自慢の白銀の毛並みを濡らしている血が乾き、ごわごわとした不快な感触を返して来るのがどうしようもなく切なかった。
顔を上げ、止めどなく流れ続けていた涙を拭い、まだ溢れそうになるものをぐっと飲み下す。ラスカーのど真ん中を貫き、突き刺さったままの氷のようなその冷たい悲しみの欠片は、そのまま凍てつく嵐となって少年の小柄な身体の中を駆け抜けた。
もう、踏み出した道を戻るつもりなど毛頭ない。
あれほど深い想いと尊敬を持って、忠義を尽くし身体を張り命を賭して戦って来た父を、軍部は呆気なく切り捨てた。
全ての罪を被せて処分するための生け贄だったと、いずれ連邦が〈世界政府〉の中心に躍り出るための手段として、〈魔法術〉研究のための実験動物に過ぎなかったのだと、そう吐き捨てて切り刻んだ。
『でなければ、貴様らのような化物一家を生かしてなどおくものか!!』
鼓膜の奥を抉った罵倒が脳を揺らす。
ーー許さない……絶対、許すもんか……
紫暗の双眸に憎悪の火が灯る。
そこには最早、争いや諍いを不得手とし、人を傷つけることを躊躇する気の優しい少年の面影など、微塵も残ってはいなかった。
「お前たちみたいな下衆で醜悪で薄汚いものが人間だと言うのなら、僕は喜んで化物であろう」
蹴散らして殺せ。
裏切られ、踏みにじられた彼らの痛みを倍にして、思い知らせてやれ。
その怒りを、憎しみをーーお前にはそうするだけの権利と力がある。
自分の奥底から吼え立てる声に導かれるように、ラスカーはゆっくりと室内に視線を這わせた。
処置台の傍らに置かれた移動式手押し棚の上には、オルゲルトの着ていた衣服と共に、手付かずのまま愛刀が転がされていた。
後で別の部署に回すつもりだったのか、父の血がなければ〈魔法術〉は発動しないとでも思われて、その検証待ちだったのか、ともかく処分されずにここに残されていたのは運がいい。
ーー父上……母上……ユーリ……
人間は愚かで弱い生き物だ。
自ら戦い身を守る術を持たないから、異なるものを排斥し、追い立て畏怖して拒絶する。
だがそれを飲めるのも、こちらへその刃を向けぬからこそだ。
姑息な彼らは臆病で打算的で、集団で群となれば何者をも圧倒出来ると信じている。数こそが正義、勝った方が正しいと言うことを信じている。
下らない。
実に、笑いが出るほど下らない。
所詮虫けらが何万集まったところで、獅子くらいは倒せてもこの怒りに震える獣はーー彼らが化物と蔑んだ魔狼は、傷一つ負うことなくその無様な群を叩き潰せるのだと言うことを、嫌と言うほど教えてやらねばなるまい。
紫暗の鞘。
その中に収まるのはサーベルではなく、片刃の日本刀だ。僅かに反り返って緩い弧を描く得物は、澄み切った蒼。
銘は細雪。
もう何代前になるのか解らない遠い先祖が、斬れる刀は日本刀をおいて他ならぬ、と方々探し回ってその美しさと切れ味を見初めた一振りだ。〈魔晶石〉で作られたこの業物が、敬愛する〈魔女〉手ずから鍛えて作り上げた代物であったのは、運命としか言いようがない。
ヴァインベルク家では、当主となった者がこの刀と一つの名を継ぐことになっている。
「細雪、僕に力を貸せ」
手を伸ばし、物言わぬ〈遺産〉を掴むと、身動ぎなどするべくもない刀が、かたりと震えた気がした。
「必ずこの世界を跡形もない瓦礫の山にして、父上たちの墓標に捧げてやる」
ぎゅっと握り締め、誓うように額を当てた。
「今日から…………僕がウォルフ・キングスフィールドだ」
* * *
→続く
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