「いいんだ、別に。何て言うか……こう言うのは、直に殺した感触がないと駄目なんだ」
    「…………そうですか」
    「だから、お前は僕が指示した奴だけ片付けてくれたらいい」
    「解りました」
     絨毯の上に転げていた〈魔晶石〉の刀を拾い上げ、ウォルフは意味深にアレンを見遣った。紫暗の双眸は、今しがたの赫怒など嘘のような静謐さを湛えている。
    ーーいや、これは……
     過ぎた感情は破裂するように、一定の線を越えてしまうとその色も温度もなくしてしまう。
     常に口元に浮かべられている笑みに惑わされがちだが、ウォルフの抱えた感情はそれらが蓄積し、積み重なったが故の永久凍土(ツンドラ)のようなものではあるまいか。
     凪の湖面のようなそれは、この白い獣が心底激怒し不愉快さを覚えた証であることを、アレンはこの短くはない付き合いの中で理解していた。
    「不満そうだね」
    「不満……と言うよりは、単純に不思議なのです」
     〈機械化歩兵〉であるアレンは、脳以外の肉体を鋼にする施術の代償として、一切の感情を失っている。『アレン・パーカー』と言う男の思考、記憶はデータとしてインストールされているものの、〈魔晶石〉の核がある限り半永久的に動き続ける自立型ロボットの、上位変換のようなものだ。
     故に、思考はしても不平不満など覚えるはずがない。本来であれば、命令の最適化や効率化と言った、数式的記号的な思考しかしないように作られているはずなのだから、そもそもそうした『疑問』を感じることもない。
     イエスかノー、0か1、それ以外に容量を食う働きをしているが故に、アレンは粗悪品として合衆国に存在を抹消され、連邦に稀少献体として捕らわれていたのだと言う。
     それを思い出したのか、ウォルフの双眸が僅かに細められた。
    「不思議?」
    「どうして……私を助けたりしたんですか。貴方なら……私の手助けなしでも、欲しいものを手に出来るはずだ」
    「……別に助けた訳じゃないさ。使えるものがたまたま落ちてたから、ちょうどいいって拾っただけだ」
    「だったらもっと使えばいい。命令すればいい。あいつを殺せ、これを壊せ、奪って来い……でも貴方は、ただ黙って着いて来いと言うだけだ。盾となり矛となれと、そう仰ったのに」
     アレンの知る限り、上官と言うものは自分で動かず『ああしろこうしろ』と指図する輩ばかりだった。臆病で自分の手は綺麗なままでいたくて、そのくせ手柄は独り占めしたい、保身と虚栄心で出来たくそったればかりだった。
     お前たちは道具だ手足だと、言って憚らなかった彼らのせいで、どれだけが犠牲になっただろう。
     その初めて反感じみたものを滲ませた言葉に、ウォルフは小さく息を吐いた。
    「じゃあ逆に訊くけど、アレンはどうして僕みたいな子供に着いて来ようと思ったんだい?」
     普通ならば、どれほど異形の体を成していようと、基地を脱出し逃亡するための手段にしようとはすれども、その後も付き従ったりはしないものではないか。
     ましてや、アレンは従軍中少佐の地位にあったのだ。上官はいただろうが、実地では寧ろ指揮を取る立場にあったはずである。
    「子供が」
     過去の記憶データを探るように双眸を細めながら、アレンはぽつりと口を開いた。
    「無事に産まれていたら、ちょうど貴方と同じくらいの歳でした。男か女かも知らぬまま、名前もつけ損ねたまま、多分……それをずっと後悔しています」
    「…………下らない感傷だね」
     意外過ぎる、とは感じたが、ウォルフはあっさりとアレンの言葉を切って捨てた。
    「僕はその子の代わりにはなれない。いい子じゃないからね」
    「いい子になったかは解りませんよ。人を殺すしか能がない父親になるところでした」
     俺も貴方の父親にはなれない、と言われなかったことに何故かホッとした。存外その辺は妙に察しのいいこの〈機械化歩兵〉が、気を遣ってくれたのかもしれない。けれど、そんなことなど意識したくはなかった。
    「……その子、どうしたの?」
    「妻はロシアーヌ人でした。そのせいでスパイの嫌疑をかけられて、腹にいた子供共々……」
    「それでお前は〈機械化歩兵〉に?」
    「いえ、作戦中に瀕死の重傷を負ったのです。二人のことはこの身体になった後に知りました。けれど、それでよかった……きっとヒトである内に知ってしまったら、私は今こうして存在していないでしょうから」
    「…………そうか」
     俄に部屋の外が騒がしくなる。
     先程の物騒な物音を聞きつけて、某かの非常事態が起こったことに、ようやく気がついたのだろう。カスパルに取って人払いして進めたい話であったのは確かだろうが、ボディーガードの一人もつけずにこの席に座っていたのは、迂闊としか言いようがなかった。
    「人間は、仲良く手を取り、寄り添い合って支え合って生きて行ける生き物じゃない。その欲は底が知れず、どこまでも肥大化し、他者を食らう暴力と化す。何百年、何千年経とうと未だに争いがなくならないことが、何よりの証拠さ」
    「…………」
    「だから、奪われたなら奪い返せばいい。例え代わりになるものなんかなくたって、黙ったままいるよりはマシだ」
     駆け寄って来る足音と銃器の音。それが四方から迫り、退路を絶たれた状態であってもなお、ウォルフは嗤っていた。
    「アレン」
     今得たばかりの得物を、無造作に投げて寄越す。インストールされた戦闘システムの中に、日本刀の扱いも戦い方のモデルもあった。不自由はない。それにしても、何の躊躇もなくウォルフが戦利品を与えてくれたことは、アレンにとって意外ではあった。
    「……はい」
    「蹴散らして皆殺しだ。背中を任せる」
     吹っ飛ばされた扉諸共、銃を構えた男たちが一斉に雪崩れ込んで来る。声高に叫んでいるのはジャーマニアン語だ。正確な意味は解らないが、こんな時こんな場面で投げられる台詞など、世界各国どこの地域でも大した違いはあるまい。
     常人の目には見えない、マナの蒼い輝きの動き。
     ウォルフの命令に従って、確固たる意思の下象どられる破壊と攻撃の力。
     こちらも鯉口を切って刀身を確かめてみれば、〈魔法術〉を放たれるその時を、今か今かと舌舐めずりをするように待機する片刃が伺えた。考えずとも〈機械化歩兵〉であるアレンには、そこに宿る力が解る。
     銘は『ムラマサ』ーー風を司りし、ルナ・クロウリーの〈遺産〉。
     そんなものが今ここで、手に入れられたのはまさしく何者かに定められた運命だとしか思えない。
    「………………」
    「僕と地獄へ堕ちる覚悟はあるか?」
    「元より」
     生身の脳が命令を発し、伝達信号が神経回路を巡って最善の選択を鋼の身体に送り出す。
     この場を突破するために必要な選択を。
     片腕の機械細胞が対人ミサイルへと変貌し、なおかつ抜刀した得物があっさりと銃を木っ端微塵にしたのを見取って、男たちは真っ青になって踵を返そうとした。
    「この世界が地獄でしょう」
    「違いない」
     音が消え失せ、灼熱の激震が大地を揺さぶる。
     決して明るみに出ることはないとは言え、世界屈指の長者番付の名がそこから消されるまで、ものの十分もかからなかった。


    * * *



    →続く