「仰っている意味がよく解らない。最初(ハナ)から子供とビジネスをするつもりはない、と……そう言うことですか?」
     ウォルフが最初に選んだのは、一番『ない』だろうと思っていた真正面から正々堂々の取引だった。出来ることなら接触は少ない方がいい、とアレンは判断していたのだが、成程確かに今後活動して行くにあたって、バックアップしてくれるスポンサーは必要だ。後ろ楯も足がかりもない現在、身一つの二人ではやれることも限られて来る。
     が、残念ながらそのやり取りは、上手く進んでいるとは言い難かった。
     基地襲撃の際に得た金の三分の一は、スワロウテイルに落とした。もう三分の一は必要最低限の生活費、残り全てを注ぎ込んだ譲渡の謝礼金は、時価と見比べてもそう見劣りはしないはずだった。
     が、目の前の老人カスパル・ダンゲルマイヤーは否と首を横に振った。曰く、
    『金は腐るほどある。だからそんなものをいくら貰ったところで、わしはこの屋敷にある紙屑すら、お前さんに譲り渡すつもりはない』
     しかし、カスパルはウォルフの言葉に再度首を横に振った。
    「わしがこれを見つけたのは市場の片隅じゃ。古道具のがらくたの中に紛れていた。値はお前さんが提示してくれた金額の、小指の爪先くらいなもんじゃな。子供の小遣いでも買える」
    「だったらどうして……」
    「いいかい、お坊っちゃん。商売と言うのは、双方均等に利益を得ることによって成立する。もし逆にお前さんがこの刀を持っていたなら、わしは糸目をつけずに、これを言い値で買ったじゃろう」
    「つまり……今の貴方に取って、金は価値があるものではない、と?」
     アレンの言葉に、カスパルは小さく頷いた。
     重たそうな瞼の下から、狡猾な光を湛えた細い目が、二人をじっと見据えている。その様は、いつ飛びかかって獲物に牙を突き立ててやろうかと、隙を窺う毒蛇を思わせるような、強かさを滲ませていた。黒い噂の絶えない男だ。やはり、相当の修羅場を潜って来たに違いない。
    「だったら、一体貴方の望みは何だと言うのです?」
     金と暇を持て余し、あらゆる遊蕩に耽って来たであろう彼が欲するものは、代わりの品か、それともーー
    「そうさなぁ……」
     にたり、と弧を描く口唇。嫌味たらしい金歯を覗かせたカスパルは、ゆっくりとウォルフを指差した。
    「お前さんと引き換えでいい」
    「…………」
     咄嗟に柄に手をかけて、老人を斬り捨てようとしたアレンを、ウォルフは片手を挙げて制した。うっすらと笑みを浮かべてはいるものの、その紫暗の双眸は決して笑ってなどいない。
    「それは……僕が貴方の部下になる、と言うことですか?」
    「部下!! 惚けちゃあいかんよ、そんな訳なかろう。ペットだよ。首輪を嵌めて鎖に繋がれ、這いつくばって毎日わしに奉仕しろ。そうしたら、褒美にこいつをくれてやろう」
    「奉仕」
    「なぁに、わしは優しい男だからな。無理矢理乱暴になんかせんさ、毎日可愛がってやる。クスリでぐでんぐでんに酔わせて、すぐにお前さんの方から犯してくれと、脚を開いてねだるように仕込んでやるさ」
     とんだ腐れ外道だ。
     もっと早くに気づくべきだった。ウォルフの中性的な容貌は、確かにヒトにはない美しさがある。それを好色なこの老人が見逃すはずがない。例えどれほど美しくどれほど無茶な要望に答えられる性奴隷がいたとしても、所詮それは代替えの利く消耗品だ。
     この世に一人となってしまった半獣の珍しさに勝るものはない。
     これ以上は無理だ、と判断して、再度得物を抜こうとしたアレンより早く、老人の頭が弾け飛んだ。ウォルフの獣を宿した右手が無礼な輩の顔面を鷲掴み、そのまま容赦なく粉砕したのだ。
    「その臭い口を閉じろ、薄汚い豚が」
     血飛沫と脳漿を撒き散らしながら、ど、と鈍い音を立てて転がる、肥え太った老人の身体。
     金は腐るほどある、と豪語していたものの、こうなってしまってはどれほど天才的な腕を誇る医者がいても修復することは叶うまい。使い道のない札束など、ただの紙屑だ。
     それよりもーー
     アレンは羽織っていた外套を脱ぐと、躊躇なくウォルフに差し出した。
    「ボス、手が」
    「ああ……生ゴミの山に手を突っ込んだ気分だよ。最悪だね」
    「わざわざ手を煩わせずとも、私が始末しましたのに」
     顔をしかめながら、受け取った外套で手を拭うウォルフだったが、どのみちきれいに洗わなければ気分的にも汚れが落ちたとは言えないだろう。
     それでも咄嗟に腰に佩いた細雪を抜かなかったのは、父の遺刀をこんな薄汚れた輩の血に染めたくないと言う、彼の矜持の表れだ。あの基地を潰した日以来、ウォルフは滅多なことでは柄に手をかけることすらしない。それは背丈が伸びて背負わずにすまなくなったとは言え、業物の刀身の長さをまだやや持て余しているからではないだろう。
     彼らは白い獣の中で、抜くに値しない存在なのだ。
     少なくとも、アレンにはそう思えた。


    →続く