「ただいま戻りました!」
     そう言いながらこの扉を潜ることに、ようやく自分の中でも違和感がなくなって来た、と手にした資料を抱え直しながら、鴉葉(からすば)ミツキは思った。
     〈世界文化財保護局〉――通称文保局の日本支部、その中でも一際人数の少ない(ついでに言うとフロアの隅っこに押しやられた感の拭えない)特務課に勤め始めて早数か月。この就職難の最中、他の企業が全滅だった身として、現状は奇跡的と言っても過言ではなかったが、やっと自分なりに仕事を把握し、こなし方も板について来た気がする。
    「お疲れさま。どうだった? 発掘現場なんてなかなかお目にかからないけど、面白かったかい?」
     コーヒーを啜りながら一番奥のデスクでそう爽やかな笑みを浮かべたのが、上司でありこの特務課の課長である等々力歩(とどろき あゆむ)だ。まだ三十を幾つか超えたくらいの若手であるが、さすがにその歳で役職に就くだけあって、仕事は出来るし気配りも細やかである。
     本来なら、もっと華やかな部署やその豊富な知識を活かせるような立場であっても良さそうなものだが、彼に出世意欲はあまりないらしく、いつも現場では地味な作業を率先して行う姿をミツキは尊敬していた。
    ――そう、コレよこう言う爽やかな感じ! いかにも頼れる大人の男って雰囲気! あいつとは大違いだわ……
     そこで何故か脳裏を過ってしまった閃光の顔を頭を振って追い払ってから、ミツキは快活な笑みを浮かべてみせた。
     手にしていた資料を渡しながら、
    「はい、大学では出土品に触れる機会はあったんですが、初めて現場に足を運べて、いろいろ勉強になりました!」
     今回ミツキが訪れていたのは、先月半ばくらいに北陸のとある県で発見された廃寺跡だ。地域に根差した土着宗教や密教が多く存在したことであの辺りは有名であるが、戦前ですら文明の恩恵を跳ね除けていたと言う土地も、押し寄せる近代化の波には抗えないのか、とうとう山を潰して新幹線を通すための工事を行うようになったのだと言う。その地質調査に入ったところ、半ば埋もれていたのを発見したらしい。
     それがどうにも〈黄金期〉に当たりそうだと言うことで、文保局の出番となった訳だ。
     本来なら発掘課の担当業務に当たるのだが、ろくに現場研修もないまま配属されたこちらを慮って、等々力は機会があればこうして他課の様々な出先へ同行を願い出てくれるのである。確かに発掘された品の内、いくつか形を保っていた仏具や陶器類には〈魔晶石〉が埋め込まれたものが多数あり、ミツキはそれらを持ち帰って科学研究課に引き渡して来たところであった。
    「でも本格的な調査は行わないみたいですね……発掘課が〈魔晶石〉反応を確かめたら、もうそのまま施工にかかるそうです」
    「まあ、『文化』と言っても〈魔法術〉は言わば黒塗りされた歴史の上にあるものだからね。政府としては危険でないと判断したなら、本当はそのまま埋まっていて欲しいのさ。多分丸ごと文保局(うち)が引き上げる形になるだろうな」
     伝統文化は金食い虫だ、と言うのが昨今の政府の方針である。文化保護などと銘打っていたところで、維持していくコストを無駄だと考える人間の方が遥かに多い。
     ましてやかつての〈文化改革〉で禁止され廃棄処分の対象となった〈魔法術〉は、未だに見つけ次第即時埋め戻されることも珍しくはないと言う。誰もが面倒事は避けたいものだ。今回は、通報して来てくれただけまだマシなのである。
    「でも、大丈夫なんですかね? 文保局では〈魔晶石〉をそのまま保管するんですよね? 分解していない〈魔術式〉の暴走とか……そう言う事故みたいなの、今までに一度もないんですか?」
    「おいおい……急に博識になっちまって、どこでそんな知識を身につけて来たんだぃ、お嬢ちゃん」
     そう揶揄するような口調を投げて寄越したのは、先輩である高台寺正孝(こうだいじ まさたか)だ。
     ベテラン刑事です、と名乗った方が余程似合いのいかにも叩き上げな風貌をしているが、見た目に似合わず存外世話好きのこの男は、何かにつけてミツキを気にかけてくれている。今も差し出してくれた専用マグには、告げた覚えもなかったが、砂糖三つにたっぷりミルクと自分好みのコーヒーが注がれていた。
    「ありがとうございます。私だって、早く一人前になれるようにいろいろ勉強してるんです! こう見えて」
    「『勉強』ねぇ……まあ確かに、あちらさんはそんじょそこらの学芸員や研究者なんかより、よっぽど〈魔晶石〉の真実に近いところにいるのかもしれんが」
    「……どう言う意味ですか?」
    「バレットに入れ上げるのもほどほどにしとけ、って意味さ」
     窘めるような声で言われて、思わずミツキはむっと顔をしかめる。
    「別に……そんなのじゃないです。高台寺さん、そう言う言い方やめて下さい」
    「そうかぃ、それならいいんだが」
    「本当は君の言うように、きちんと処理まで出来たらいいんだけどね……残念ながら、〈魔法術〉に関しての資料は全て闇に葬られた。今はもう誰も発動の仕方すら知らない。そのくせ保護だの管理だの言うのは、大変烏滸がましいけどね」
     ジト目で高台寺を睨むミツキに苦笑しながら、等々力は先の質問の答えを口にした。ノーフレームの眼鏡奥の涼しい双眸は、柔く笑んではいるものの、こちらが既に解っていることを言い含めようとする困った色が滲んでいる。
    「だから私たちは偶然何かの条件が揃って〈魔晶石〉が発動してしまわないよう、細心の注意を払って保管、管理していくしかない。まあ、起動自体もう出来るとは思えないんだが……そして、過去発見された品全てを解析分解する労力と、その他に悪用されるリスクを負ってまで、政府は今さら〈魔法術〉をどうにかする気がないのさ。最終的には全部集めて木っ端微塵……なーんてこともあり得る」
    「…………そんな、ものですか?」
     臭いものに蓋をするような対応は、不誠実だとミツキは思う。
     人類が滅亡しかけた先の〈大戦〉でその大半の破壊を担ったからと言うだけで〈魔晶石〉をなかったものにするよりは、きちんとその根源根幹を調査して、二度と同じ過ちを犯さぬよう反面教師にすべきではないのか。
     それほど軽いものではないはずだ。
     閃光が追いかけているものは。
     彼が必死に抗い、求めているものは。
    「何にどんな意味を持たせるかは、人それぞれってことだよ。それよりも」
     デスクの引き出しを開けて中を探ってから、等々力は一通の封書をミツキへ差し出した。本部からの通達なのだろう。その正面には林檎の花のあしらわれた〈世界文化財保護局〉の紋章が赤々としたインクで刻まれている。
    「君が欲しがっていたものが届いているよ」


    →続く

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