傭兵か何かのように全身を迷彩服で包んだ男は、袖口に仕込んでいた何かで反撃しようとしたらしい司会者の腕を、容赦なくコンバットブーツの底で踏み砕いた。
     絶叫と同時に響く銃声、数度床で跳ねたその身体を男が舞台から蹴り落とすと、渇いた音を立てて小刀が床に転がる。瞬く間に広間に伝染する悲鳴――幾人かの女性は男から促されるまでもなく、気を失って頽れてしまったらしかった。
     閃光が忠告してくれた通り、李財閥はこの会場の至るところに腕の立つ人員を配置しているのだろう。咄嗟に懐から抜かれた銃は一つや二つなどではない。
     そこへ牙を剥くように喧嘩を売ろうと言うのだから、並大抵の組織ではないだろう。
     それでも一般客の手前そうそう派手に動くなと命じられているのか、それとも想定していた相手が『怪盗バレット』ではそこまで本格的な武装はしていなかったのか、次いで銃声が轟いたりはしなかった。
     ミツキは視界で確認出来る範囲で同じく警備に当たっていた文保局の面々を伺ってみたものの、誰もが言われた通り男の指示に従っている。いくら特務課の人間が訓練を積んでいるとは言っても、軍や警察組織の人間のように多数を相手にした戦闘を行う訳ではない。後手に回って勝てる腕の持ち主はいないだろう。歯向かって殺されては元も子もないのだ。
    ――どうしよう……このままじゃあいつらに香炉が……一体何者? 少なくとも閃光の仲間じゃないわね……ああ言うタイプ、嫌いそう……
     その時、ミツキは男たちの袖まくりをしているせいで露になっている屈強な腕に、揃いの紋章が刻まれているのに気がついた。
     人の手とも翼とも見える特徴的なその刺青(トライバル)を、出来れば二度と見たくはないと思っていたのだが、忘れたくとも忘れられるものか。〈神の見えざる左手〉――閃光と浅からぬ因縁を持つ青年、ウォルフ・キングスフィールドが率いる国際指名手配中の強盗団。
    ――テロリストじゃない……あーまあ、似たようなものだけど、彼らがここにいるってことは……この飛行船にウォルフも乗ってるってこと!?
     これは偶然なのか、はたまた嵌められた罠なのか――どちらにしろ彼らの目的は閃光と同じく、香炉『胡蝶の夢』のはずだ。しかし、〈神の見えざる左手〉は標的とする獲物以外の金品も根刮ぎ強奪して行く。彼らに取ってこの飛行船は、それこそ大海を泳ぐ鯨のように丸ごと獲物だと言ってしまっていい。
    ――どうしよう……どうすればいいの……!?
     一度狙いを定められてしまったら、どちらにしろ皆殺しにされるのは時間の問題だ。
     ここに踏み込んで来ただけでも、舞台上の男を含めて十人ほど。きっとウォルフのことだ、この船を占拠するための人員は、まだ他の箇所にも向かわせているはずである。総勢数不明の一団を、ましてや閃光以上の能力と〈魔法術〉を操るウォルフとアレンを相手に、一体どうすればこれ以上の犠牲者を出さずに香炉を守ることが出来るのか。
    ――一体どうすれば……!!
     ミツキたちの見守る中、男は悠々とした足取りで舞台中央に設置された特注の台座へと近づいて行く。いかな最新の警備システムを搭載していようと、それを丸ごと叩き潰して獲物を奪おうとする魔手の前では、そんなもの紙切れ同然だ。
     男は手にした拳銃をガラスケースに向けた。躊躇なく引き金が引かれ、白く罅を刻みはしたもののその特殊な表面は砕け散ったりしない。
    「ち……っ! 面倒くせえな」
     苦々しく舌打ちをこぼしたものの、さすがにマシンガンをぶっ放したりしないのは、万が一香炉を傷つけでもしたら、ウォルフから自分がズタズタにされるからだろう。
     男は弾切れしたらしい拳銃を放り出し、懐から特殊警棒を取り出して一振りした。縮小していた鋼の芯が伸び、ゆっくりと蛇の鎌首のように擡げられる。罅が入ったケースなら数度殴打すれば破壊出来ると踏んだのか。
    ――今なら……
     完全にこちらに背を向け、男が注意をガラスケースに向けている今この瞬間ならば、麻酔銃で彼を止められるのではあるまいか? いかに会場中に他のメンバーが監視の目を光らせているとは言え、この人数だ。暗がりで数秒のことなら、咄嗟に誰が撃ったか判断するのは難しかろう。
    ――えぇい、一か八か……当たって砕けろミツキ!
     口から飛び出そうな心臓を無理矢理飲み込み、ミツキがドレスのスカート部に隠した銃へ手を伸ばそうとした瞬間――
     バツン!
     やや重たそうな音と共に会場の照明が全て落ちた。何の予告もない完全な暗闇。
    「一体何事だ!?」
    「解りません! 機械系統に傷はつけてないはず……」
    「クソが! いいから見て来いグズ! 動くな! うるせえ、静かにしねえと殺すぞ!!」
     ざわつく客たちに、男がマシンガンの先端を振り回して叫ぶ気配。
    ――まさか……
     彼らも完全に想定外、計画予定に組み込まれていない予期せぬ唐突な停電。
     時間にすれば一分も経っていないだろう。
     男に怒鳴られて泡を食った仲間が、慌てて会場から出ようとした瞬間、復旧した照明が身動ぎと共に瞬いて、再び会場中の明かりを灯す。
    「一体何だってんだ……」
     男がじろりと天井を睨め上げていると、ゆっくりと会場の扉が開いた。途端にマシンガンの銃口を突きつけるものの、その引き金は引かれることなく静かに下ろされる。その不遜な顔が、強張って青褪めているように見えるのは気のせいではあるまい。
    「ボス……」
    「やられたね、モシャス……だからあれほど、油断はするなって言っただろう?」
     穏やかな口調、甘く柔らかな声音、人好きのする笑みと中性的に整った容貌――そのくせそこに滲む怒気は、まるで極寒の地に吹き荒れるブリザードのごとく相対する人間の魂を凍てつかせる。
     ゆったりした足取りで優雅に姿を現したウォルフ・キングスフィールドは、男――モシャスの傍らを指差しながら声を立てずに笑ってみせた。
    「バレットに盗られちゃったじゃないか」


    →続く

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