ひゅん、と空気を斬り裂いて迫る切っ先を後方に飛んで紙一重で躱す。が、見切ったはずのそれは、閃光の視界の中でさらにその間合いを伸ばして来た。
    「…………っ!?」
     浅く肩口が斬られる。
     金物の冷たさとは違うそれは、
    ――空気中の水分凍らせて纏って、刀身伸ばしやがったのか!!
     ぎり、と奥歯を噛み締めて銃把の底で叩き折る。澄んだ音と共に砕けた刃はやはり氷だ。地上よりも低温な上空では楽に使える〈魔法術〉だろう。
     退け、と叫ぶ本能を無理矢理捩じ伏せて踏み込む。この距離はウォルフのものだ。
     しかし今、中距離以上を保てば閃光に有利に働く訳ではない。瞬く間でそれをゼロにされるのであれば、
    ――銃は近距離だって使えんだよ……
     照準など合わせる必要などないほどの距離で、引き金を引く。
     この〈遺産〉の銃――FENRIR(フェンリル) F08は弾丸の射出速度が通常の拳銃の三倍はあると言われている。そこに込められる貫通力と破壊力も三倍であると同時に、手首や肩にかかる負荷も三倍になるため、普通の人間には扱えないとされていた得物だ。故に先代である養父も、実際に撃ったことはないと言っていた代物である。
    『まるでお前のために誂えたような〈遺産〉じゃないか』
     譲り受ける際、揶揄するように彼は笑っていたが、一体どう言う経緯でこれを手に入れたのかどこで見つけたものかは、ついぞ話してくれぬままだった。
     ともあれ、この銃と自分の腕があれば、撃ち抜けぬものなどない。
     それは少なからず、閃光を奮い立たせ信じるに値する根拠であったと言っていい。すぐに揺らぎそうになる己を唯一支える術であったと言っていい。
     けれど、最早人外と化した白き獣はそれごと丸まま叩き潰して粉砕するように、数センチの距離で放たれた一撃をあっさりと弾いてみせた。思わず息を飲んだこちらを嘲笑うように、にんまりと口唇が弧を描き、人間にしては目立つ八重歯が剥き出しになる。
    「君はまだ……そいつを玩具みたいにしか使えないのかい?」
    「使えないんじゃねえ、使わないし使うつもりもねえだけだ」
    「どんな〈魔法術〉か知らないんだろう?」
    「知りたくもねえな」
     翻って首筋を狙い振り下ろされる刃を銃身で受け止め弾き、既にその瞬きの刹那には反対の手にコンバットマグナムが握られている。轟く銃声。ウォルフが躱すまでもないと判断した弾丸は、明後日の方向に飛んで行ったように見えて鋼の壁面で火花を散らし、背後から襲いかかろうとしていた強盗団の一員の腕をきれいに撃ち抜いた。
    「素晴らしい! 背中にも目がついているみたいだ」
    「茶化すな。テメーだって気づいてただろう。うろちょろされたら迷惑だ」
    「邪魔を気にしてる暇があるなんて、まだまだ余裕じゃないか」
    「テメー以外に気を散らしてたら、あっと言う間に殺されちまうだろうが」
    「そうかな? 僕はてっきりこっちに巻き込まれて死なないように、ドン臭い奴らに配慮してくれたのかと思ったよ」
     びきき、と氷結して重さを増して行く刃を捌いて仕方なく飛び退る。
    「知らねえよ。部下に横槍入れねえ躾くらいしとけや、ボス」
    「確かにね。でも、僕はこの船が墜ちようが、誰が死のうが関係ない」
     ぐわっ、と視界いっぱいに広がった獣の手が、認識と同時に閃光の顔面を容赦なく鷲掴みにしてそのまま手近な壁に叩きつける。微塵の躊躇もないその一撃は、諸共周辺を抉って瓦礫と鉄屑へと変えながら、閃光を縫い止めた。どろりと広がる血――その衝撃はいかな彼でもすぐに立ち上がることを許さない。
    「ぐ…………っ、」
    「遅いよ、閃光……弾丸如きじゃ欠伸が出る。退屈だ。どうせならその名の通りの速さで……本気で僕と対峙してくれなきゃ」
    「悪ぃが、テメーごときは弾丸で充分なんだよ」
     同時に二発の銃声が響いたことをウォルフは知覚出来ただろうか? ほぼ重なって奏でられた旋律は、閃光を捉えるために足を止めていたウォルフの両太腿を貫いた。噴き出す鮮血にさすがのウォルフもバランスを崩して倒れ込む。
    「俺の、邪魔をするな。部下共連れて、今すぐ退け」
    「知ってるだろう、閃光」
     痛みよりも歓喜の方が勝っているのか、ウォルフは実に楽しげな笑みを浮かべてすぐに上体を起こした。
     その周囲へ瞬く間に展開される、幾多の〈魔術式〉。
    「僕を止めたいなら、君が死ぬか僕を殺せ」
    「…………そうかよ」
     舌打ちをこぼすと同時に、ウォルフが床を蹴って瞬く間に間合いを消し去る。呼吸すら許されない距離で凍りついた大気が牙を剥いた。躱す端から増殖して行く氷壁は、悉くその退路を隙間を埋めて閃光を追い詰める。
    ――見えてる範囲で〈魔晶石〉は四……それら全てが異なる術式を展開するとして……いや、どこに何をいくつ持っているか、こいつの手の内が解らないんじゃ迂闊に飛び込めやしねえが、考えても仕方がねえ、か……
     実際使用せず〈魔力〉として取り込んだものがどう作用するのかも、閃光にとっては未知の領域だった。スワロウテイルから手に入れた情報が正しければ、この数か月で彼が手にした獲物は、両手足の指では到底足りない。
     しかし、ウォルフが本気で閃光を殺そうと思うのなら、とっくの昔にその全力を解放しているはずだ。
     子供騙しのような小手先の術式と刀剣の直接攻撃しか繰り出して来ないのは、こちらが対応出来るぎりぎりのレベルにまで落として、彼が遊んでいるからに他ならない。今後ますますその力を増し、開いて行く差をまざまざと見せつけられながら、その魔手を止めねばならないことを考えるとぞっとする。
    力を制するためには、更なる強大な抑止力を――
    その結果が〈魔晶石〉に溺れた先の〈大戦〉と言う人類最大の過ちだ。今その誘惑を〈魔法術〉に手を出したい欲求をぐっと堪えながら、閃光は横薙ぎにされた刃を紙一重で躱し、銃口を白い影へと向ける。
    ――こいつはここで止めねえと……もう俺の手には負えなくなる!
     瞬間、横合いから迫った氷壁が閃光の身体を殴りつけた。自動車並みの衝撃と突進力に咄嗟に香炉を庇うだけで精一杯だ。が、床をごろごろと転がって壁に叩きつけられた勢いで、獲物は閃光の懐からこぼれ落ちた。
     息が詰まり、視界が眩む意識の中で、放り出される形となった『胡蝶の夢』は、そのまま傾いた床の上を滑り伸ばした手を擦り抜ける。


    →続く

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