「くそったれ……っ!!」
     土手っ腹の穴から真っ逆さまに落下した香炉を追って、閃光は躊躇なく宙へ身を踊らせた。命綱もない、パラシュートも持たない決死のダイブ――になる前に辛うじて追いつきキャッチする。同時に腕時計に仕込まれているワイヤーを射出し、ゴンドラ下部の脚に絡ませた。圏内限界ぎりぎりの距離だ。
    「っぶね……」
     とは言え、速度は飛行機などより格段に劣るものの、生身で上空に吹き荒れる風に耐えることはなかなか困難である。リールの巻き上げはそこそこの勢いがあるのだが、煽られ振り回される体躯に思うように持ち上がらない。足場もなく身動きの取れないところを、壁面に空いた穴から顔を出した一団に一気に狙い撃たれた。
     掠めるほどの近距離にまで弾を寄せて来られるのは数えるほどだが、無抵抗なところへ浴びせられるのはこれ以上ないほど歯痒かった。懐の銃さえ抜ければ残らず海へダイブさせてやれるのに、と悔しさを噛み締める。
     が、ぐずぐずしている暇などない。
     上がる先、頭の上にはウォルフが手ぐすね引いて待ち構えているのだ。どの道このままでは、いつワイヤー諸共ゴンドラの脚が断たれるか解ったものではない。
    「本当に、全く君って奴は……いつも僕の想定とは違うことをする」
     予想通り戸口に佇む青年は、にこにこと悪気など一切なさそうな顔で、手にした細雪をいつ振り下ろしたものかと思案するように、僅か小首を傾げてこちらを見下ろしていた。
    「く…………っ、」
     瞬間、横合いから蒼白い光と共に凄まじいパルスが迸る。堪らずウォルフが距離を取ってくれたおかげで、閃光はゴンドラの脚を掴むことが出来た。そのまま数度勢いをつけて逆上がりの要領で辛うじて機体の中に身体を押し込む。
     毎度思い知らされるが、つくづく人間と言うものは大地を拠り所にしている生き物だ。足場を失い、宙吊り状態が数秒続くだけで全身に重たい疲労が張りつく。
    「遅くなりました、閃光」
     ロキだ。
     ミツキが呼んで来たのだろう。少し離れたところで麻酔銃を手に佇む姿を見つけて、思わず怒声を上げた。
    「この馬鹿!! 逃げろっつっただろうが!!」
    「だ……だって……」
    「だってじゃねえ!! こっち来るな!!」
     その声とほぼ同時、様子見はこれ以上必要ないと判断したらしいウォルフが刀を振るう。多方向への氷壁複数展開――それを避けはしたものの彼女に注意を向けたせいか、閃光は珍しく己の足元が疎かになったらしい。
     そこにあるはずの床は度重なる攻撃で抜け落ちており、その身体は再度空中に放り出されることとなった。
     まだ得物を抱えたままだった閃光は、咄嗟に片手で船体の縁を捕まえる。無様に落下は免れたものの、この上ないほどの危機的状況だった。
    「馬鹿だなぁ、閃光……」
     薄っすらと笑みを浮かべながら、ウォルフは躊躇なく閃光の左手へ切っ先を突き立てる。苦鳴をこぼさなかったのはただの意地でしかない。
     噴き出した血で滑る指先は虚空を掻くが、貫いて縁へ縫い止めている刃が閃光の落下を許さなかった。吹き荒れる風がその体躯を揺らがせる度、軋む刃が傷口を抉る。
    「そんなものさっさと捨てて、右手もちゃんと掴めばいいだろう? ワイヤーなしでも君なら楽勝で上がって来られるじゃないか。僕に渡すくらいなら魚の餌にくれてやるって、さっき言ってただろう?」
    「アレン・パーカー」
    「うん?」
    「奴はどこにいる? この船に乗ってないってことは、別動だろう。下で待ち構えてない保証はどこにあるんだ。何でわざわざ獲物を寄越してやらなきゃならねえ」
    「ああ、成程。でもその推測はハズレだよ、閃光。何故かって? 僕が襲撃を失敗する可能性はゼロだからさ」
     瞬間、ウォルフは刃を引き抜いて、そのまま鋭く切っ先を突き下ろした。閃光は香炉を手放すと、躊躇なく抜いた銃の照準を敵に合わせて引き金を引く。交錯する刀身と弾丸はほぼ同時。
     どちらも互いの頬を掠めて血を滲ませるも、決定打にはならない。
     いや――指を滑らせたのか力尽きたのか、閃光の手は辛うじて掴んでいた機体の縁を離してしまっていた。その黒い身体は弾丸のように瞬く間に降下して行く。
    「閃光……っ!!」


    →続く

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