浜辺に打ち上げられるみたいにして転がっていて、何だかよく解らないけれど、死にそうなくらいに弱っていたのだ。
よくファンタジーなんかで描かれている通り、上半身はヒトで下半身は魚。とは言え、性別なんてものがあるのかよく判別出来なかったし、肌は碧かったし、まるでたてがみのように靡く背鰭もあったし、やっぱり現実はそう想像通りには行かないものらしい。
どうやら両生類みたいに肺と腮の両方で呼吸しているものなのか、苦しそうではあったものの不自由はないらしく、それが弱っている原因ではないようだ。
とにかく人目については不味かろうと、場所を移すべく触れて理解した。魚の部分鱗がかっさかさに乾いている。
どうして浜にいたのかは解らないけれど、気紛れに陸に上がろうとでもしたのか。波打ち際からは少し離れたところに倒れていたから、激しい陽射しで乾燥したのだろう。何となくそれがよくないような気がして(河童とかも頭の皿が乾いたら駄目だと言うし)、俺は取り敢えず着ていた上着を脱ぐと、それにたっぷり海水を含ませて人魚に宛てがった。
冷たい海水を浴びて少しはマシになったのか、馴染み深い潮の匂いに喚起されたのか、人魚の目がぱちりと開く。まるで宝石が嵌め込んであるような、青緑の双眸には白目の部分がないようで、改めてこの不思議な生き物がヒトではないことを理解した。
「大丈夫? 水、もっとあった方がいいか? 体温上がりすぎたら不味いとか……ああ、それ以前に俺の言葉って解るのかな」
『これは貴方が……?』
直接頭の中に声が響いたような、不思議な感覚。水の中にいるようにくぐもってはいたものの、澄んだ声音がヒトの言葉を紡ぐ。思わずこくりと頷くと、微かに人魚は笑ったような気がした。
『ありがとう。助かりました』
「戻るの手伝うよ」
そう告げてそっと抱え上げると、人魚はおっかなびっくり俺の首にしがみついた。ひた、と濡れた肌が直に触れ、その細い手首に巻きついている星の砂の飾りが、しゃらんと涼やかな声を立てる。
『すみません……何から何まで』
「いえいえ、大事になる前でよかった。どうしてこんなところに?」
『昔……約束したんです』
ぽつり、ぽつりと話してくれたところによると、人魚は昔一族での掟を破って、沖で溺れた子供を助けたことがあるらしい。
ヒトと人魚は共に生きては行けないーー陸と海に分かたれた、棲む世界の違う生き物だから。故に関わりを持ってはならない。そう言い聞かされていたのに、目の前で溺れて尽きようとする命を見過ごせなかった、のだと言う。
助けた子供は深く感謝して、
『友達になろう、と言ってくれたのです。私も嬉しくて嬉しくて……』
その時に、持っていた星の砂の飾りを証にくれたのだ、と人魚は嬉しそうに笑った。
『明日もまた入り江で遊ぼう、と言って別れたのですが、次の日ずっと待ってもその子は現れませんでした』
「まさか……その時からずっとこの海に?」
『ええ……馬鹿げている、とは思うのです。一族のみんなには嗤われました。人間は我々を食い物にする蛮族だ、今に捕まって散々な目に遭うぞ、と……』
きゅ、とシャツの肩口が握り締められる気配。
足元は砂浜から浅瀬の波を蹴立てて水中へ。ざぶん、と寄せる白波の冷たさは、早朝ならではの清廉さがある。
『あ、ごめんなさい……貴方も人間なのに』
「ああ、気にすんなよ。あんたの一族の方が多分正しい。珍しいもので金儲けしようとする、研究と称して酷い真似をする、そんな奴等の方が多いさ。残念ながら」
『そう……でしょうか?』
「その子もきっと、もう約束なんて覚えちゃいないんだろうさ。だからあんたも、他の連中に見つかる前にここへ来るのはやめた方がいい」
腰の辺りまで水に使ったところで、俺はそっと人魚を下ろした。一旦潜って全身に水を浴びてから、ぷかりと再び上半身を覗かせる。
「ほら、もう平気だろう? これで君が助けた子供の貸しはチャラだ」
『…………ありがとう、ございました』
悲しそうな顔で笑って深々とお辞儀をすると、人魚はゆっくりと沖へ向かって泳ぎだした。白い波間に時折、鱗が反射してきれいに輝く光景を、俺はきっと忘れないだろうと思う。
数年前のきれいな朝焼けを思い出した。
子供の死体が上がった朝だ。手首に人魚と同じように星の砂の飾りを巻いていた。溺れて死んだ小さな身体に泣きついて、泳げやしないのに馬鹿なことを、と母親が泣いていた。
叶わない約束なんて、
叶えられない願いなんて、
忘れてしまった方がいい。捨ててしまった方がいい。無垢なままでは呼吸すら出来ない、この陸の世界では。
以上、完。
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