獲物であるラスカーの認知から起動、攻撃に移るまでものの三、四秒。
     普通の人間であれば、それを察したとしても咄嗟に初撃を躱して体勢を立て直し、なおかつ反撃に転ずるなどと言うことはほぼ不可能だろう。ペイント弾をもろに浴びて、ジ・エンドだ。
     しかし、ラスカーは飛び退って距離を取りたいところを逆に懐へ飛び込み、銃身を一閃した。べきりと紙細工のように折れ曲がるそれには目もくれず、返した掌を容赦も躊躇もなく核となる駆動部へと突き立て、深く抉る。それと同時に指を伝って展開された〈魔法術〉が間髪入れずに巨体を縫い止め、まるで氷の徒花が咲いたかのように透明な氷柱が顔を出した。
     瞬く間に鋼の肌を侵食した氷結が、辺りのただでさえ冷たい空気の温度をさらに下げ、溢れたラスカーの吐息を白く染める。
    「……ごめんなさい」
     聞こえるかどうか微妙なトーンで一人ごちると同時、くるりと宙空で身体を捻って、音もなく着地した小さな身体の背後で、銃器はダイヤモンドダストのように粉々に砕け散った。
     哀れな機械の最期を見届けることもなく、ラスカーはそのままゴールを目指す。
     今度は別の個体に行く手を阻まれることもなく、到着を告げるブザーが辺りに鳴り響いた。タイムを縮めようと、かなり全力で走ったせいで少し呼吸が弾む。肺を痛めるからと、あまり口での呼吸は好ましくないと言われていたが、この際仕方あるまい。
     僅かに滲んだ汗を拭っていると、横合いからスポーツタオルが差し出された。
    「お疲れ、ラスカー。やっぱすごいね。目標全部クリアだ」
     双子の弟のユーリである。
     まるで鏡で写したように瓜二つの容貌ではあったが、ラスカーが雪のような白銀の髪に紫暗の双眸であるのに対し、ユーリは鮮やかな陽光のような金髪と灰色の双眸をしていた。
     お揃いのアクティブジャケットには肩口に一つ、ペイント弾の鮮やかな赤が刻まれている。
     タオルを受け取り、
    「ありがとう、ユーリ。弾当たったの平気?」
    「うん、平気平気。大して痛くなかったし。あの最後のやつに引っかかっちゃった。焦って油断した」
    「……そっか。でも、タイムは僕よりずっと速いよ」
    「まあね、頑張ったもん」
     ふふん、と得意気に胸を反らすユーリ。
     彼らはその抜きん出た身体能力や、露わになった手や獣耳が示す通り、純粋なヒトではない。今現在この〈世界政府〉統治下の社会において、最大の禁忌とされ、〈文化改革〉によって歴史の闇に葬られ残らず抹消されたはずの〈魔法術〉ーーそれを呪いとして一身に受けた血を引く者である。
     ロシアーヌ連邦軍部は、まだ〈魔法術〉が世界にありとあらゆる形で流通していた時代から、この一族を筆頭幹部として召し抱えており、貴族の権限を与えて優遇していた。時と情勢が移り変わった現代になってもそれは変わらず、その規模はかなり縮小したものの、こうして秘密裏に能力調査と訓練を兼ねた演習はほぼ毎日行われている。
     そんな大人の事情など知らない双子は、これを『ちょっと変わった習い事』くらいにしか理解していなかったが。
    「お前はすぐに余裕をかますから、裏を掻かれるんだよ。まあ、二人共俺に言わせればまだまだ甘ちゃんさ」
    「「父上!」」
     さらにその後ろから現れたのは大柄、と言うにはあまりに異質な姿の男だった。二人の父であるオルゲルト・ヴァインベルク中佐である。
     身長は二メートル近いだろうか。ラスカーとユーリが恐ろしくちんまりとして見えるほど、筋骨隆々と鍛え上げられた体躯に特殊部隊の隊服を纏い、コンバットブーツを履いていた。
     その頭部がーーヒト、ではない。
     右側半分が大きく抉れた古傷の刻まれた三角の獣耳は、双子と同じに頭頂部に生えていたが、ぐっと前に突き出た鼻筋と言い、大きな口から覗く鋭い牙や顔面を覆う白銀の毛並みと言い、精悍な容貌は狼、と呼ぶのが一番近しいであろう獣のそれであった。本来獣であるならば、表情筋が発達していないせいで浮かべることが出来ないであろう快活な笑みを浮かべて、いっせいに飛び込んで来た息子たちを受け止める。
    「だが、二人共頑張ったな。この前より一段といい成績だ」


    →続く

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