ぽぅ、と淡く蒼色に光った雪が、風もないのにひとりでに集まり形を作って行く。それは次第に大きくなり、ゆっくりと手足のようなものが生え、やがて仔犬のような生物になった。
    「うわぁ……ラスカー、スゴい! 仔犬だ!」
    「……うー……一応狼を作ったつもりなんだけど、上手く行かないなぁ」
     無邪気に歓声を上げる弟に苦笑して、ラスカーは一気に〈魔法術〉を練り上げる。
     こうして対象物を思った形に組み上げる繊細な技術には多大な集中力と根気を必要とするが、それを自在に動かそうと思えば難易度はさらに跳ね上がる。そうした手間や力量差を埋めるために、術式の記録媒体として〈魔晶石〉があるのだが、既存のものではなく自分で新たな〈魔法術〉を生み出したいラスカーは、いつも修練を兼ねてあまり〈魔晶石〉に頼ることをしなかった。
     周辺のマナへアクセスし、〈存在固定粒子〉に働きかけ、配列を組み直し、違う状態へと変化させる。〈魔法術〉が当たり前に生活の中に溶け込んでいた時代にも、それを自分自身で行える才能の持ち主はそうそういなかった。
    ーーゆっくり……こっちに来て……
     術式を思い描き、辿りながら、世界を書き換えて行く。
     果たしてただの雪の塊でしかない小さな狼の像は、まるで油の切れたロボットのようにぎぎぎ、と軋んでぎこちない仕草で脚を持ち上げると、一歩前に踏み出し、よたよたと歩き始めた。
    「動いた!! すごい、ラスカー! こっち来るの!? うわぁあー!!」
     自由自在に、と言うには程遠かったが、仔狼の雪像はその内尾を振りながら、双子の元へ駆け寄って来た。
     筋肉や骨があり血が通った生物ではなく、かと言って自律して起動するシステムがある訳でもなく、意思も魂もない存在するだけの物質は、無論ラスカーがその一つ一つに働きかけ、移動を命じ、そうなるように仕向けているから、まるで生きているような素振りを見せているが、長らくその状態を維持することは非常に困難だった。
     負荷をかけ過ぎる神経が焼き切れてしまう前に、〈魔法術〉を終結させて閉じ、アクセスを断つ。
    「あ……」
     途端にどさどさと形を崩して雪の塊に戻ってしまった仔狼に、手を伸ばして触れようとしていたユーリが明らかに落胆した表情を滲ませた。
    「ごめん、ユーリ……もう少し、長く出来れば……よかったんだけど」
     はあ、はあ、と息を切らせて肩で呼吸するラスカーの顔は、血の気が失せてただでさえ白い頬が紙のように真っ白になっている。
    「ううん……無茶しちゃ駄目だよ、ラスカー。ほら、手を貸して。冷たくなってる」
     小さく震えている兄の手を取ると、ユーリは包み込むようにぎゅうっと握り締め、温めるように親指の腹で擦った。ゆっくり仄蒼く光を帯びるのは、体内のマナを分けてくれているからに他ならない。気脈をなぞるように瓜二つの手になぞられている内に、触れ合っている箇所からラスカーの手に感覚が戻って来た。
     ほ、と安堵の息をつくと、空気がその分白く染まる。
    「すごいね、ラスカー。この前よりずっと本物っぽい形と動きになってる。僕じゃ、こんなに細かく作り込めないよ」
    「全然すごくないさ……やっぱりちゃんと〈魔法術〉式を勉強して、根本的に理解しないと……感覚だけで作り込むのには限界があるよ。僕たち〈魔晶石〉のことはよく解らないし、使ったことないでしょ?」
    「ううん、それでもすごいよ。父上の書斎の古い〈魔法術〉の本……ひいお祖父様だかひいひいお祖父様だかのあれも、殆んど読んじゃったんだろう? 僕勉強嫌いだからさ、本当に尊敬してる」
     ユーリは自分で言うように、許容出来る魔力はラスカーよりも高かったが、如何せん展開出来る術式が大雑把で派手なものばかりだ。戦闘においては抜きん出て有利ではあるのだろうが、緻密で繊細なコントロールは苦手だった。
     だからこそ、二人で一つであろうとする。欠けた部分を互いで埋めた双子は、確かに死角のない無敵の強さを持てるようになるだろう。
    「僕らならきっと、〈魔女〉よりすごい〈魔法遣い〉になれる」
    「うん……なりたいね」
    「そう言えば、この前父上と母上が話してるのを聞いちゃったんだけどさ、僕たちもしかしたら学校へ行けるかもしれないんだって」
    「学校? それ、もっといろんなことが勉強出来るようになるってこと?」
     あまり他人と関わることに積極的ではないラスカーだったが、独学で学べる範囲には限界があることは理解していた。
     別に今の生活に不満がある訳ではない。
     自分たちが他の人間とは違うこと、故に狭い世界の中で生きていることは、いろいろな本を読んで理解しているつもりだ。
     でも、それでももし、ほんの少しでもその範囲が広がるのなら、これほど嬉しいことはなかった。
    「そうだよ、ラスカー。だとしたら、楽しみだと思わない? きっと外にはもっと凄い〈魔法術〉を使える人や、もっと強い人がたくさんいる。僕たちもっといろんなこと出来るように……」
     瞬間、がさりと近くの茂みが大きく揺れた。
     咄嗟に〈魔法術〉を展開し、迎撃の姿勢を取るのは最早脊髄反射のようなものだ。
    「誰……っ!?」
    「ひ……いっ、」
     が、鋭い誰何の問いに返って来たのは、力ない息を飲むような悲鳴だった。
    「お、お願い、撃たないで!」
     慌てた様子で両手を挙げながら出て来たのは、老婦人である。森を散策でもしていたのだろうか、小さなバックパックと摘んでいたらしい木の実や葉が足元に転がっていた。クリスマス用のリース飾りによく使われるものだ。
    「「…………」」
     ラスカーとユーリは思わず顔を見合わせたものの、鏡写しのような己と同じ困った表情に鉢合っただけに終わった。
     取り敢えず、軍事スパイや反政府組織に属する人間ではないらしい民間人だと見てとって〈魔法術〉は解いたものの、この後どう対応すべきなのか、幼い二人には判断がつかない。
     よもやこんな時期こんな場所に、何も知らない一般人が迷い込むとは思いもしなかったのである。
     が、偏に彼女を責められないのは、二人が軍所有の一般立入禁止区画の外で遊んでいたせいだった。雪に閉ざされていたとは言え、これほどまでに接近されてしまったのは完全に油断だ。
    「許して……見るつもりじゃなかったのよ、ごめんなさい」
     怯えた視線が向けられているのは、二人の三角耳と尾。言葉が通じているのか不安なのだろう、目を泳がせながら早口で捲し立てる。
    「貴方たちのことは、絶対誰にも言わないわ。だからお願い、殺さないで。許してちょうだい」
     完全に化物と出くわした人間の言葉だった。
     自分たちとは相容れぬ存在、畏怖し、忌避して然るべきもの。
     端から見ればそんな風に写るのか、と心臓に氷の刃でも突き立てられたようにすうっ、と焦りの温度が下がって行く。
     訓練用スーツを纏っていたならまた違ったかもしれないが、むやみやたらに他人と接触するなと軍部の人間から念を押されている以上、ここは『ただのヒトではない何か』として乗り切った方が無難かもしれない。
     視線を交わした一瞬で、ユーリとの意思疏通は叶う。二人の間には時折そうした事象があり、作戦立案に長考せずにすむのはありがたい話だった。小さな頷きが返ったのを確認して、ラスカーは口を開いた。
    「本当? 絶対、誰にも言わない?」
     先程までの会話は聞かれていなかったのか、言葉が返ったことが意外だったのだろう。老婦人は一瞬虚を突かれたような表情を浮かべたものの、すぐに激しく首肯した。
    「勿論……勿論よ、絶対、誰にも言わないわ。約束する」
    「じゃあ、僕たちもお婆ちゃんのことは見なかったことにするよ」
    「…………本当?」
    「うん。だから絶対内緒にしてね。僕たち見つかったら殺されちゃうんだ」
    「……解った。ありがとう、ごめんなさい。私、もう行くわね」
     じりじりとこちらとの距離を測っていた老婦人は、足元のバックパックだけをどうにか拾い上げるとそのまま後退って遠ざかって行く。まるで目を離した瞬間に、こちらが飛びかかるのではないかと言いたげな顔つきではあったが、ある程度開いた辺りでもう大丈夫だと安堵したのだろう。踵を返して一目散に駆け出した。
    「あーあ……傷つくなぁ、ああ言う態度……ねえ、ラスカー。本当に大丈夫だと思う? 喋ったりしないかな?」
     口を尖らせながら、ユーリが頭の後ろで手を組む。ここからならまだ追いかけることは可能だ。だが、真っ青に怯えていた彼女をこれ以上怖がらせるのも酷な気がした。
    「……信じよう。僕らも不注意だったんだ。父上はともかく、軍部のオジさんたちはバレたらうるさいだろうし……とにかく戻ろう」
    「あのお婆ちゃん、ラッキーだったね。僕らが悪者だったらさ、あのまま人知れず殺して埋められて、山中で行方不明ってことにされてたよ」
    「ユーリ、冗談でもそう言うの言っちゃ駄目だよ」
    「はいはい」
     けれど数日後、二人はこれを後悔することになる。


    * * *


    →続く

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