ガタガタと何かが頽れた音、ついで複数の人間が近づいて来る気配。硝煙と真新しい血のーー匂い。勿論、父ではない。
    ーーやっぱり……やっぱり、僕たちが見つかったのがバレたんだ……!!
     目撃した老婦人を消し去っただけでは飽き足らず、もうこちらの存在そのものを抹殺してしまおうと言うつもりか。それとも自由を許さず、本部で飼い慣らすつもりであるのか。
     だとしたら、母は選択を間違えている。
     二人をこんなところへ隠すよりも、裏の勝手口から外に逃げた方が、懸命で合理的だ。
     武力行使の公的権限を持たない息子たちに、例え正当防衛であっても血腥い真似はさせたくない、と彼女が考えたとしても、
    「ガキ二匹の姿が見当たらねえ……一体どこに隠れやがった!?」
    「探せ! まだ中にいるかも知れねえ、出てもまだ遠くには言ってねえはずだ! 何としても引っ捕まえろ!!」
    「絶対逃がすな、追え!!」
     土足で乱暴に踏み込んで来るいくつもの足音、ガタガタとあちらこちらの扉や引き出しが暴かれ荒らされる気配。時折、銃声や破壊音も聞こえる。
     ひっくり返された食器や花瓶が床に落ち、粉々に砕ける音が室内に響く度に、二人は身を寄せ合ったまま震える身体を互いに抱き締め合っていた。
     最初の悲鳴が上がって以降、母の声は聞こえない。まだ息はあるのか、それともーー
     呼吸の音が、心臓の音が、無粋な侵入者たちに今にも聞こえてしまうのではないかと思う度に、存在ごと押し潰されるような緊張感で胸が締めつけられた。どうしようもない恐怖に居竦められて双眸から涙が溢れ、声を漏らさぬようにと互いにシャツの肩口を噛んでいるせいで、もうその辺りは洟だか涎だかでぐちゃぐちゃだった。
     濡れて貼りつくシャツの感触が気持ち悪い。
    ーーどうか……どうか、このまま見つかりませんように……!
     この悪夢が一刻も早く過ぎ去ってくれることを祈るラスカーとは違い、やがてユーリは深呼吸をしてぐい、と涙を拭うと、兄の背中に回していた手をそっと放した。
    「ユーリ……?」
     薄暗がりの中、声を立てずに吐息だけで問う。
    「ラスカー、待ってて……父上の書斎から、武器取って来る」
     同じように吐息で答えた弟の言葉に、ラスカーは口から心臓が飛び出しそうなほどの衝撃を受けた。ユーリが恐怖のあまりに、錯乱状態に陥ったのではないか、と思ったほどだ。
     慌てて袖口をつかみ、引き留める。
    「何言ってんだよ!? そんなの無茶だ……相手が何人いるかも解らないのに!」
    「それでも」
     交錯した父と同じ灰色の双眸は、まっすぐにラスカーを見やった。
    「母上をあのままにしとく訳にはいかない。まだ生きてるかもしれないだろ? それにここにいちゃあ、袋の鼠だ。何のために毎日特訓してたのさ? 悪い奴らを、やっつけるためだろう!?」
    「でもこれは訓練じゃない!! 撃たれたら死ぬんだよ!? 父上が戻るまで隠れてるべきだ」
    「それまで見つからない保証はある? 父上がすぐに戻るって保証は?」
     正論だ。寧ろ今最も恐れてそうならないことを祈っている問いを突きつけられて、ラスカーはぐっと口を引き結んだ。ぐうの音も出ない。
    「何か出来る能力があるのに、怖いからって逃げて……何にもしないまま、後悔するのは嫌なんだ」
    「ユーリ……」
    「それに、僕らなら……弾丸は当たらない」
     訓練相手だった機械にはないものが、人間にはある。それはすなわち、緊張と興奮から乱れた呼吸の音であり、肉球を持たぬが故の足音であり、動く度に衣擦れし装備がぶつかるが故の音だ。
     全くの無音で移動出来る人間など、余程の特殊な訓練を積んでいるのでない限りありえない。
     そして臭いーー嗅ぎ慣れない余所者の体臭、オイル、鉄、火薬、靴底の土の匂い。決して消すことの出来ないそれを、人間には解らないそれを、双子は感知し先手を打てるのだ。
     体格は劣るが、人外の規格外な力を誇る異形の体躯は決して彼らに引けを取らないだろう。あとはそのフル活用した五感で、どれだけ経験の差を埋められるか、だ。
     ラスカーは勿論、ユーリとて他人を害するためにその力を能力を発揮したことなどない。
     それでも躊躇し二の足を踏めば、地面に転がるのはどちらかと言うことくらいは承知しているつもりだった。
    「僕が出て気を引きつける。ラスカーは後衛〈魔法術〉で相手の手足や銃を凍らせて」
    「…………解った」
     それならまだ、どうにかやれそうだ。
     訓練は目標物を『壊す』ことが目的で、最終的にそれは誰かを『殺す』ことに繋がるのだろうが、今回は相手の動きを止めてしまえばいい。
     例え今自分たちが殺されそうになっている、母が殺されたかもしれない、この状況においてもやはり生きて来た年月と同じだけ培われた倫理観は、闘って倒す=相手を殺すと言う図式を描いてはくれなかった。
     〈魔法術〉式の展開や座標の正確さはラスカーの方が得意だ。ただし瞬間的とは言え、そこには膨大な集中力が必要になる。
     その絶対的な隙を埋めるのは、実地戦闘で瞬発力や判断力、そして純粋な戦闘力と鋭い勘を持つユーリが身体を張ってくれるのがベストだ。互いの苦手を補えるーー二人はこの上ないベストパートナーなのである。


    →続く

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