『お前らは飼われてたんだよ!』
    「ふざけんなよ……」
     今まですんなり通れた扉とは違い、ここはガッチリと鍵がかけられていた。それはそうだ、『関係者以外に立ち入られたら困る』に決まっている。非合法で、非人道的な行為が、今まさに繰り広げられている何よりの動かぬ証拠だった。
     ぶわ、とラスカーの意思に従い集束したマナの動きが風を引き起こし、その柔らかな白銀の髪を乱す。瞬く間に規則的に世界へ干渉し、侵食し、書き換え変化を齎したエネルギーは、その命じられるままに鋭利な氷塊となって、本来なら分厚く立ち塞がっているのだろう扉を、まるで紙屑のように容易く引き裂き弾き吹き飛ばして粉砕した。
    「お前ら父上に何してんだ!!」
     怒りの咆哮、あるいは轟音と共に揺れた地下階に、悲鳴と混乱の声が上がる。一体何が起きたのか、否これから何が起こるのか、理解出来た者は恐らくいなかったのに違いない。
     それは特殊部隊がたかが子供一匹を万が一にも撃ち漏らすはずがない、と言う慢心故か、よもやその子供が単身反撃に来るはずがないと言う傲り故にか。
    「な、何だこの子供!? 一体どこから侵入(はい)って……」
     もうもうと立ち込める粉塵の中ぎょっとしたように、佇むこちらに気づいた研究員らしき者たちが、その手を止めて声を上げる。その薄い緑色の手術着の肘から下はどす黒い血に染まっていて、何かしらの施術中なのだと言うことは、台に横たわるものを見ずとも察せられた。
     反〈魔法術〉式の仕込まれた分厚い枷に四肢を固定され、あちこちに数値測定や採取のための細い管を繋がれたオルゲルトの無惨な遺体が、そこにあった。
     もしかすると、反応を見るために生きたまま開腹され、あれこれ調べられている最中に果てたのではあるまいか。そこに浮かべられた表情は、かつての優しい面影が欠片も感じられないほど、壮絶なものだった。
    「お……おい、こいつ後から運ばれて来る予定だった子供の、白い方だぞ。何で勝手に彷徨(うろつ)いて……」
     ラスカーの三角耳を指差しながら、執刀医らしき男が戸惑い気味の声を上げる。
     成程、本来であれば特殊部隊が双子を生け捕りにしてここへ運ぶ予定だったのだ。恐らくは成体であるオルゲルトとの違い、何らかの施術の前後を比較するために『献体として二匹共必要』だったのだろう。
     音もなく床を蹴ったラスカーは、その男に躊躇なく躍りかかった。倍以上あろう巨躯を押し倒して馬乗りになり、静かに問う。
    「答えろ……お前たちはその薄汚い手で父上に何をした」
     恐怖に喘ぐ男は、それでも命を助けて貰うために懸命に言葉を紡ごうとしたのだろう。停止しそうな思考回路をどうにか動かして、問われたことを口にしようとしたのだろう。
     しかし訊問する側のラスカーは素人で、ましてやいつもは無意識下で手加減をして他人を傷つけないように最大限の配慮を心がける少年だったとは言え、今は頭に血が上って全く理性的ではなくなってしまっていた。気管を押し潰すように喉を締め上げ、頭蓋が軋むほど顔面を掴み上げていては、いくら答えたくとも答えられるはずがない。そんな冷静な考えすら埒外に吹っ飛んでしまうほど、彼の中は怒りで満ち充ちていたのだ。
    「何をしたんだと、訊いてるんだ!!」
     ますます力を込められる掌に、男はくぐもった絶望の声を上げる。
     瞬間、ごきん、と乾いた音がして、彼の頭蓋と頸の骨は呆気なく粉砕された。同時にそれが皮膚を食い破り噴き出したせいで、ラスカーはもろに血と内容物のシャワーを浴びるはめになった。
    「はは…………、あーあ……なーんだ」
     己の掌を見下ろして、ラスカーは渇いた笑いをこぼした。
     五指と言うヒトの骨格の名残を残しながらも、その肥大化し凶悪に醜く変貌した右手は、逸脱した圧倒的な力を見せつけた。歪曲した鋭く分厚い爪は容易く人体を引き裂き、呆気なく握り潰し、ヒトをただのモノに変える。
     構成しているものが鋼鉄とネジと歯車と配線であるか、血と筋肉と内臓と骨であるか、訓練用の目標物との違いは所詮たったそれだけでしかないのだと、自分に取って大して意味はないのだと、嫌と言うほどの濃密さで突きつける。
    「簡単じゃないか……僕は今まで、何をそんなに怖がってたんだろう?」
     確かに纏わりついて毛並みを汚す血や肉片は、生暖かくにちゃにちゃとした感触で、不快ではあったものの。
     それは罪悪感やら喪失感やら後ろめたさと言った感情とは、まるで無関係だった。
     寧ろ、悪いことをしただなどと欠片も思わなかった。胸のすくような爽快感、とはとても呼べはしなかったが、自分の能力をベクトルを変えて視点を変えて見てみれば、それは恐るべき暴力ではなく、戦い、他者を捩じ伏せて目的を達成するための純粋な手段でしかなかった。
    ーーああ、そうか……
     今までは、それを向ける相手がオルゲルトかユーリであったからだ。
     突出した才能をさらに磨き上げるための訓練は、どうでもいい他者ではなく大事な家族以外では相手が出来ないものだから、ラスカーが無意識の内にストッパーをかけていたに過ぎない。
     彼らを傷つけないように、手加減をして、枷をつけて箍をつけていたに過ぎない。
     本気で取り返しのつかないくらい無茶苦茶に、跡形もなくぐちゃぐちゃに壊してばらしてぶん回して引き裂いてぶちまけて叩きつけ、修復など完全に不可能なくらい完膚なきまでに蹂躙してやりたいとーー思ったことがなかったからだ。
     けれど今はこの世界で、大事なものなど、傷つけたくないものなど、ただの一つもなくなってしまった。
     きっとこれから、ラスカーは微塵の躊躇もなく欠片の懸念もなく、全力で持てる技能を解放するのだろう。そこにはこの少年をヒトに留めていた情けも優しさも甘さも、ほんの僅かすら残されていないに違いない。
    「ねえ、知ってた? 『一人二人は殺人鬼、十人殺せば殺し屋で、百人殺して英雄』なんだって。だったら」
     ゆっくりと可視化させた〈魔法術〉式を展開して行く。蒼く輝くその異国の言葉とも図形とも取れる代物が、完成した時一体何が起こるのかーー詳細は理解出来なくとも、不穏な空気だけは伝わったのだろう。
    「わ、私たちは司令官の命令で……仕方なかったんだ!! 許してくれ!! 助け……」
     腰を抜かした研究員たちは、言葉にならない悲鳴を上げながら逃げ場を探して後退った。
     その無様さを狂気に満ちた紫暗の双眸を細めて見遣りながら、ラスカーはうっすらと白刃のような笑みを浮かべてみせる。
    「この世界を一つ残らず叩き潰して破壊するつもりの僕は、さしずめ魔王とか神とか名乗ればいいのかな?」
     いっそ傍若無人とも呼べる力を振るって、室内を暴風雨のごとく荒れ狂い、これ以上ない地獄絵図を作り上げるまで、ものの数秒。
     その場にいた研究者たちが元は何であったのか解らないほどぐちゃぐちゃに壊してしまってから、ラスカーは興奮と怒りと疲労で過呼吸気味だったのをようやく沈め、ゆっくりと背後のオルゲルトを振り返った。
    「父上…………」


    →続く

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