そうして一体どのくらい殺戮に没頭していただろうか? ロッカーに息を潜めて隠れていた男を引き摺り出してそのまま頭を床に叩きつけると、呆気ないほど簡単に壊れて動かなくなった。
     成す術も抵抗もなかった彼は、体格から見て非戦闘員だったかもしれないが、ウォルフに取ってそんなことはどうでもいい。
     この駐屯地で呼吸しているものは、多かれ少なかれ家族の死に荷担した者たちである。
     見逃す理由など、ない。
     ふと、チャリと軽やかな音を立てた男の身体に視線を移す。見れば腰の辺りには鍵の束が括りつけてあった。その中でも一際目を引く、複雑な作りの頑丈そうな一本をそっとつまみ上げる。
    「…………」
     何が隠してあるかは定かでないものの、重要そうなーー端的に言えば連邦軍に痛手を与えられそうなものが納められている気がする。先程探索しながら基地内を巡っている途中、地下階には別の部屋があることには気づいていた。
    「壊しておくに越したことはない、かな?」
     死体から鍵束を奪うと、ウォルフは入口だと辺りをつけていた区画へ向かい、隠し扉を発見した。分厚く頑丈なそれは、一見すると壁と見分けはつかない。少年が超人的な嗅覚を持っているが故の発見だった。
     オルゲルトの遺体がある手術室と反対に当たるそこは、普段あまり人が出入りすることはないのだろう。開けた途端、カビと埃が蓄積した長く停滞していた古い空気特有の臭いが鼻孔を刺す。
     完全に隔離された密閉空間は夜目の利くウォルフを持ってしても見通すことは叶わず、仕方なく最小限に絞った懐中電灯で足元を照らしながら進むことにした。暗視ゴーグルも探せばあったかもしれないが、あれは例え微弱の光であっても瞬間視界を奪われることになる。的になる危険はゼロではなかったが、己の耳鼻の探索能力をいかな訓練を積んだとは言えただのヒトが掻い潜れるとは思えなかった。
    ーー床も壁も厚い……コンクリート、メートル単位だな……
     さらに階段を三階分下ると、行く手を大きな鉄扉が塞いだ。恐らくこれが、先程見つけた大仰な鍵の使い道だろう。向こう側からは微かに規則正しい電子音や機械音は聞こえて来るものの、生きた者の気配はしなかった。
    ーーあるとすれば、センサー感知型の侵入防止システム……空間的に考えて爆発系はない……
     一体ここは何の部屋なのか。
     警戒し用心を怠らないまま、ウォルフは鍵を差し込んでかちゃりと回した。重めの音と共に解錠、後に続く音や気配はない。
     幾ばくか錆びついた音で軋みながら押し開いた鉄扉のすぐ先には、頑丈な鉄格子が待ち構えていた。檻ーー否、牢だ。手前の左手には、何かを制御するためか計測するためか、いくつもメーターやら何やらがついた機械盤が設置されている。
     奥の壁際に繋がれていたのは、屈強な体格の男だった。年齢は三十代半ば、と言ったところだろうか。短く刈った茶髪、いかにも軍属の歴戦の戦士と言った精悍な風貌をしている。裸に剥かれた上半身は、鎧を纏っているかのような、鍛え上げた筋肉に覆われていた。
     男の両手首を宙吊りにしている太い金属製の枷にもまた、反〈魔法術〉用の術式が組み込まれているらしく、薄暗がりの中でも独特の蒼い光を放っている。と言うことは、彼はただの捕虜と言う訳ではない。〈魔法術〉を扱うかもしれないと考慮されていると言うことは、最前線を張る〈機械化歩兵〉か〈魔導人形〉なのだろう。
     見た感じ肉体強化具合から鑑みて、前者である可能性が濃厚か。
     扉が開くと同時にこちらを捉えた榛色の視線は、見慣れた陸軍の隊服でないどころか子供が現れたことを、素直に訝しんでいるようだった。油断のない眼差しがそのままウォルフの頭頂部の三角耳をなぞり、返り血を浴びた箇所を辿る。
    「…………」
    「すごいや、ちゃんとまだ動いてる。初めて本物を見たよ」
     感嘆を言葉に乗せると、ウォルフはその場で〈魔法術〉式を展開した。瞬く間に巨大な氷柱が出現し、機械盤諸共鉄格子を粉々に破壊せしめる。
     男はその巨大な氷塊を双眸を細めて見遣りはしたものの、〈魔法術〉の発動そのものに驚愕したり、恐怖に駆られたりした様子はなかった。
     が、粉塵が収まった独房内へ足を踏み入れたこちらの行動が、彼からすれば想定外であったのか、その意思の強そうな太い眉の下の双眸を僅かに丸くしたようだった。最も、唯一残った生身の部位である脳すらも、機械の身体へ移植される際、感情の起伏や何やらも調整適合するよう弄られている〈機械化歩兵〉が、どれほどその差に衝撃を覚えたのかと言われれば、それは微々たるものなのだろうが。
     それでもゆっくりと瓦礫を踏み越えて近寄る少年の姿は、死神か悪魔にでも見えただろう。身動き抵抗出来ない状態にも関わらず、男の警戒心が引き上げられた気配をはっきりと感じた。
    「お前〈機械化歩兵〉だろう? 所属は?」
     超然とそう問うウォルフに、正直に答えてよいものか一瞬逡巡したらしかったが、男は落ち着いた低い声で答えを返して来た。
    「私はアレン・パーカー……アメリヤ合衆国の陸軍少佐だ。いや、『だった』」
     アメリヤ合衆国はかつて〈世界大戦〉時、ロシアーヌ連邦と敵対関係にあった国だ。
     大国同士、己こそ世界の覇権を握るに相応しい、と競い合いいがみ合い争い合って来た。〈大戦〉終結と共に樹立した〈世界政府〉の下、表立って衝突するような場面はかなり少なくなったものの、お互いいい感情は持てないままの、冷えきった距離が続いている。
    「一体君は何でこんなところに? それに……その〈魔法術〉は……? 誰か来る前に早く逃げなさい。見つかったら、きっとただではすまない」
    「平気だよ、心配しなくても。ここは僕が制圧した。もうこの建物の中で、生きてるのは僕だけさ。お前は〈機械化歩兵〉だから生物とはカウントしない」
    「何だって……制圧、した?」
     仮にもここはロシアーヌ連邦陸軍の基地だ。
     支部とは言え、ここだけでもなまじっかな装備や戦力で陥落(おと)せるほど甘くはない。精鋭部隊と充分な火力が戦争行為撤廃を掲げられた現在もなお、この地には常時駐屯しているはずだった。
     それをーーこの子は、たった一人で壊滅せしめたと言うのか。
    「援軍の斥候が来るにしても、もう少し時間はあるさ。無駄に広い国土は徒になると思わない? 運よく今日の難を逃れた奴らも、明日以降追わなきゃならないし。それより、お前はいつからここにいる? 僕が知ってる限り、連邦と合衆国はここ十年ほど戦闘行為の接触はなかったはずだろう?」
    「…………詳しいな」
    「そりゃあ、僕の父上は特殊部隊の隊長だったからね。近隣の小国との小競り合いには、しょっちゅう駆り出されてたけど」


    →続く

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