「……私がここに来たのは、〈平和宣言〉が締結された年だ。私の体内時計に狂いが生じていないなら、今から約十三年前になる」
     〈世界政府〉の樹立と共に、各国は〈魔法術〉兵器の廃棄をこぞって行った。中でも陸戦主力として各地でその腕を振るった〈機械化歩兵〉と〈魔導人形〉は二大負の遺産と見なされて、凍結ではなく完膚なきまでの解体が行われたはずだ。
     つまり、彼がここにいるのは、
    「ロシアーヌ連邦がアメリヤ合衆国の〈機械化歩兵〉システムを把握解析するために、裏から手を回してお前をこっそり回収したのか」
     アレンは肯定も否定もしなかったが、実際大差はないところを突いていたのだろう。
     当時、目まぐるしいまでに技術は発展し、抜きつ抜かれつでその性能を競い合っていた両国は、諜報員たちの活躍も多々あって、出し抜いた方が戦を制すると言われた兵器の情報を、先んじて手に入れたアメリヤ合衆国が首の皮一枚で勝利を手に入れた。
     連邦は翌年廃棄された合衆国の兵器情報を、一体どれほどの悔しさを堪え、歯噛みしながら見守ったことだろう。もう少し早く手に入れさえすれば、今彼の国が得た全ては自分たちが手にしていたかもしれない、とそう思えば思うほど、諦められなかったのに違いない。
    「まあ、そんなこと僕にはどうだっていいんだ」
     機械盤が壊れたせいであろう。男を拘束していた反〈魔法術〉式の手枷は無用のものに成り果て、ぱかりと口を開いていた。
     血管はないが神経回路は通っている手首を、異常がないかスキャニングしつつ、アレンはウォルフを見遣った。
    「どうだっていい、って……君、一体何だってこんな真似を? 父君は部隊長だったと言ったが、クーデターか? それとも反政府組織に通じてる? それにその……」
    「全部ハズレ。僕はそんなちっぽけなことをやるつもりはないよ。そんなもんじゃあ、全然足りない」
    「…………足りない?」
    「アレン、って言ったっけ? お前に二つの選択肢を上げよう」
     軽やかな音と共に腰に佩いた細雪の鯉口を切ってから、ラスカーはゆっくりと刀身を引き抜いた。
     薄闇の中でも自ら発光しているかのように煌めきを帯びた直刃ーー炎に炙られ叩いて鍛え上げられた鋼とも鐵とも違う、冴え冴えとした何の紋様もない冷たい輝き。
     その鋭すぎる切っ先をぴたりと〈機械化歩兵〉の眉間に突きつけて、うっすらと笑みを浮かべる。
    「僕は、この世界の敵になる」
     例え核となる〈魔晶石〉が無事であろうと、唯一残った生身である脳が破壊されれば、迎えるのはヒトと同じ死だ。しかし、恐怖を感じる感情の脳内回線を弄られた彼は、そうされたところで眉一つ動かすことはない。
     ぐっ、と押し込んだ〈魔晶石〉刃の先端が浅く人工皮膚を切り裂いても、血一つ滲ませないのと同じに。
    「僕に従って命を拾う代わりに、再びその手を血で染めるか、潔くここで叩き斬られて果てるか、好きな方を選ぶといい。どうする? いや……どうしたい?」
     〈機械化歩兵〉を志願する者はおおよそ二種類いると言う。一つは戦闘で負った修復し難い傷の痛みから逃れたい者。もう一つは罪悪感から精神を病み、正義感や理想と現実の任務との間で板挟みになり、その苦しみから逃れたい者。
     稀に捕虜や犯罪者が捨て駒代わりに『進化』させられることもあるらしいが、どの道まともに生きて行ける訳はない者たちばかりだ。感情を覚えなくなったところで、脳が多大な負荷を覚えていれば、〈機械化歩兵〉はまともに使えなくなる。
     もし彼がそんな結末を望むなら、生き長らえたことを辛いと懺悔するならば、行きがけの駄賃ついでだ。引導を渡してやるのも一興だと思った。
     が、アレンはしばし何事かを考えるように、自分の臍辺りまでしか背丈がないウォルフをじっと見つめていたかと思うと、やがてゆっくりと片膝を着いた姿勢で頭を垂れた。
    「貴方にお供します」
    「…………言っておくけど、僕は本気だよ」
    「ええ……だからこそ、貴方が私を不要と判断するか、この仮初めの命が朽ち果てるまで、貴方のお傍におります」
     視線を伏せて恭順の姿勢を取るアレンに、ウォルフは小さく吐息した。
    「どうせなら綺麗なのか可愛いのがよかったけど、まあいいか。予定は未定であって決定ではない、って言うしね」
    「申し訳ありません」
    「冗談だよ」
     ウォルフではなく、ラスカーとしてふわりと柔らかな笑みを浮かべると、ウォルフは血まみれの右手を差し出した。
    「さあ、アレン……世界を奪りに行こうか」
     その小さな手を武骨な掌でそっと握り、アレンは短く答える。
    「イエス、マイボス」


    * * *


    →続く

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