それがいいことなのか悪いことなのか、未だにアレンには判別がつかないでいるが。
「そう言えば、ほら……アレン、これを見てみなよ」
面白がるような笑みを浮かべながら、ウォルフが携帯端末の画面を3Dホログラフィーに展開して掲げて見せる。何事かと顔を寄せると、それは贔屓にしている情報屋スワロウテイルからのメールだった。最後のサインでそれを判別したものの、残念ながらロシアーヌ語で書かれているらしく、アレンには内容がさっぱり解らなかった。
「スワロウテイルは……何と?」
「面白い情報(もの)をくれたよ。同業者だってさ……近頃〈魔晶石〉専門で暴れてる奴がいると、嬉々として知らせて寄越した」
形のいい口唇が、刃のごとき薄い笑みを滲ませる。触れれば間違いなく血を滴らせるであろう鋭さは、氷よりもなお冷たい。
「しかも数年前に極東の島国でその悪名を馳せた〈黒き獣〉、誰かに始末されたものと思われていたそいつが……この」
鉤爪の指の背でコツコツと画面をノックしながら、
「これまたカビの生えた死に損ないの『怪盗バレット』を騙っているんじゃないか、って言うんだから、ジョークを通り越してお笑い草だね」
成程、どうやら後半の記述は拾い集めた断片的な情報からスワロウテイルが推測した意見のようではあるが、それが真実にせよ的外れにせよ、ウォルフにとっては面白くない事実であることに変わりはない。
今まで〈魔晶石〉のその真価も知らない低俗な輩と鉢合わせ、扱いのぞんざいさに知識の乏しさに、度々その逆鱗に触れられて来たウォルフであるが、ピンポイントで同じ獲物を狙う相手に出くわしたことはただの一度もない。
ないことになっているーー存在しないはずのものをわざわざ選んでいる、と言うことは、こちらと目的は同じはずだ。
だからアレンは、主人がこの愚かな邪魔者を細胞一つ残さず始末して来い、といつものように命じるものだと思っていた。
にも拘らず、空虚な粒子の塊を見つめる紫水晶の双眸には怒りや苛立ち、焦燥と言うものは滲んでおらず、まるで長いこと待ちわびた相手と再会するかのような喜びと期待に充ちている。
「けどもしも……もしも、だよ? スワロウテイルの推測が正しくて、この『怪盗バレット』が〈黒き獣〉で……僕と同じ呪いを受けた奴だとしたら? この世界でただ一人、僕を理解しえる存在だとしたら?」
それはどれほど、ウォルフが心底から欲したものだろう。例えどれだけアレンが忠義を尽くそうと、身を粉にして支えようと、彼の孤独を絶望を全て理解し分かち合うことは出来ない。
家族を奪われたウォルフにとってアレンと共有出来るのは、その虚しさや身のちぎれるほどの悲哀と言う感情一点のみにおいてであり、彼自身の抱くその人外の力を持つが故の苦しみや不安や恐怖は、受け止め和らげてやることが出来ないのだ。ましてや感情の失せた〈機械化歩兵〉には、目に見える身体的変化以上の何かを感じ取る能力が、決定的に欠如している。
この世界において唯一と言うアイデンティティーは、それに沿う存在があって初めて成立しえるものなのかもしれない。
あまりプラスの感情を露わにすることのないウォルフが、今は高揚感を押さえ切れないのか、ぴんと立った三角の獣耳は総毛立ってしまっている。
それを窘めるように、アレンは静かな声で告げた。
「だからと言って……その〈黒き獣〉が、貴方の味方になってくれるとは限りません」
「…………」
す、とウォルフの双眸の温度が下がる。
いつでも、どんな内容でも、彼に進言する時は殺されるかもしれない、と言う覚悟と共に口を開かねばならない。気に障れば、地雷を踏めば、例え『役に立つだろう道具』として拾ったアレンでも、代わりはいると容易く躊躇なく見限るだろう。
が、よほど機嫌がよかったのか、ウォルフは微かに双眸を細めはしたものの、こちらを咎める気は起こらなかったらしい。
「味方……? アレン……僕は別にね、仲良しこよしのオトモダチが欲しい訳じゃない。仲間だの家族だの……そんな甘っちょろいものは必要ないのさ」
「ならば、何故……?」
「頂点に立つのはどちらが相応しいか、をはっきりさせるためだ」
獲物を見据えた大型肉食獣のようにぺろりと舌なめずりをしながら、ウォルフは極上の酒に酔いしれるような表情を浮かべる。
「僕と手を組み、世界を蹂躙するために尽力するならよし。それを阻み、立ちはだかって邪魔をするなら、僕がこの手で全力でもって叩き潰す」
「…………そんな、」
「何となくね、解るんだよ。彼は僕につかない。いや、僕につくような期待外れじゃあ、困るんだ……面白くない」
その顔を見て、その言葉を聞いて、アレンはようやくウォルフが本当に望んでいるものを理解した気がした。
ただ一人ーーたった一人しかいない、己と同等の力を持った呪いを受けた相手と、寄り添い共に生きるのではなく、どちらが上か強いか決着をつけ、踏みにじって勝敗を決めて相手を喰い殺すことでしか、それは満たされないものなのか。
例えその後どれほどの虚しさと絶望に押し潰されようとも、その手を血に染めることでしか、彼の中の何かは充たされることがないのか。
それはおおよそ理性を持つ人間の営みとは言い難い、本能的で動物的な行動だ。
ーーいや、本来ならヒトも獣であったはずなのだ……
その細胞に刻まれた、太古より脈々と受け継がれて来た生存競争のための衝動は、今この獣化に呪いと言う媒介を経て、ようやく芽吹いたとでも言うのだろうか。
「楽しみだな……わざわざ探すような野暮をするつもりはないけど、彼とは近い内に逢える気がするよ」
そうーー本当に心底嬉しがるようなウォルフの望みを、アレンはこの時止めるべきだったのかもしれない。彼の選択が正しいのかどうか、今一度冷静になって、見直させるべきだったのかもしれない。
けれど、アレンはその選択をしなかった。
決定するのは己の役目ではないと、こちらの意見を主張すべきではないと、我を通すことなく、いつも通りに主人の言葉に頭を垂れた。
それを後悔したのは、怪盗バレットこと天狼閃光に邂逅してすぐのことになる。
今はまだそれを知るよしもないまま、武骨な〈機械化歩兵〉は、主人の少年らしい細さの残る背中を黙って見つめていた。
以上、完。
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