かちゃり、と回るノブ。扉を開けて入って来たのは、背の高い初老の白人男性だった。想定していた人物像とは違い意表を突かれたものの、逡巡は一瞬、ほぼズレはなしのタイミングで床を蹴り、跳躍する。
     閃光の手には、枕。
     相手の視界、呼吸、悲鳴を同時に奪い、自由の主導権をこちらが握る。衝撃を覚えるより早く床に引き倒し、両腕を足で押さえ込む形でマウントを取った。本当なら突きつける銃なり切っ先なりがあれば効果的だったのだろうが、何せ閃光は今丸腰だ。
     それでも首を捉えた手は、きっちり頸動脈に宛がうことを忘れていない。
    「旦那様……っ!?」
     凄まじい物音に別の老人が駆け寄って来ようとし、室内の状況に息を飲む。が、組み敷かれた当の本人はと言えば、いつの間にか自由になった右手で枕を外して、愉快そうに面白がるようにその青い双眸をキラキラさせていた。
    「大丈夫だ、問題ない」
     流暢な日本語だ。
    「凄い……何て綺麗な、こんな紅玉石よりも鮮やかな紅い瞳、初めて見た! 燃える太陽みたいな、滾る血みたいな、生命そのものの色だ、美しい!!」
    「…………っ!?」
    「いや、驚かせて悪かったの。あんなに瀕死の重傷だったのに、もうそんなに動けるとは……若いと言うのは素晴らしい財産だ。傷はまだ塞がっておらんじゃろう? 大立回りはせん方が無難だと思うが」
    「…………」
    「誤解しないで欲しいが、わしはお前さんをどうこうしようなどと思っとる訳じゃない。取り敢えず何だ、座って話をしないかね? このままでもまあ、そりゃ構わんが、床のベッドはあまり寝心地がよくないんでな」
     閃光が僅かに手に力を込めるだけで、ヒトの首の骨など簡単にへし折れる。そんな文字通り命を握られた状態で、よくもそんな余裕のある態度が取れたものだ。
     男は手ぶら、老人もハラハラと見守ってはいるものの、近づいて来る気配も攻撃して来る様子もない。他に人のいる感じもしなかった。組み敷いた彼の身体が、見た目に反して鋼のように頑強な筋肉を纏い、引き倒した瞬間も咄嗟に受け身を取られたことが気にはなったが、自分に向けられるはずの敵意や殺気は感じられなかった。
    「…………」
     しばし躊躇したものの、ゆっくりと、手を放す。
     続いて腰を浮かすと、足を放すと同時に飛び退って距離を取った。間合いの外ーーこれだけ開けば、弾丸も躱せる。
     しかし男は銃もナイフも取り出したりはしなかった。のんびりと起き上がり右手を差し出す。
     その意味を掴みかねて、閃光は掌ではなくじっと彼の双眸を睨みやった。この男は敵か、否か。しばし膠着状態を保っていたものの、こちらと意思疏通を図るのはまだ難しい、と判断したのだろう。
     男は手を引っ込め、
    「わしは誠十郎……響生誠十郎(ひびき せいじゅうろう)じゃ。お前さんの名前は?」
     閃光は口を開きかけたものの、返事の代わりにぐるる……っと威嚇の声を溢した。
     それは丸っきり大型の肉食獣が警戒の際に上げるものと同じで、姿勢を低くしたまま牙を剥く様子は、さながら野生の狼を彷彿とさせる獰猛さを帯びている。
     幼い頃、実姉のまほろに教わりながら覚えたはずのヒトの言語は、住処を追われ、行き場を失くして、宛もない荒んだ生活を送る内、閃光の中から消え去ってしまっていた。人目を避けて生きざるを得ない毎日で、言葉を介して誰かとやり取りをする機会などなかった。その内こちらの言葉など意思など、価値観も思考も違う相手にいくら告げたところで通じはしない、無駄なことなのだと悟った。あれほど大切だったはずのものは、その殆んどがこぼれ落ちてしまったのだ。
     それをたった一声で理解したのかどうか、男ーー誠十郎は酷く哀しそうな表情を浮かべてみせた。が、一瞬でそれを振り払うと、
    「解った、じゃあお前さんが教えていいと思った時に伺うとしよう。真の名を教えると魂を取られる、と言うのは、確か東西共通だったな。そうだ、クリフ」
    「はい、旦那様」
     廊下に控えたままだった老人が、控え目に顔を覗かせる。
    「朝食はわしもこっちで食べるとしよう。構わんかな?」
    「それは勿論……ご用意はしますが、でもそこではテーブルがございませんが……」
    「別に気にせんでいい。取り敢えずまずはこの子にちゃんとご飯を食べてもらうこと、そしてわしらを信用してもらうこと。そっちが先決だからの」


    →続く

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