僕はそっと彼女の美しい髪を撫で、指に絡ませて遊んだ。クセが強くてすぐに痕がついてしまうから、と以前はあまりいい顔をされなかったけれど、眠っている彼女は文句を言わない。今思えば、それはただの照れ隠しだったのかもしれないが、ともかく僕はこの鴉の濡れ羽のような艷やかな黒に触れたくて口づけたくて堪らなかった。
幼い頃からの念願が、こんな形で叶うなんて皮肉以外の何ものでもないけれど。
「毎日毎日考えて、あいつを見てて、どうにか折り合いをつけられないか、許して認めてやれないか、いいところが一つくらいありはしないか、頑張って探したんだ」
答えはない。
答えが返ることはない。
彼女は眠っている。二度と覚めない夢を見ながら。
戯れに触れた頬はゾッとするほど冷たい。柔らかな感触は返らず、薔薇色の血色は消え失せ、今は辛うじて見目は変わらぬ形を保っているものの、それもあとどのくらいもつのか解らなかった。
だから、もうあまり残された時間はない。
「でも残念ながら、僕には見つけられなかったんだ……あいつを許せる理由もあいつを生かしていていい理由も、何一つ」
愛しい愛しい彼女を殺したあいつは裁かれて然るべきだ。同じ目に遭って然るべきだ。明日開かれる予定の結婚式で神の御前で懺悔しろ。君は優しい人だからきっと反対するだろう。けれど、その髪に触れる権利を失おうとも構いやしない。
僕はゆっくりと彼女の周りを彩る白百合を一本引き抜くと、そっと口づけて踵を返した。
リンゴーン……リンゴーン……
鳴り響く鐘の音、人々の喝采、舞い散る花びらとライスシャワーの嵐。本当なら今頃あいつの隣りでそれを笑顔で受けるのは、彼女であるはずだった。僕はそれを鈍い胸の痛みと共に見届けるはずだったのだ。
けれど今、あいつの隣りには別の女が立っている。彼女を捨てて、玉の輿に乗るために選んだ貴族の娘。よかったな、これでお前も出世街道を歩ける訳だ。
列の終わりの方に佇んでいた僕を見つけて、あいつは一瞬嫌そうな表情を浮かべたものの、何でもない風を装って笑みを浮かべて見せた。その眼差しが明確に、余計なことは喋るなと圧をかけて来る。
「やあ、来てくれたのか。嬉しいよ」
「そりゃあ来るさ。大事な幼馴染の晴れ舞台だからね」
そうして携えていた白百合を差し出す。
本来ならこの場にあっても不思議はないそれは、他のヶ所に生けられたものと違って少し萎れている。純潔や汚れなき心の象徴と言われる真白の花は、束にせずただ一本だけ差し出す場合、全く真逆の意味を持つのだ。
「お前…………」
「おめでとう、そして永遠にさようなら」
一発の銃声が、晴れた空に鳴り響いた。
以上、完。
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