「尾行(つけ)られるような下手は踏んでおるまいな?」
     くぐった扉を閉めると同時、上座に座っていた年嵩の男が閉じていた双眸を片方だけ開いて、こちらをじろりと見据えて来た。
     伸び散らかした無精髭、精錬の炎で焼けた赤い肌、頬に走る派手な刀傷に、帝国軍兵もかくやと言う筋骨隆々の逞しい体躯。昔絵本で見た盗賊がちょうどこんな風貌だったな、と思いながら、彼は小さく頷いた。
    「勿論……根っからの臆病者なもんでね。首が飛ぶのは勘弁願いたい。いつも注意は充分過ぎるほど払ってるさ」
    「臆病者……? ふん、今から化物に喧嘩を売ろうって奴が、どの口でそんなことを言ってやがるんだか」
     睥睨して来る団栗(どんぐり)眼は、底に隠した見せたくないものまで力尽くで暴こうとしているようで苦手だった。曖昧な笑みを浮かべてやり過ごすと、空いていた末席に腰を下ろす。
     居並ぶ面々はいずれも命知らずの向こう見ず、これを機に一花咲かせ一旗揚げてその名を売ろうと言う、屈強な腕に覚えのある者たちだ。
     ただでさえ狭苦しい地下倉庫の中は、瓦斯(ガス)灯の炎がぽつぽつと幾つか揺れているだけの薄暗さだったが、集まった男たちの熱気で噎せ返りそうなほどである。膝を突き合わせて押し殺した声でやり取りするその顔つきは、いずれも興奮でぎらついていた。
     それはそうだろう。
     これから成すことの如何によっては、自分たちは悪逆の徒にも英雄にも成りうる。しかし、どうせ歴史に刻むなら英名がいい。鼻息荒く勇んでいる彼らは、誰もが計画の成功を信じて疑っていないらしかった。敵の強大さよりも、その後得られるものの方が余程大事なのだろう。
     こちらが挑発に乗らなかったのが面白くなかったのか、男は小さく舌打ちを溢してから仕切り直すように咳払いをして皆に向き直った。
    「同士諸君、長い間準備や根回し、その他諸々手配など水面下での活動に尽力してくれたことに、まず礼を言わせてくれ」
     男の腹に響く声が言葉を紡ぐと、途端にざわついていた室内がしん、と水を打ったように静まり返る。
    「苦境に耐え、屈辱に甘んじ、自由への想いを偲ぶ日々は終わった! 今こそ我らの手で、頭上を覆う永き夜を振り払い、暁の太陽を奪い返す時が来た!! 立ち上がり、勝ち取る時が来たのだ!!」
     おおおおお……っ! と壁が崩れんばかりの咆哮にも似た歓声が、倉庫内の大気を揺らす。
     男の集まった者を煽るような演説はその荒ぶりを簡単に伝播させ、美酒のように心地よく彼らの意識を酩酊させる。燻らせた火種を灯すには、そう言ったことに向いた類いの人間が行わなければ炎は燃え上がらない。
    「今こそこのヒノモト帝国に、我ら革命団の力を見せつけてやろうぞ!!」
     男が振り上げた拳に賛同するように、次々と勢いよく腕が上がる。立ち上がり、叫ぶ男たちの背中を静かに見つめながら、彼はそっと右腕を掲げた。
    ――そうさ……僕はこの国を引っくり返すだけの力を手に入れた……
     真の姿を解放した時、かつて自分を馬鹿にし蔑み暴力で従わせようとした愚かな猿共は、恐怖に屈服し許してくれと泣いて請うことになるだろう。
    「革命を!!」
    「この国に希望の光を!」
     美しい言葉に夢に希望に酔った群衆は、それが己が意思で選び取ったものだと勘違いしてくれて実に都合がいい。結局のところ祭り上げられ神輿として担がれてしまった男も、彼らの望み通りに――強いてはこちらの思い描いた通りに動かざるを得ない。
     もはや、賽は投げられたのだ。
     持ちかけた計画に手をかけた時から、運命の歯車はきりきりと待ち受ける未来に向かって回り始めた。もう誰にも――彼自身にもこの動きを止めることは叶わない。全てを破壊し尽くし、更地の廃墟に変えてしまうまで、この業火は決して消えない。
     物事を動かすために立つべき位置は頂点ではない、と言ったのは一体誰であっただろうか。
    ――貴方は気づいていたなら抗うべきだった……
     この狼煙は、始まりと再生のためのものなどではないことを。
    「新たなる時代を……っ!!」
    ――さあ、始めようか……

     血の宴の幕が上がる。


    →続く

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